第18話 風のアトカ(上)

 まだ夜が明けない早朝、明星セレンが青白い光を放ちながら南東の地平から昇ってきた。


 今朝もまた、私はセレンの光を体に浴びながら精神を集中させている。


 私たち精霊使いは、術者の体内に蓄積したと呼ばれる魔力エネルギーを解放し、そのマナを媒体として精霊と契約を交わして精霊たちの力を借りて魔法という形にする仕組みだ。


 青白く輝く明星セレンの光には、マナの恩恵がある。精霊使いは、自身の体内でマナを作れない。そのため、セレンの光を浴びながら精神を集中させて術者の体内にマナを蓄積させる。私が星の光を浴びながら瞑想する理由は、そのマナの充填が目的だ。


 もちろん、雨の日や曇りの日は、セレンの光を浴びることができないので、この方法でマナを蓄積することはできない。セレンの光以外に、マナストーンと呼ばれる宇宙から降って来た石に蓄積されたマナを吸収する方法もある。しかし、マナストーンはとても高価なため、セレンの光が一番確実であり金銭的な意味も含めリスクがない。


 エルフ族の社会と異なる人間社会では、精霊使いの人口が圧倒的に少ない。そんな理由から、星の光を浴びて瞑想する精霊使いのエルフたちを、宗教家のようなものだと誤解を持った人間が多かったりする。


 私の名前は、アスリン・リル・アトカ。ミドルネームのリルは部族の守護属性である風を表し、ラストネームのアトカは母親の出身の部族名を意味している。


 私は人間社会で暮らしている純血種のエルフ族だ。人間社会では、まだ未成年扱いされる容姿だけど、実はその辺で暮らしている人間でいう高齢者よりも年上だ。子供扱いされることがもどかしいことがある反面、都合がいいことも割と多かったりする。


 ずっと一緒に生活しながら旅を続けていた母親が突然失踪してから、私はどうにか一人で風の精霊術を売りにして生きている。


 人間社会で暮らす定住していない流れ者のエルフ族の間では、肉体的な寿命の長さによる子供の成長の遅さが原因で、親から育児放棄されてしまう子供の話も珍しくない。しかし、私の母親の失踪は全く前触れがなく唐突だった。


 もしかしたら事件に巻き込まれてしまったのではないかと、街の憲兵に掛け合ったこともあったけれど、相対数が人間と比べ圧倒的に少ないエルフ族のの相談話など相手にされることはなかった。


 行き場のないエルフ族の子供は、『はぐれエルフ』と呼ばれ、同族が保護してくれない限り、たいてい奴隷商人に連れていかれて高額で取引されてしまう。私も何度かそういう危険な目に遭ったけれど、風の部族出身の母親から習得していた精霊術を使って、何とか難から逃れることができた。


 母親の失踪からしばらくの間、私は母親を探すことを中心に各地で働きながら旅を続けた。一度は母親の出身であるアトカの部族が暮らす集落にも立ち寄ったことがある。しかし、たとえ同族であっても部外者を相手にしない閉鎖的なエルフ族の社会に、私は馴染むことができず集落をすぐに立ち去った。


 それ以来、私は母親探し中心の旅を諦め、風の精霊術を売りにして、隊商の護衛に付いたり、通訳や諜報活動の仕事を主に請け負う、『街の何でも屋』的な傭兵稼業を続けた。


 裏の仕事や汚れた仕事をしたこともあるけど、私の場合、どうにか働くことができる年齢まで育てられただけ、他の『はぐれエルフ』に比べたらマシだったのかもしれない。


 私が使う風の精霊術は、補助的な活躍をする場面が多い。空気の振動や旋風で対象を攻撃することは可能だけど、効果の割に精霊との契約に時間を要するため、はっきり言って戦闘向きではない。私が得意とするのは、遠く離れた対象へ言葉の伝達、他言語の翻訳、保身のための幻影の作成、それから怪我の治療だ。


 アルザルには私が使う精霊術の他に二種類の魔法がある。人間が天使と崇める宇宙の民、アヌンナキや一部の素質がある者が使うことができる呪法と、オーブと呼ばれる小指の爪ほどの小さなガラス玉に魔力の元素を詰め込む錬金術だ。


