第3章 風の加護

第17話 エルフの少女

 小川のほとりで野営をしている私たち。夜になって気温が下がると、丁度良い気温になった。湿度もあまりなく、時々吹き抜けるカラッとした風が心地良く過ごしやすい。


 夜空にはたくさんの星が輝いており、割と大きな月のような星もあった。青く美しいこの星は、たぶん大気と水がある星なのだと思う。正確には、月というより……、惑星だろう。少し前にテレビのドキュメンタリー番組で、月から地球を臨むシーンを見たことがあるけれど、丁度そんな感じに見える。


 見張りは交代で行って互いに休息を取ろうと、私たちは休む前に話し合ったけれど、なぜか全く私は眠くならなかった。気を失っていた時間が長かったことが原因かもしれない。その眠くない私が、疲れきって眠っているハルとユッキーを起こしてしまうのは忍びない。結局、最初に見張りを買って出た私が、ずっと見張りを続けている状況だ。


 今日は、本当に常識ではありえない事件が続いた。私の体に黒鋼竜ヴリトラの魂が宿り、私はドラゴニュートという半竜半人の体になってしまったこと。ここが地球ではなく、どこか遠い星へ来てしまったということ。初めて人を殺めたこと。


 一人で見張りを続けていると、色々なことを考えてしまう。この状況に至るまでの理不尽さや悔しさ。そして悲しみ。私たちを心配する家族のことを考えると涙が止まらなくなった。


 何もせずに一人で考えていると、マイナスな思考ばかり巡ってくる。私は自分自身の能力を知るために色々と試してみた。


 まず、空腹を感じていた私は、ハルが温めた缶詰を開けてソーセージとスープを頂くことにした。その時、缶詰を開けるためにヴリトラに教えてもらった爪を刃に変える竜の力を試した。


 その力は、ヴリトラが言っていたように手先に意識を集中させると、爪をナイフや刀剣のような形に変えられる能力だった。一つの指の爪ではなく、人差し指から薬指に掛けての爪が長くなり、先端で一つに合わさって刃に変わる感じだ。


 刃の長さは、五センチメートルから百二十センチメートルくらいまで自在に変えられた。左右どちらの手も同じように刃を作ることができ、両手を同時に刃にすることも可能だった。その黒鋼の刃の切れ味は、缶詰の蓋がまるで紙のように感じる程鋭い。


 爪を刃に変える竜の力も、全身を鱗で硬化させた時と同じように、時間とともに息苦しさに似た感覚に襲われた。更に、硬化と刃の力を同時に使うこともできたけれど、息苦しさに似た感覚は倍になる感じで、単純に使用できる時間が半減しそうな感じだった。


 私がドラゴニュートとしてヴリトラから授かった力は、硬化と刃の能力の他に夜目が利くことと、相手の言葉を理解したり相手に直接意思を伝える念話がある。更に、体を動かしているうちに、自分でも驚く程に身体能力が上昇しているのがわかった。


 特に、跳躍力や敏捷性、そしてバランス感覚が格段に上がっていて、ヴリトラが言っていたように人間離れした動きが簡単にできた。体はとても軽く、関節や腱に強力なバネのような力があるのがはっきりとわかる。体操選手のようなアクロバティックな動きだって簡単にできたし、まるで時代劇に登場する凄腕の忍者になったような気分だった。



 しばらくすると、南東の地平付近の空の色が濃紺から青白くなり始めた。そろそろ夜明けが近いのかと思い、私はヴリトラが聖剣と呼んだ剣を抜いて、それを竹刀代わりにして日課の素振りをすることにした。毎日の習慣というのは凄いもので、素振りをしないと気持ちが悪くなる。


 素振りが終わった頃に、南東の地平から昇って来たのは、太陽ではなく、周りの星より一段と輝きが強い星だった。青白く輝くその星を直接見ると、太陽を直視した時のように目がチカチカして、目を閉じた後もしばらく残像が残る光だ。


 太陽と呼ぶには、大きさ的に小さく明るさも弱い。それでも、暗闇を照らして影ができる程の明るさだ。私は星の影なんて考えたこともなかった。


 さすがに時間的に、そろそろ夜明けが来てもいいような気がするけど、地球と夜の長さが大きく異なる可能性だってある。例の『覗き事件』から、もう七、八時間経過したと思う。これからしばらく三人で生活していかなければならないというのに、初日からこれでは先が思いやられる。信頼関係は大切なことだと、私はこの際だから二人にガツンと言ってやった。


 裸を見られたことよりも、信頼していた二人がそういう行為に及んだことの方がショックだった。何だかんだ言っても男と女。あの二人も年頃の男子なのだと痛感させられた。


 体に染みついた血の匂いを早く洗い流したいと思う一心で、そのことをすっかり考えていなかった私自身も責任があるので反省しないといけない。済んだことは仕方がない。今回は水に流したけれど……、やっぱり冷静に思い返すと恥ずかしい。


