1日目、第6試合、前編
どれくらいの時間寝てたんだろうか。気づいたら会場の通路に寝ていた。誰かに休憩室からここまで運ばれたらしい。
首が痛い。ねちがえった。ああ痛い痛い眠い、よし寝よう。
「おはようございます」
「かりめーら!」
驚いて変な声が出てしまったじゃないか。なんてことをするんだこのスタッフは。「どうぞ、ごゆっくり」と言ってたんだから、ゆっくりさせろよ! 何がおはようございますだよ!
「試合開始の時刻となりました。どうぞ、あちらへ」
そう言って、スタッフはフィールドの方を手で指し示す。
「どうぞ、ごゆっくり試合をお楽しみくださいませ」
試合を楽しむのは観客の役割だ。だから楽しむために、早くかんきゃあく席に連れて行ってくれ。そう心の中では思っていても、口に出すなんてできるわけがない。
もうここまで来たら仕方がない。いいさ、試合が始まったらすぐに降参すればいいだけだし。
「それは認められておりません」
「あ、了解しました……」
こいつ、人間じゃない! そういう自分は? 人間の触覚です。
「どうぞ、ごゆっくり」
圧力は俺にのしかかり戦えとささやく。きっと死刑直前の死刑囚も、今の俺と同じ気持ちなのだろうなぁ……いや、ないな(反語)。
フィールドに出ると空が暴走していた。青空が雲に覆われたかと思うと雲が弾けて夕日が差し込み月が昇る。夜空には星が瞬き太陽が激しく照り付ける。早送りのように雲たちは空を流れ、月と太陽は空を駆ける。晴れと曇り、昼と夜。空は絶え間なく変化し続け、変化に要する時間は5秒もかからない。
美少女でも降ってきそうな天気だなぁ。空を見上げていると首が痛む。10秒ほど空を見続けていたが、雨や雪など何かが降ってくることはなかった。
突如、会場が騒がしくなった。観客が歓声を上げ、俺は前を向く。対戦相手が、どす黒い血の付着した茶色いコートを着た大男がフィールドにやって来た。
互いのことが放送で紹介される。その放送が地獄へのカウントダウンのように聞こえて仕方がなかった。
100メートル以上離れているのにもかかわらず、圧倒的存在感を感じる。のどがカラカラになって渇きを訴えていた。
試合開始のコングは鳴り響き、観客は戦いの始まりに沸き立つ。
何が始まるっていうんだよ! 俺死ぬよ!? 何が試合だよ! 死遭いだろ!?
始まってしまったものは仕方がない、死を、痛みを素直に受け入れられるほど肝要じゃない。心を埋め尽くす恐怖に振り回されて思考がぐちゃぐちゃになり、身体はまるで地面に縫い付けられているかのように動かない。
試合は膠着状態にあった。互いにピクリとも動かず、互いの様子をうかがっている。片方は警戒して相手が仕掛けてくるのを待ち、片方は怯えながら最後の時を待っている。
やがてその時は訪れた。最初に仕掛けたのは大男の方だった。
コートからハンドガンを持った腕が飛び出し、発砲音が死を宣告する。銃弾は空気を貫き死を届ける。
俺の体は迫りく銃弾に反応した。反射的に動いた。驚異的な速度で、飛来する銃弾を回避しない。
命中した。
右肩から赤が腕を伝い、激痛が神経を伝う。脳までその情報は届けられ、日本人の平和ボケした精神は崩壊する。
大男にとって、この一発はただの小手調べのつもりだったのだろう。だからあえて急所は外して肩に命中したのだ。俺が回避できたわけじゃない。
観客はしんと静まり返り、俺は地面に膝をついた。
激痛はぐちゃぐちゃになった思考を死への拒絶へと塗り替えた。手元にあるのはただのポケットティッシュのみ。頭が分かっていることは、血を止めなければ死ぬというだけ。
死んでも生き返れると分かっていても、人間の本能は死にあらがう。
ティッシュを袋から抜き取り、出血個所へと当てていく。白いティッシュは血を吸って赤く染まり、その上からさらにティッシュを重ねていく。一心不乱にその行為を繰り返し、血が止まるころには痛みにも慣れて冷静になっていた。
痛いけど、それが痒い所をひっかいた時のような気持ちのいい痛み……だったらいいなぁ。落ち着いたところで、何も変わらないんですねこれが。ああ、なんで止血したんだか。寧ろ早く死んだほうが試合も早く終わるし、死んでも別に蘇生されるし、さっき死んどいた方が良かったんじゃ?
ポケットティッシュももう1つ目が空になってしまった。これじゃあただの無駄遣いだ。
と、油断した瞬間、左耳が消えた。多分また銃かなんかで撃たれたんだろう……って痛い痛い痛い痛い! ちょっと待った! 聴覚がぁ!
痛みよりも恐怖が勝る。怪我が治らなかった場合のことを想像してしまう。左耳が聞こえどころの騒ぎではなく、ない。ティッシュで止血しつつ鼻をかむ。ただただ、恐ろしいと感じた。足が震えるような恐ろしさではなく、目の前が真っ暗になるような、未知ではなく被害への恐怖。
早く死にたいという思いが強くなった。怪我をする前に、痛みを感じる前に死にたい。俺は、死に向かって自ら歩み始めた。
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