君との距離=1/fゆらぎ

@Calc1019

第1話



 私は、変わった。変われたんだよ……? 君のおかげで。



 「だから……。だから今度は私が君を変えてみせる」


 

 瞳を閉じれば、触れてもいないのに聞こえてくる至高の音。どこにどの音が待ってるか不思議と分かってしまう。その一つ一つが何とも心地いい、さわり心地をしている。


 静寂に包まれた体育館は、まるで初めて訪れる地のように。

 少し前までは人の視線すら恐怖を覚えていた私。なのに、それなのに今はこんなに大勢の人の前にいる。




 ーーけれど、ほんの少しだけ指先が震えてる。やっぱり私……。

 



 「本日は凌雲高校文化祭に足をお運び頂きありがとうございます。いよいよ次が本日最後の発表となります。ここまで見てくださった観客の皆様、どうぞこのまま最後まで見て頂ければ幸いです。……ていうか見ないと一生後悔するわよ?」


 思わず落ちていた視線が上がった。そこにはピアノ越しに顔を赤くした九条さんがいた。マイクを握るその手は少しだけ震えている様に見える。


 ふと、私は再び手元に視線を落とした。いつの間にか震えが止まっていた。


 「か、勘違いしないで宇津宮さん! 私は貴方のために言ってるんじゃありません。あ、あの人が喜ぶと思ったから言ったまでですから……。コホンッ。プログラム十五番。宇津宮捺月で、ピアノによる弾き語り。曲名は月光」


 ざわついていた会場に再度の沈黙が降りた。




 ーーバタン!




 体育館の最奥。私がいる位置から一番遠くの扉が開かれた。それは場違いな音。とても荒く、静寂に包まれたこの場を一瞬に台無しするには十分だった。


 でも、私の瞳の奥を熱くするには十二分だった。

 私の頬を一筋の熱が流れていく。


 ……私ならできる。その可能性を教えてくれた君が今ここにいる。これ以上は何もいらない。


 気付けば、手が自然と動いていた。まるで別の生き物の様に。


 神秘的なピアノの音色が鼓膜を伝い心に流れてくる。火傷しそうになるほどの熱を帯びた私の胸はその時を今か今かと待ち望む。


 そして、私は、声にならない声で息を吸った。






  ◇◆◇






 「私……その、ず、ずっと貴方のことが好きだったの! だ、だから付き合ってください……!」




 ーー人気のない放課後。




 家に帰ろうと靴箱に手を掛けた矢先、俺は告白された。


 その子は顔を真っ赤にしたと思えば、次には背筋を綺麗に曲げ、真っ白な手を差し伸べてきた。

 傍から見れば俺が無理やり頭を下げさせていると捉えられても不思議じゃない。それほどこの光景は異様だった。

 

 依然として俺の目の前にいる女の子はその美しく洗練されたポーズをやめない。どうやら俺が何か一言言うまで待ってるらしい。

 掴みかけた靴を地面に置き足を入れる。つま先でトントンと二、三度地面を蹴りほどよくフィットした感触を確認する。


 俺は小さく息を吸った。


 「えっと、九条さん……だっけ?」


 彼女の名前は……確か九条凛。

 明るい金髪が特徴的だ。まるで異国のお嬢様。そんな彼女はある一つの肩書きをすでに手にしていた。

 桁外れに美しい容姿故に、彼女はいつの間にか俺の通う凌雲高校で一番の美女と噂されるようになっていた。


 そんな彼女が、俺みたいな冴えない一男子に告白ときた。唐突に奥歯が痒くなった。

 俺の一言を聞けたことがよほど嬉しかったのか、九条さんは姿勢は変えず顔だけ上げる。


 まだ余韻が残るせいか双方のほっぺが依然としてほんのりと赤い。その目は弱々しく今にも涙腺が崩壊しそうだった。


 「学校一の美女がどうして俺なんかに告白しすんの……? 何かの罰ゲームとかならやめてくれないかな」


 「そ、そんな訳! 私は、心の底から佐藤君のことが好きなの! そ、それなのにどうして罰ゲームだなんて言うの……?」


 いともたやすく決壊する涙のダム。

 