 あの後、小川に落ちてずぶ濡れになったハルとユッキーは、仲良く水浴びをして、ついでに身につけていた服も濡れたついでに洗濯して、二号のボンネットの上に干していた。結局その後、二人は食事も摂らずにそのまま車の中で毛布を掛けて眠ってしまった。


『下着も履いてないから毛布を剥がすなよ』とか、よく言えたものだ。人の裸を故意で覗いておきながら虫が良すぎるにもほどがある。だからと言って、私は彼らを覗いたりしないけれど……。


 何が、『クマや幽霊が出たら叫べよ』だ。


 あー、もう本当に信じられない! 思い出すだけで腹立たしい。ハルのヤツ、あれだけ心配なんてするな的なことを言っておきながら、ユッキーと一緒に覗きに来るだなんて……。


 恥ずかしさと込み上げる怒りで、私はしばらく眠れそうになかった。それで私は最初に見張りを買って出た。しかし、あれからどれだけ時間が経っても目が冴えたまま全く眠くならずに現在に至っている。


 心身共にストレスが掛かりっぱなしのはずなのに、時間が経過するだけで私の体から疲労感がどんどん抜けて行くのがわかる。黒鋼の鱗で銃弾を弾いた時に伴った打突的な痛みも、ほんの少しの時間ですぐに消えていた。もしかしたらドラゴニュートの回復能力は、人と違って高いのかもしれない。


 そもそも、私が眠くならないことも、竜族の種族的な特徴が関係している可能性だってある。夜目も利くし、単に竜族が夜行性で、私の生活リズムが昼夜逆転している可能性も考えられた。


 最初は、またハルたちと一緒にいられるなら、何でも受け入れられると思った。しかし、やっぱり自分の体なのに、わからないことだらけというのは本当に気持ちが悪い。子供の頃、遠足の前日の夜などに感じた妙にわくわくする高揚感がまた私の心に湧いてくる。


 この感覚が現れている時が、本来の私だったらを感じている時なのだと気がついた。でも、ドラゴニュートに恐怖という感情がないことは、今の私にとって救いかもしれない。もし恐怖と言う感情があれば、この境遇に耐え切れずに怯えてしまい、身動きすら取れていない気がする。ヴリトラは、また夢の中で会えるようなことを言っていたし、きっとそのうち眠くなる時が来るはずだ。夢で会えたら聞かなければならないことがたくさんある。


 特殊なのは、ドラゴニュートの私だけでなく、私が素振りに使ったも不思議な性質を持っている武器のようだ。私は素振りの時のように、改めて聖剣を鞘からそっと抜く。シャーと言う金属同士が擦れる滑らかな音が辺りに響く。


 もの凄い切れ味を持つこの細身の両刃剣は、荒野の遭遇戦であれだけの使い方をしたのに刃毀はこぼれが全くなく鋭い輝きを保っている。戦いの直後は血が滴って、多少刃が傷んでいるようにも見えた。しかし、それが手入れもせずに元に戻っている感じだ。


 この剣には、時間が経つと斬れ味が元に戻る魔法のような仕掛けが施されているような気がする。剣身に何か文字のような物が書かれているけれど、残念ながら私にその文字を読むことはできない。


 聖剣を再び鞘に収めようとした私は、刃に映る自分の姿を見て改めて自分がドラゴニュートなのだと実感した。鋭い角と首筋にある黒鋼の鱗、そして暗闇に光るクランベリーのような紅色の瞳。自分の姿を見て、また胸が高鳴るような高揚感が湧いてくる。そして、私をバケモノと叫びながら死んでいった名前すら知らない兵士の顔が蘇った。


 あの兵士にも彼を育てた両親や愛する家族がいたはずだ。私は大切な家族が奪われたら絶対に許せない。彼の家族だって大切な人を奪った者を決して許さないだろう。


 殺さなければ殺されただろうし、結果的に私は大切な二人を守れたので後悔はしていない。これからもまた人を殺めることがあるかもしれない。ドラゴニュートとして、再び生を受けた時から覚悟をしていたつもりだった。それでも胸が締め付けられるように苦しくなる。


 ごめんなさい……。でも、私はこの先も大切な人と私自身を守るためなら何だってします。あなたたちに直接恨みはないけれど、本当にごめんなさい……。


 私自身もいつか報いを受ける日が来るかもしれない。身勝手で失礼かもしれないけれど、私は殺めた二人の兵士と彼らの家族に対して、そっと心の中で呟いた。



 眩しいくらいに輝く星が南東の空に昇ってからしばらく経ち、ようやく本格的に東の空が明るくなり始めた。


 そして、二つの太陽のうち、先に沈んだ肉眼で見ても目が痛くならない方の太陽がゆっくりと昇ってきた。周囲の空の色は濃いオレンジ色に染まっているけれど、この太陽の朝の光の色は赤やオレンジではなく暗褐色だった。


 辺りは明るくなったと言え、まだ周囲の色がどうにか識別できる程度の明るさだ。しかし、夜が明けたら見張りがすぐに皆を起こして出発しようと言うことになっていたので、私は二人を起こすことにした。まだ薄暗い早朝から二人を起こしてしまうのは、少し可哀そうな気もするけど、少しでも早く人が住む土地へ行かないと私たちが疲弊してしまう。


