第16話 初めての野営は慌ただしく

 俺たちは戦闘で大破してしまったキューベルワーゲンから、新たなキューベルワーゲンに使えそうな弾薬などを移し換えてから戦場となった荒野の丘を出発し、更に西を目指して車を走らせている。


 辺りが暗くなり始めているのに俺たちが出発した理由は、三人で話し合った結果、戦車長の手記の地図に記載された川まで行って水を確保してから野営をしようということになったからだ。


 実際のところ、理由は何でも良かった。少しでもあの戦場から離れたかったというのが俺の本音だ。もしかしたら、彩葉と幸村の気持ちも俺と同じだったのかもしれない。


 新たなキューベルワーゲンは幸村によって二号と名付けられた。二号の積載物は、一週間分程度の食糧の他に衣類も積まれていた。俺は血と泥にまみれてしまった制服を脱ぎ捨てて、予備の軍用のズボンとTシャツを頂いてそれに着替えた。丁度サイズの合うゲートルもあったのでそれも頂いた。


 ゲートルを履いてみると、紐を結んだりする手間が面倒だったけれど、履いてさえしまえば意外と履き心地が良い。幸村も俺に便乗して、サイズが合うズボンとゲートルを見つけ出して俺と同じような格好に着替えている。


 さすがに小柄な彩葉のサイズに合う衣類はなかったので、彼女は俺と幸村が荷物を移し替えている間に水で濡らしたタオルで体をよく拭いてから、リュックに入れていた剣道着と袴に着替えている。ただ靴だけは、自分の血液と返り血でヌルヌルになってしまったスニーカーよりマシだからと、サイズが合わない男物のゲートルに履き替えていた。


 俺たちはどこか人が住む街に着いたら、まず生きて行く上で必要な物を買い揃えなければならない。しかし、買い物をするのに必要な通貨の単位がわからない。間違いなく小遣い程度に持ち合わせている日本円は使えないだろうし、第四帝国の兵士たちから頂いた貨幣も使うことができるかわからない。それ以前にきっと言葉だって通じないだろう。


 冷静に考えると、俺たちは第四帝国の軍人たちから色々な物を奪っている。食糧、衣類、貨幣、武器弾薬、交通手段、そして彼らの命。日本で同じことをすれば、完全な強盗殺人で重罪だ。まして、荒野の戦闘はこちらから仕掛けたものだ。目撃者がいたらこの世界だってどんな罪に問われるかわからない。


 先程まで、周りを見渡せばそれが何か識別できる程度の明るさが残っていたけど、もう空は闇に包まれており、二号のヘッドライトの明かりだけが頼りになっている。


 二号が進む先は相変わらず道などない。ガタガタと揺れる荒地を進んでいると、日本の道路のありがたみが本当によくわかった。この二号も先代の一号と同様に、サスペンションの性能がお世辞にも良いとは言えないので、車の振動は肩の傷に響いた。


 戦闘時に銃で撃たれた俺の左肩のかすり傷は、車載の応急手当セットで消毒と止血帯を巻いて対処している。このくらいの傷であれば何日か経てばすぐ治ると思う。


 二号を出発させてから三十分ほど経っただろうか。前方から川の音が聞こえてくる。音を頼りに近づくと、どうにか地図に記載されていたと思われる川が見えてきた。川幅は予想より広く、見た限りで三十メートル以上ありそうだ。


「ふぅー、やっと川に着いたな。どうだろう? この辺りで野営って感じでいいかな?」


 俺は運転席から振り返って二人に聞くと、隣の助手席に座る幸村は、すでに夢の世界へ旅立った後だった。どうも静かだと思った。


 でも、昨夜もコンクールで遅かったみたいだし、さすがに辛いよな……。


「ユッキー寝ちゃってるね……。ここで夜明けまで待つ感じ?」


「あぁ、その予定。幸村は昨夜も遅かったって言っていたし、疲れもピークだったと思う」


「あれ? 待って」


「どうした、彩葉?」


「もう少し川の上流、三百メートルくらい先かな。森みたいになってる場所の脇に小さな支流があるんだけど、その奥に滝が見える。水浴びができそうだよ」


 彩葉が嬉しそうに俺に言った。


 俺は視力に自信があるけど、さすがに暗くて全く見えなかった。しかし、彼女には見えるらしい。俺は彩葉の暗視の力に驚いて彼女を見る。彼女のクランベリーのような紅の瞳は夜目が利くのかもしれない。


