第14話 花火は空に咲いて散る

「おおおいっ! 翔太ぁ!」

 父の声が翔太を呼んでいた。ぼんやりと立ち尽くしていた三人は、顔を見合わせた。

「やべえ、いま何時だ?」

 あわててトオルが腕時計に懐中電灯の光をあてる。

「九時前。あれ? 思ったより時間たってないね」

 時計をのぞき込んだ翔太が、気の抜けたように言った。

「村井! 村井はいるか? 野崎!」

 これは須田先生の声だ。どうやら青木部長の引き延ばし工作もとっくにネタが尽きてしまったらしい。考えてみるまでもなく中学生三人が夜の山に向かったのだ。心配されないわけがない。

 それでも先生たちが来たということはまだ警察沙汰にはなっていないようだ。

「あ、花火! この時間ならまだこれから花火できるよな?」

 トオルはニカッと笑って、懐中電灯を振り回した。

「おーい、こっちこっち!」

 すぐに何人もの足音が聞こえ、次いでいくつもの懐中電灯の光が近づいてくる。

 須田先生と翔太の父、それに成瀬のおじさんだ。

「こらぁっ、おまえら! ろくに山歩きもしたことねえくせに、勝手に抜け出してウロチョロするんじゃない。もし青木が白状したようにここにいなかったら、警察に連絡するところだったんだぞ!」