 物質上の原子を圧縮して具現化させる呪法は、術者自身がマナを作り出す必要がある。そのため、それなりの素質が前提条件なので呪法使いは精霊使いよりも数が少ない。


 一方、錬金術は修業を積めば誰でも習得できるため術者の数が多い。また、錬金術師によって精製されたオーブは、錬金術師に限らず誰でも容易に取り扱うことができる。


 着火剤や灯明だけでなく、携帯食や飲料水、芳香剤や化粧品類などに至るまで、多岐に渡る分野で市場に出回っている。今のアルザルでは暮らしに便利なオーブが生活の必需品となっているのが現状だ。


 私が拠点にしているレンスターの街は、レムリア大陸北東部の主要な都市国家で、自然が豊かなのに人口も多く治安も良い。


 十二年前、レンスターが隣国のエスタリアとまだ戦争状態にあった頃、レンスターの国家元首であるリチャード・レンスター公王陛下の護衛を請け負った際に陛下に気に入られ、私は陛下直属の従士としての地位を授かった。


 私はそれ以来陛下の私兵となり、陛下から直接仕事を与えられている。陛下が私に与える任務は、偵察や情報収集が中心だ。風のアトカ。これがレンスターにおける従士としての私の二つ名だ。


 今回もキルシュティ半島に出現したヴァイマル帝国のを調査し、彼らの目的を追跡するという任務を陛下から請けている。


 ヴァイマル帝国は、レムリア大陸南部の新興国でありながら、ここ三年で急激に成長を遂げた軍事国家だ。その成長振りは各国の役人や商人であれば誰もが耳にしているほどで、噂では地を走る鋼鉄竜だけでなく、空を飛ぶ鉄の竜も従えていると言う。


 もうじき訪れる雨の季節になるとセレンの光を浴びることができなくなるため、マナの蓄積が困難になる私たち精霊使いは休業する者が多い。今回は少し危険度の高い任務だけど、それを承知の上で雨季が来る前に大仕事をしておきたかった。


 レンスターを離れてから四日目になる一昨日の早朝に、私はキルシュティ半島に出現したと噂されていた四頭の鋼鉄竜の一団を発見した。しかし、驚くことに鋼鉄竜たちは大きな体の割に足が速く、私はすっかり彼らを見失ってしまった。ただ、鋼鉄竜の足跡は、地面がえぐられるようにしっかりとつけられているので追跡することは容易だった。


 昨日の調査でわかったことは、どうやらヴァイマル帝国の兵士たちは鋼鉄竜に乗ることができるようだ。特にあの一角の大型の鋼鉄竜は親玉なのだと思う。指揮官らしい男が上半身だけ身を乗り出したような状態で、鋼鉄竜に乗っていたのが印象的だった。もちろん私一人では勝ち目がないだろうし、戦うつもりなんて毛頭ない。


 未開拓のまま放置されている。嫌な臭いがする沼地が広がっていたり、活火山のキルシュティ山の影響で有毒ガスが出る場所も多く、古竜ヴリトラの伝説くらいしか存在しないキルシュティ半島は、隣接するエスタリアやレンスターですら未開拓の半島だ。


 そんな場所にヴァイマル帝国は、いったい何の目的があると言うのだろうか。


 そもそも、キルシュティ半島があるレムリア大陸北東部は、ヴァイマル帝国が栄えるレムリア大陸南部との間に、広大なカルテノス湾を挟んでいる。そのため陸路でここまで移動するのに、西方のアリゼオなどの大国を通過しない限りできないはずだ。アリゼオがヴァイマル帝国と交戦状態になった話や同盟を締結した話は聞いていない。


 海路を使うとしても、このカルテノス湾は暗礁が多く開港されている大きな港は、陸路と同じアリゼオまで行かなければ存在しない。彼らがこの地へ来た方法もわからない。ただ、キルシュティ半島の先端方向である東へ向かっているのは確実だ。この辺りの地形は、樹木が少ない代わりに河川や丘陵地帯が多いのでそのうち追いつけると思う。


 実は追跡が遅れていることよりも困ったことがある。この辺りはどうやらトロルの棲息地らしく、昨日も数頭のトロルを見かけた。トロルは巨人のように身の丈が大きな種族の割に、単体ではなく群れで行動する妖魔族だ。