「え? 何?」


 俺が不思議そうに彩葉を見つめていたことに気づいたらしい。


「彩葉、周りが見えるのか?」


「あ、うん。見える……かな。カラーではないけど普通に、ハッキリと。たしかに真っ暗闇なのに見えるとかおかしいよね。これもドラゴニュートの影響なのかも」


「夜目が利くのは結構便利かもしれないな」


 彩葉の真紅の瞳を見ていると、夜行性の動物のように眼球の奥に反射膜があるらしく彼女の瞳は光って見える。


「ちょっと、ジロジロ見つめないでよ。恥ずかしくなるじゃない」


「あぁ、悪い。たしかに目が光ってるなって思ってさ」


「やっぱりネコみたいに光ってるの?」


「そんな感じ。とりあえず彩葉が言う方に行ってみるよ」


「うん」


 俺はそのまま川の上流を目指してゆっくりと車を進める。少し進むと彩葉が言った支流はすぐに見つかった。さすがに二号のヘッドライトだけでは、照らされている場所しか見えないが、支流の川幅は三メートルくらいで水深は浅そうだ。


 川岸の岩場に車を停めて水辺まで行くと、水は奇麗に澄んでいて水底がはっきりと見える。水を触ってみるとやや冷たい。岩場の茂みから十五メートルほど先に、落差三メートル程度の小さな滝があった。滝壺もそれほど深くなさそうだ。


「ほら、水浴びに良さそうな滝じゃない?」


「たしかに丁度良さそうだけどさ、ちょっと冷たくないか?」


「少しくらい我慢よ、我慢! 体中ベタベタで気持ち悪かったから嬉しい」


 彩葉は本気で嬉しそうだ。


「早速水浴びして来ようかな」


「俺も一緒に浴びようか?」


 冗談のつもりで言ったのに、彩葉は真剣な顔でジッと俺を見つめたまま数秒の沈黙が流れた。


「バ、バカなの?!」


 彩葉は顔を赤くして文句を言ってくる。予想した通りの反応が見られた。こういうところは素直に可愛らしいと思う。


「冗談だってば……」


「まったく……。覗いたら本気で承知しないからね?!」


 俺の冗談が癇に障ったのか、彩葉は身を乗り出して来て俺に念を押してくる。間近で彼女の口元を見ると、彼女の犬歯が少し長くなっていることに気付いた。


「わかってるよ。幸村が寝ている今のうちに行って来た方がいいぜ」


「たしかにユッキーはそういうところ信用できないな……」


「ハハハ。幸村、彩葉に信用されてないとか笑えるな」


 俺は彩葉の率直な感想がおかしくて笑ってしまった。


「ここで石鹸使ったら怒られるかな?」


「第四帝国の連中が持っていた石鹸か?」


「うん。全然好みの香りの石鹸じゃないけどね」


「まぁ、この綺麗な川に石鹸水を流すとか本当は良くないんだろうけど、なるべく気をつければこの際いいんじゃないか?」


「わかった。でもなるべく川に石鹸の泡を流さないように気をつけてみる」


「あぁ、クマとか幽霊が出たらちゃんと叫べよ」


「ちょっとハル、楽しくなるようなこと言わないでくれるかな?」


「はいはい、俺は缶詰でも適当に温めておくよ」


 ふざけて言った俺の一言に対して、彩葉は『怖いこと』ではなく『楽しいこと』と言った。


 恐怖という感情を持たない竜の心は、人間であれば恐怖に感じることを楽しいと感じるような性質があるのかもしれない。そう考えると、彼女が敵兵と戦っている時に楽しそうな表情だったのが納得できた。俺はそれが気がかりだったので少し安心した。


「ありがとう、それじゃ、行って来るね」


 そう言って彩葉は洗面用具やタオルと風呂桶代わりの鍋を持って滝の方へ向かった。


 二号のバッテリーが上がってしまわないように俺は二号のヘッドライトを消した。辺りは思っていた以上に暗かったため、俺は精神を集中させて小さな雷の塊を作り出した。雷の塊は、脳内にイメージした通り頭上を中心にふわふわと空中を漂って辺りを照らし始める。


 やっぱり魔法って便利だな。


 周りが明るくなったところで、俺はトランクを開けてガサゴソと缶詰を取りだす。残念なことに、缶詰に記載されている文字を読むことができない。絵を見る限りソーセージ系の食べ物やコーンスープなのだと思う。温めた方がきっと美味しいに違いない。


 薪となる枯れ枝などがあれば火を起こした方が効率がいいのはわかっている。けれど、俺が作りだした明かりに照らされている範囲を見る限り、薪になりそうな木の枝は見つからない。仕方なく鉄製の鍋に川の水を汲み、缶詰をいくつか入れてからバチバチと鍋に電撃を当てて中の水を沸騰させることにした。電子レンジやIH器具の要領だ。


 一分くらい電撃を当て続けると、中の水が沸騰してちょうど良さそうな感じになる。沸騰した鍋の中に手を突っ込むわけにはいかないので、俺は二号のトランクに戻って長い棒のような物を探した。再びトランクの中を探っていると、俺は車の中から声を掛けられた。


「おはよう、ハル。ごめん、どうやら寝ちまったみたいだ」


 どうやら幸村を起こしてしまったようだ。


 まずい……。彩葉の入浴を知られたらヤバいな……。


 見かけによらずこの男は変態指数が高い。中学生の時の修学旅行で、女子風呂を覗くと言ってホテルの女性従業員に変装してまで覗きを敢行した。覗きに成功したコイツが、他の男子どもから英雄扱いされていたことを思い出す。


「何だ、目が覚めたのか。疲れているんだから、休める時に休んでおけよ」


「ずっと寝ていたら二人に悪いさ。少し寝たら楽になったから大丈夫だぜ」


 いや、いいから寝てろ! 普段から全くする気がない遠慮を今更するな!