 真っ先に走ってきたのは須田先生だった。アウトドア好きというのはうわさではなかったらしい。息も切らしていない。

 ただ怒りのあまりか、懐中電灯の明かりの中でも目が血走っているのがわかった。血相を変えるというやつだ。

すぐ後ろを走ってきたおじさんも渋い顔だ。

「本当だよ、翔太くん。さっき雷が鳴っただろう? 山の天気は変わりやすい。いくら一本道だからといって、山を甘く見てはダメだ」

 三人は顔を見合わせ、それぞれ首を縮める。

 竜の最後の舞いと歌が、他の人には雷に聞こえたんだ。

 それにしても、本当はもっと真夜中に抜け出すつもりだったのだ。もちろん部長にも内緒で。

 もし実行していないことがバレたら、本当に警察沙汰だったかもしれない。

 だいぶ遅れて到着した翔太の父は、ハァハァと息を切らしていた。

「まあまあ、先生。三人とも、無事だったんですし」

 へらりと笑って言いかけた父親を、須田先生がぎろりとにらんだ。

「無事じゃなかったらどうしますか。合宿中、子どもたちの安全を守るのは私の仕事です。あなたは黙っていてくださいっ!」

 部活中、生徒にだって大声を出すことのない先生のすごい剣幕に、三人はさらに首を縮めた。

「あの……」

 小さく手を上げてトオルが言う。

「なんだ?」

「花火は?」

「なにっ!」

 また怒鳴ろうとした須田先生の脇を、トオルがするりと抜けていく。

「野崎っ! 待て、こらっ」

 あわてて先生も後を追い、村井と翔太も、おじさんと父親の間を駆け抜けた。

「翔太くん。夜の道は走ったら危ないぞ」

 おじさんの声は半分笑っていた。父の大きなため息が背中に聞こえる。

 懐中電灯はトオルが持って行ってしまったので、道は星明りでぼんやりとしか見えない。

「松本、遅いよ」

 ポニーテールの髪をピョンピョンさせて、村井が言った。

「花火、始めちゃえば、怒られるのはきっとうやむやになるよね」

「ごめん、巻き込んじゃって」

「え? なに言ってるの。こんなおもしろい夜は生まれて初めてだったよ! だってあたしたち、竜に乗ったんだよ?」

 そうか、竜に乗ったんだ。

 そんな体験を、不思議に思わなかったことのほうが不思議だ。

 翔太は、まだ握りしめていた笛にそっと視線を向けた。

 これを吹いても、もうあのちび竜は現れないのかな。

 でも。笛があれば、いつでも思い出せる。

 竜のことも。

 おじいちゃんのことも。

 成瀬さんにつながる昔の人たちのことも。

「それでいいのかな」

 口に出すつもりはなかったけれど、隣を急ぎ足で歩いていた村井には聞こえたようだった。

「いいんじゃない、それで」

 クスッと笑った村井の顔が、暗闇の中でほの明るかった。


 おじいちゃんの家の明かりが近づいてくる。門の前にひとかたまりになっているのは、文芸部員たちと路子おばさん。そして母だった。

 先に着いたトオルは、追いついた須田先生に首根っこを押さえられて、ガミガミとしかられていた。

 その微妙に重苦しい空気をものともしないで、青木部長は手にしていた花火セットの袋をかかげて見せた。

「先生。松本と村井も戻りましたので、花火を始めていいですか?」

「待てよ。今そんな場合か?」

「連帯責任なんて言いませんよね?」

 須田先生は口をへの字に曲げて、嫌そうにうなずいた。

「だがおまえは別だ。部長だろ。それに村井の頼まれてコンビニ云々と最初にぬかしたのはおまえだ。他の部員は遊んでもいいが青木は一緒にしかられろ」

「ヤッホー! やりましょ、やりましょ、花火! おれ、この三連発ってヤツからやりたい」

「野崎、話はおわっとらんぞ」

「バカ、それは手に持つタイプじゃないぞ」

「やだな、わかってますって。打ち上げでしょ」

「野崎! 青木! こっちの話を聞け!」

 先生とトオルと部長が言い合いを始めた横で、翔太は思い切って母に、深々と頭をさげた。

「心配かけて、ごめんなさい!」

 顔を上げると、怒るなり、心配して泣くなりするかと思った母は、柔らかく微笑んでいた。

「無事でよかった。これでなにかあったら、私、あんたのお父さんを百パーセント許せなくなるところだったわよ」

「うん」

 ということは何パーセントかは許してるんだろうか。自分はどうだろう。

 考えかけて、すぐに首をふった。さっき逃げ出しちゃったのは、お父さんがやっぱり自分の父親だと認めているからだ。

 許すも許さないもない気がした。でも、これからはお父さんにもお母さんにもちゃんと自分の考えを言おう。

 あんなに大きな竜にだって言えたんだ。きっとできる! たぶん。


 そのあと翔太も村井もトオルと並んでもう一度おこられて、それからようやく父親とおじさんが戻ってきた。

 庭では、歓声とともに花火が始まっている。パチパチとはじける火花がみんなの顔を照らした。

 あたり一面に火薬のにおいと煙が立ち込める。

「打ち上げに火をつけるから、みんな下がって」

 トオルが景気よく叫んだ。

 先生はまだ赤い顔をしていたが、母に頭を下げられるとまゆをハの字に下げて手をふった。

 青木部長がちらちらとこっちを見ているのは、あとで事情を説明しろということだろう。

 どうせ信じてはくれないからと思わずに、話してみようか。きっとおもしろがるにちがいない。

 縁側にすわった翔太の隣に、村井が線香花火を手にソロソロとやってくる。

「ゆらさないでよ。玉を大きくするんだから」

 声も小さくおさえて言うのに、翔太はぷっと吹きだした。

「花火なんて、消えちゃうからいいんじゃないかな」

「黙って。ほら、始まった」

 パチ、パチパチと細い黄金色の花びらが広がっては消えていく。

「笛、しまって来たら? 大事なものでしょ?」

「あ、うん」

 線香花火は、村井が期待するより早くポタンと落ちて終わった。

 笛を袋にきちんと入れ、リュックサックにしまった翔太は、トオルの大きな声に庭を振り向いた。

「いくぞー!」

 シュボッ、パーンと花が夜空に咲いた。

「あ」

 村井が息を飲んだように小さな声をもらす。

 翔太も、一瞬の花が散った暗い夜空を見上げた。

 そこに、あの竜の姿が見えたような気がした。

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