 彼らは独自の文化と、この世のものとは思えない怪物レプティリアン、俗に言う『悪魔』を崇拝する宗教を持っている。特に、エルフを捉えると生贄に捧げたり、食したりする獰猛かつ野蛮な種族だ。


 しかも、トロルは目と鼻がとてもよく効くので、精霊術で身を隠すだけでは見つかってしまう。人間が恐れる獰猛なリザードやロック鳥より、エルフ族にとって驚異となる天敵だ。


 私は風の精霊術で結界を作り出して、風の精霊にトロルの監視をしてもらっていた。そしてつい先程、監視をしていた精霊からトロルが私に気付いて移動してきているという知らせが届いた。今回の仕事はトロルの脅威のせいで過去に例がないくらい心細い。少しでも早く終わらせてレンスターへ引き上げたいと心の底から思っている。


 セレンの光を浴びてマナを蓄えた私は、トロルが苦手とする水辺に沿って移動することにした。


 東の空はだんだんと明るくなり、やがて地平から第二の太陽ウルグが昇り辺りを照らし始める。私は風の精霊術を使ってなるべく気配を消しながら、奇麗な小川の流れを下って行く。すると、川の本流の手前にある滝の下で人の気配を感じ取った。


 私は姿勢を低くして、岩の陰に隠れながら滝の下側の様子を伺う。


 そこには、一頭の鋼鉄竜と紺色の異国の服を着た小柄な人影があった。体の線の細さから、きっと女性だと思う。腰に剣を帯刀しているところを見ると剣士だろうか。女剣士の異国の衣装はシンプルで、一昨日見たヴァイマル帝国の兵士の服装と比べると雰囲気が全然違う。


 どちらかというとレムリア大陸の北の果てにあるアシハラと呼ばれる地域の民族衣装に似ている気がする。


 女剣士は鋼鉄竜の側面に立ち、ドアのようなものを開放すると、何か鋼鉄竜の中に向かって叫び、私がいる滝の方を目掛けて走り始めた。


 え?! 気付かれた?!


 風の精霊術で気配を消し、結界を張っている。気付かれた感じがしなかったので、いったい何が起こっているのかわからず軽いパニックになった。しかも女剣士の走る速度は、もの凄く速い。だんだんと近づいてくる彼女を正面から見た時、首筋から頬にかけて黒い鱗のようなものがあり、側頭部には二本の角が生えていた。


 まさか、ドラゴニュート?!


 私は女剣士から逃げるため、小川の上流を目指して全力で走った。


 今回の仕事は本当にツキがない。まさかトロルとドラゴニュートに挟み撃ちされるなんて最低だ。


 竜の生血を飲むことで、竜の力と不老の肉体を持つドラゴニュートになれるらしいけど、結局精神まで竜に支配されてしまい、理性を保てずに人格が崩壊する。一般的にドラゴニュートが人前に現れる時、残忍で凶暴な怪物となっているケースばかりだ。


 強欲な人間やドワーフが、不老の肉体を得ようと竜の生血をすすった成れの果てがドラゴニュートというのがアルザルの世間一般の常識だ。だからドラゴニュートは姿を現すだけで監視され、不審な動きをする疑いがあれば、即刻憲兵隊が集まって全力で討ち取られる。


 大陸の西部に行けば、意思のあるドラゴニュートを従属させた軍隊を所持する国があるという話を聞いたことがある。しかし、私は古い伝承に登場する竜帝シグルド以外で、正常な精神を持ち合わせるドラゴニュートの情報を耳にしたことがなかった。


 私は、一度立ち止まり振り返った。ドラゴニュートの女剣士に見つかって追われているものと思っていたけれど、彼女が追い掛けてくる気配がない。どうにか撒くことができたのだろうか……。


 それにしても、ヴァイマル帝国がドラゴニュートまで従属させているとなると、レンスターとしてもかなり警戒しなければならないと思う。安全な場所に辿り着くことができたら、まだレンスターと距離があるのでマナの消費が厳しいけど、伝達の精霊術で公王陛下に報告しておいた方が良さそうだ。


 私がドラゴニュートのことに気を取られていたその時、背後の茂みから荒い呼吸とおぞましい鼻息を立ててこちらを見つめている三頭のトロルと目が合ってしまう。


 しまった……!

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