 「素直に分からないんだよ。俺よりもいい男なんてもっと他にいるだろうし。何で俺のことが好きなのか、今その理由を聞いてるんだよ」


 「ひ、人が誰かを好きになることに理由なんて必要なの……?」




 ーー話にならない。




 「悪いけど、俺は誰とも付き合うつもりはないよ。そういう訳だから……。今のが返事ってことで」


 俺は九条さんの反応を見ることなく昇降口を背に歩を進めた。外に出ると、世界に光を届けようと、最後の力を振り絞り太陽が精いっぱいに光り輝いていた。

 さっきの九条さんの顔と空の彼方に消えていく太陽、一体どちらがより赤かっただろうか。



 ……そんな、そんなくだらないことを思いながら消えゆく小さな赤い点を睨んだ。






  ◇◆◇






 「……月、ねえ捺月ってば!」


 「え……?」


 「え? じゃないって! あんた最近ボーっとしすぎじゃない? なんか気に病んでることでもあるの?」


 気付いたら、当たり前のように目の前には唯一ともいえる、私の数少ない友達がいた。


彼女の名前は日佐留京子。私とは小学校の頃から仲がよくいつも二人で遊んだりした。

 中学校になって離れ離れになってしまったけど、運よく高校でこうしてまた一緒のクラスになれた。


 私が困ったときには色々と助けてもらったりと。

 もちろん持ちつもたれず。京子ちゃんが困ってるときには私が……。やっぱり私なんかじゃ京子ちゃんの力には…………。


 「あ、今捺月ってばまた自分のこと責めてたでしょ。だから何度も言ってるじゃん、捺月のそういうとこが悪いとこだって! あんた絶対ロクでもない男に引っ掛かるわよ?」


 「そういう京子ちゃんだって高二にもなって未だに彼氏の一人も持ったことないじゃん!」


 「べべべべ、別に私はいいのよ! 作れないんじゃなくて作らないだけだから!」


 弁当のごはんを口に含んだまま器用に言葉を話す京子ちゃん。そこまではいいのだけれど、代償として私の顔や机に思いっきりカスが飛んできた。


 だから京子ちゃんは彼氏が出来ないんだ。絶対そうだ。


 「……見た目はいいのにね」


 「な!? 捺月今何て言ったの! もっかい言ってみもっかい!」


 京子ちゃんはその顔を私の弁当箱のおかずの一つ、トマトのように真っ赤にして問い詰めてきた。あぁ、もううるさい。


 がみがみ言い続ける京子ちゃんはさておき私は黒板の上にある時計に目をやった。

ここからじゃちょっと見えにくいけど、ちょうど一時。あと二十分でお昼休みが終わる時間だった。


 「ーーところでさ、捺月。この前あったっていうオーディションはどうだったの……?」


 急に声のトーンを沈ませ真柏な表情で京子ちゃんが聞いてきた。


たぶんあれのことを聞いてるんだと思う。そして言うまでもなく心配してくれている。


 私の数少ない友達が京子ちゃんで本当によかった。そう思った瞬間だった。これが何度目かはさておき。


 「大丈夫だよ京子ちゃん。そういえばまだ言ってなかったね。……うん。あのね、私、合格しちゃった」


 ご飯粒が付いた箸を持ったまま、京子ちゃんは唖然となり口をふさいだ。


 妙に斜め上に反った二つ結びの髪先がチョンチョンと動いている。あれは一体どういう仕組みなのだろう。


 「嘘ぉ! 捺月ってばそれってかなりすごいことだよね!? ちゃんと自覚してるの!?」


 あっという間に机を飛び越して私の体を抱きしめてくる京子ちゃん。普段なら思いっきり剥がしに掛かるところだけど今はそんな気は一切起きない。


 これも全部、京子ちゃんが応援してくれたからだと思う。


 「ちょ、もう分かったからいい加減離れて京子ちゃん!」


 「やーだ。今この瞬間だけは私のもの。宇津宮捺月のおっぱいは私のもの!」


 胸に即刻違和感を覚え視線を下に下げると、京子ちゃんが荒い息を吸っては吐き吸っては吐きを繰り返し、私の胸に顔を埋めていた。

 

 第三者の視線を感じ、私は教室内を見渡した。

 同じクラスの男子生徒がこれ見よがしにと私と京子ちゃんをガン見していた。途端に頭が真っ白になっていく。


 「きょ、京子ちゃん! だからいい加減離れてってばぁあ!!!!」


 なんとか私のヒルこと、京子ちゃんを剥がし終え、かつ大人しく元の席に座らせた。その頃には私たちを見ていた男子生徒もみんなそれぞれ自分の話し相手へと意識を戻していた。


 京子ちゃんは興奮するとたまにこうやっておかしくなることがある。


 いつかちゃんと一度でいいから説教しなくては。


 ーーでも、もし強く説教なんかして私と京子ちゃんの間に深い亀裂が出来たりしたらどうしよう……。


 ふいに私のおでこが弱い力で叩かれた。

 顔を上げると、京子ちゃんが怖い顔で私を睨んでいた。


 「捺月。そういうとこがあんたのいけない癖。いい加減直さないと私以外の友達いつまで経っても出来ないよ?」


 「……いいよ。京子ちゃんがいてくれれば私はそれで」




 ーーゴッ。




 突然、私の視界が大きく歪んだ。次の瞬間には、鈍い音と共に後頭部に雷が走ったかのような痛みが襲った。


 「ぐっ……!」


 思わず声が出てしまった。何が起きたのかすら分からない。でもすぐに理解できた。どうやら私は後ろから頭を誰かに叩かれたみたいだった。


さっきの反動で付けていた眼鏡がどこかに落ちてしまった。


 「ちょ、ちょっとあんた! 捺月に何してんのよ!」


 京子ちゃんが私の後ろに向かって大声をあげている。

 消えそうにない痛みを我慢し後ろを向くと、見知らぬ一人の男子生徒が立っていた。ぼやけているせいではっきりと顔までは分からない。


 「だってこいつが文化祭の発表に出れるなんておかしいだろ! 絶対インチキしてやがるぞこの女!」


 目を細めてみてもやっぱり顔までは分からない。黒髪ということぐらいしか特徴が掴めない。

もっとも凌雲高校の男子生徒のほぼ百パーセントは黒髪だが。それよりも眼鏡がないと何も見えない。


 床を手探りで当たっているといつもの感触に触れ安堵した。


どうやら眼鏡を見つけることができたみたいだ。しかしすぐ後ろで言い争いが続いていた。京子ちゃんと聞き慣れない男子生徒の罵声。私はとにもかくにも急いで眼鏡を掛けた。


 「あんたねぇ! 自分の出し物が選ばれなかったからって女の子に手をあげるとか最低よ!」


 「う、うるせぇ!」


 眼鏡を掛け終えた私の視界に飛び込んできたのは、京子ちゃん目がけ今にも腕を突き出そうとした男子生徒の姿だった。

今にも殴られそうになっている京子ちゃんが目に映った。




 「京子ちゃんっ!」




 しかし寸前のところでその腕は止まった。否、止められた。京子ちゃんに殴りかかろうとしていた男子生徒の、その右腕が、もう一人の男子生徒によって止められていた。


 「きょ……うこ……ちゃん、よかっ……」


 そこで私の意識はーー……。

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