 二人が眠る二号は、中で寝ている二人の体温の影響か、フロントガラスや側面の幌のビニルが曇り中の様子が確認できない。私は運転席側のドアを開けて二人に呼び掛けた。


「おはよう! ハル、ユッキー。朝……、だ……、よ……」


 私はすっかり忘れていた。この二人が服を洗濯したため、服を着ずに毛布に包まって眠っていたことを……。


 運転席のドアを開けて呼びかけたものの、昔から寝相が悪いハルは自ら毛布を剥いでおり、助手席側のユッキーに寄りかかるように仰向けで眠っていた。彼の下半身は見事にこちらに向けてられていた。


 私は見てはいけないものを見てしまい言葉を失う。


 彼の裸を最後に見たのは小学生に入学する前くらいだろうか。あのころと比べると明らかに逞しくなっているのがわかった。色々と……。


「んーっ……」


 ハルは眠そうに目をこすりながら目を開けて私と目が合う。私はどうしていいかわからず、かなしばりになったように動けない。ユッキーは毛布に包まったまま、私の声に気付かずに助手席でまだ眠っているようだ。


 これは事故よ、事故……! 私は悪くない!


 ドキドキして自分の顔が赤くなっているのがわかる。私はゴクンと唾を飲み込んでこの状況に耐え切れず、誤魔化すかのように笑いながらハルから目を逸らす。


「ご……ごめんっ! そういうつもりじゃ……」


「どわぁっ! 何だよ、彩葉! ちゃんとノックくらいしてから……」


「し、しかたないじゃない……バカーッ!」


 恥ずかしさで耐えきれなくなった私は、叫びながらバタンと運転席のドアを思い切り閉めて、昨夜水浴びをした滝の方へと全力で走り、大きくジャンプして滝を飛び越える。


 そして滝の上にあった大きな丸い岩の陰に隠れると、私はその岩に背中を当ててずるずるっと擦るように腰を下ろし、両膝を立ててうずくまるような格好で地面に座った。


 三メートルほどある滝も簡単に飛び越えられたし、結構な勢いで走ったけれど、息が全く切れていなかった。やっぱりドラゴニュートの身体能力は凄い。そんなことより、昨夜あれだけ二人にガツンと言ってしまった手前、いたたまれない気持ちで一杯になる。


「あー、どうしよう。最悪っ!」


 私は思わず感情を声に出して独り言を言う。折り曲げている膝を両手で掴んでそこに顔を埋める。


 それにしてもハル、結構いい体してたな……。


 ハルの裸体を思い出すと、また胸がドキドキして顔がほてってくる。これは、嫌なことを考えた時に湧いてくる高揚感と少し違った。


 あー、本当に私のバカ。先が思いやられるなぁ……。


 このままじゃいけないと膝から顔を上げた時、正面から小川の淵伝いにこちらへ向かって走ってくる、ブロンドの長い髪の少女の姿があった。彼女の背後には、上半身が裸で二メートルを超える醜い牙のある二足歩行の巨人が、彼女を追い掛けるように走って来る。


 鬼?! な、何なの?!


 私自身もありえない光景を目の当たりにして咄嗟に立ちあがる。そして例のが湧いてくる。


 私の存在に気付いた少女は、目を見開いて驚いた顔つきで立ち止まり、左右を確認してから進路を変えた。そして、慌てて川の本流が流れている方へと走っていく。


 少女は肩で大きく息をしており、その表情はと焦りに満ちていた。恐怖という感情がなくなった私でも、怖いと思っている時の人の表情は何となくわかる。


 慌てて滝の岩場を飛び降りた少女は、飛び降りた際に着地に失敗して地面に転がってしまう。まだ幼さが残っているけれど、同性でもつい見とれてしまうような端麗な顔立ちの子だ。耳はまるで妖精のように細長く先端が尖っている。まるでゲームや西洋の神話に出てくるエルフのようだ。


「ちょっと! 待って!」


 私はその少女に声をかけたけれど、彼女は私の呼びかけを無視して足を引き摺りながら木々の間を通り、川の本流を目指して向かって行く。


 あの巨人から逃げるのに必死なのだろうか。もしかしたら、巨人だけではなくてドラゴニュートである私を見て怯えた可能性もある。


 エルフの少女を追いかけている巨人たちは全部で三匹……。三人とか三頭という数え方が正しいのかもしれない。巨人たちは私には目もくれずに、何かを叫びながら彼女を追いかけて段差を飛び下りてゆく。


 理由はわからないけれど、どう見ても彼女が一方的に巨人に追われているようにしか見えない。話し合いが通じるような相手でもなさそうだ。あの巨人たちがどんな攻撃をしてくるかわからないけれど、あの子を放っておくわけにはいかない。


 助けなくちゃ!


 私は聖剣を抜き、岩場を飛び降りてエルフの少女と巨人を追い掛けた。

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