稲妻と射程距離

 二十一歳の俺にとって、三十を超えた女の人なんて、圏外でしかないはずだった。


 ましてや、俺の派遣先の、ディスプレイに固定されたマネキン人形のような上司なんて。



 専門学校を出て一年。SEの端くれになった俺は、明らかに外れの派遣先を引いた。納期前のデスマーチに次々と体調を崩す正社員たち。積もる残業、それを倍にする発注元からの急な仕様変更。無論、派遣の俺にだって、負担は容赦なくのしかかった。


 ごうごうと風が鳴り、雨粒が窓を叩くばちばちという音が、部屋中に反響している。


 深夜十二時過ぎ。残っているのは、俺と宮内課長のみ。必要な伝達以外会話をしたことはないが、デスマーチの最後は大抵二人だけになる。もはや戦友感があった。


 エラーだらけのプログラムがどうにか落ち着いて、俺は立ち上がり背を伸ばした。ようやく終わりが見えてきた。


「コーヒー、淹れますけど」


 俺が声をかけると、宮内課長は「お願い」とだけ言った。あらためて聞くと、涼しげで、意外と愛らしい声だ。


 整理の悪い給湯室で、ポットのランプを見つめていると、窓の外でひときわ大きい雷鳴が轟く。あっという間に、電灯がぜんぶ消えた。


 俺は舌打ちをして外に出た。当然オフィスも真っ暗。ごうごうと雨音が反響する中、すんすん、と小さく鼻を鳴らすような声がする。


 音は窓際の課長の席の方からだ。


「課長、宮内課長、どうされました」


 机に用心しながら、近づいていく。席には座っていないらしい。


 一体どこにと思ったそのとき、部屋が真っ白に明るくなり、鼓膜が破裂するかと思うほど、ものすごい稲妻が轟いた。


「いやあっ!」


 隅っこでうずくまっていた課長が、俺の胸に飛び込んだ。


 押し付けられた乳房が、俺の胸でつぶれている。折れそうなほど細い腕が、俺の腰に巻き付き、必死にすがりついていた。


 突如、電源が戻った。照明の下で、腕の中の俺を見上げて、宮内課長が、所在なげにおくれ毛をいじる。


「ご、ごめんなさい。暗いのは、怖くて……」


 体を放した宮内課長が、ほほを赤らめるのを見ながら、俺は自分の射程距離を見直すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る