「昨夜だって遅かったんだろ?遠慮するなって」


 俺は気遣うフリをして幸村にもう一度休むように勧める。


「そんなこと言って、ハルお前……ボクが寝ている間に彩葉とあんなことやこんなことしようとしてね?」


「しねぇよ!」


「ハハハ、冗談だよ、冗談! それより、寝ながらふと気がついたんだけどさ」


「なんだよ?」


「彩葉のあの尻尾……。尻尾の付け根とかパンツどうなってんのかな?」


「し、知らねえよ、んなもんっ!」


 気にしていなかったけど、気になる……。


「さすがに本人に聞いたら怒られるよな。あれ? ところで、その彩葉はどこに行ったの?」


 彩葉、早く戻らないと知らないぞ……。


「俺が缶詰を温めている間、少しその辺見てくるって言ってたな」


「そっか。じゃ、ボクも見に行こうかな。暗いし危ないだろう?」


「いや、待て幸村。お前は起きたばかりだ。やめておけ。俺が行くからさ、缶詰を温めたからそこの鍋から取り出して開けておいてくれないか? 何なら先に食べても構わないぞ」


「はぁ? なーんか怪しくね? あれ、川の流れる音の他に滝のような音がするけど向こうに滝でもあるの?」


「せせらぎが……あってだな」


 あー、無駄に勘だけはいい野郎だな、コイツは!


「ははーん。わかった! ズバリ、彩葉は滝で水浴び中だね?」


「お前のその勘には降参だ。お前の言う通り彩葉は今は水浴びしてるから覗くなよ。っておい! そっちの茂みに行こうとしてるんじゃねぇよ!」


「ねぇ、ハル君? 君はダメと言われて大人しく待っていろとでも言うのかい? それでも男かい?! これは男のロマンじゃないか!」


 後半は俺だけに聞こえるように、ワザとらしく耳打ちしてくる。何がロマンだ……。


「知るか! お前と一緒にするな! って、おい! それ以上行くなって!」


 本当に彩葉はいつもタイミング悪いな……。


 俺も男だし、水浴びをしている幼馴染の体に興味がないわけではない。しかし、例え幸村であっても他人に彼女の体を見せたいとは思わない。俺は幸村を止めようと腕を掴んで引っ張ろうとする。しかし、幸村は木の根に足を取られ躓いてバランスを崩した。


「うわ……」


「おい! 何してるん……」


 幸村はそのまま前のめりになって、小川の中に倒れ込みそうになる。俺は幸村を慌てて引き上げようとしたけど、結果的に重力に負けて俺と幸村は小川の中に落ちてしまう。


 ザバーンッ!


 水しぶきとともに俺たちが小川に落ちた音が静かな暗闇に響き渡る。その音にびっくりした彩葉が振り返る。


 俺の頭上を漂う電光の魔法の光のせいで、彼女のボディラインがハッキリと浮かび上がって見えた。彩葉はハッとなって胸を隠しながら滝壺に座りこみ、夕方の戦闘の時のように露出した肌を鱗で全身を覆う。


「バカ! 変態! スケベッ!」


 そして彼女は大声で叫びながら、風呂桶代わりに持って行った鍋や、足元にある石ころを手当たり次第に俺たちに投げつけてくる。


「ハルが起こすからつい……。すみませんでしたっ!」


 幸村は半分人のせいにしたまま、自らの非を認めて謝っている。


 なんて奴だ!


「ち、違うんだ! 俺は幸村の奴を止めようと……」


「うるさい! ウソつきの変態っ!」


 俺は自分の冤罪を弁護しようと立ち上がったけど、言い終わらないうちに彩葉から投げつけられた石鹸が眉間に当たり、俺は再び背中から小川の中に倒れた。


 子供の頃から久しく見る機会がなかった彼女の体は、予想以上に豊満で艶かしく、そして何より奇麗だった。川の水は冷たく、せっかく着替えた服もズブ濡れになる。水に浸かった肩の傷口がとても滲みて痛かったけれど、俺は素直に『いいもの』が見られたと思った。


 こうして俺たちの初めての野営は慌ただしく迎えられた。その後、彩葉の機嫌が治るまでに費やした労力が、計り知れないものだったことは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る