第10話 洞窟と竜の伝説
道は一本道で迷うことはないと聞いたとおりだった。おじいちゃんの家から先は誰も住んでいないらしく、アスファルトの舗装道路はすぐにとぎれて、両側に背の高い木が立ち並ぶ林道になる。小川は林道の少し下を流れていた。
まだ蒸し暑さは残っているけれど、日陰の道は涼しく、草いきれも気にならない。
トオルが何か言ってからかったのか、福原先輩が顔を赤くしてトオルを追いかけ始めた。
「若いなあ」
先頭切って走っていく二人を見て、青木はメガネをあげながら笑う。
「わあ、おっさんっぽい! 青木部長、十五にしてすでにおっさんっぽい! 野崎はガキっぽいけど。松本はどっちも真似しちゃダメだよ」
「うぅ、ガキっぽい方ならまねできそう」
翔太は肩をすくめてトオルと福原の後を追いかけた。二年女子の三人を追い越してなおも走ると、すぐに息が切れた。小柄な福原と足の長いトオルはどんどん遠ざかっていく。
「くっそお! 待ってよ!」
悔しくて大声で叫んだ。
「おやおや、やっぱり若いなあ」
青木がまた笑う。
「二歳しか違わないじゃないですか。あたしまでおばあちゃんになりそうだから先行きますね」
村井も駆けだした。するとつられたように他の女子たちも走り出す。
青木もため息を一つついてから早足で歩き出した。せっかくの合宿なのだ。楽しまなくては損だ。
洞穴はやっぱり写真で見たとおりだった。
ゴツゴツした岩肌がに開いた洞穴は、翔太の腰の高さくらいしかない小さなものだった。そこからこんこんと水が流れ出ている。
写真よりも流れ出る水は勢いが増している。数日前に雨が降ったからだろうか。
川は二メートル程度の幅はあったけれど、深さはくるぶしほどでしかない。
「おぉっ! つめてぇ!」
一番乗りのトオルが、靴も靴下も脱いで、流れの中に足を入れた。
「野崎! 下でスイカ冷やしてるんだぞ。足を入れるなよ」
福原が文句を言った。
「いいでしょ。スイカは皮ごと食うんじゃねえし」
「ダメですよね、青木部長?」
追いついてきた青木に、福原はなおも文句を言ったが、その間に村井まで靴を脱ぎ始めた。翔太も二人にならって素足になる。洞穴を調べようという訳だ。
ジャブジャブと水音をたてて二人が洞穴の前に来ると、先にのぞいていたトオルが場所を譲った。
「どれくらい奥があるかわかんねえな」
「ほんと、見えないね」
翔太は洞穴の奥の闇を見つめた。振り返れば長い午後の光を浴びた清水が、きらきらと光を反射している。
水は洞穴の中の闇の中でわき出して、日の光の中を流れていくのだ。
なにかつかめそうな気がした。
おじいちゃんと笛とちび竜の謎が、シャボン玉の泡のように浮かんでは消えて、そのたびに違う色を見せているようだ。
「やっぱり帰って、手帳と手紙を読み直してみないと。伝説のこともおばさんに聞かなきゃ」
翔太は、まだ中腰で洞穴の奥を眺めている村井に告げると、ズボンからハンカチをだして足をふいた。
「なんだよ、もう戻るの?」
福原をなんとか川の中に引き込もうとしていたトオルが、まゆを大げさにあげた。
「うん。おばさんが夕食の支度をしてくれてるから手伝ってくる。みんなはゆっくり戻ってください」
腕組みをして部員たちを監視していた青木は、肩をすくめた。
「松本さあ。村井や野崎となんかたくらんでない?」
「え……いや、別にそんなことは」
「あの手紙のことか? 洞穴になにかあるの?」
「あるある。あの洞穴からドロドロドロドロって青い竜が現れて、ブワアって空に舞い上がって、ドシャアって雨が降るって仕掛けが」
トオルが横から言う。
「それってなんのアニメ? マンガかな」
「ほんと、ほんと。おれたちは行方不明の竜捜索隊ってわけっすよ。秘密だけど」
トオルが青木の両肩をつかんで、大真面目に言ったかと思うと、急に前に突き飛ばす。油断していた青木は、片足を思いっきり水につけてしまった。
「ノザキーッ!」
「きゃあ、青木先輩が怒った。こわいわあ」
トオルはふざけて福原の背中にしがみついた。
青木は濡れた靴をあきらめて、裸足になると、ジャバジャバとトオルを捕まえにかかる。
「福原、野崎を通せんぼして」
「は、はいっ!」
騒ぐ部員たちを置き去りに、翔太はもと来た道を走りだした。あの調子ならみんなしばらくは遊んでいてくれるだろう。
戻ってくると、路子おばさんが大量に買ってきた肉に下味をつけ、須田先生はおじさんと一緒に庭にバーベキューセットを組み立てていた。
「あら、早いわね。もう帰ってきたの?」
エプロン姿のおばさんへのあいさつもそこそこに、翔太は奥の間からアルバムと手帳を取り出すと、すぐに台所に降りた。
「おばさん、この人、知ってる?」
はあはあと荒い息のままに尋ねた。が、路子は首を振る。
「これ、父さんよね。まあまあ、ずいぶん若いころの写真ねえ。あら、写っているの、今あなたたちが行った洞穴じゃないの」
「うん。それでね、この人。おじいちゃんの友達だと思うんだけど。早くに死んじゃったみたいで」
「それならなおさら知らないわねえ。名前もわからないの?」
「ナルセって人だと思うんだけど」
自信なさげに言ったとたん、路子おばさんは変な顔をした。
「ナルセ? それ成瀬でしょう。やぁねえ、翔太くんったら。私の名前、覚えてなかったのねえ」
「え……」
目をぱちくりさせてから、翔太は自分の頬がみるみるうちに熱くなったのを感じて、勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 路子おばさんって呼んでたから。おばさんの名前、成瀬さんだって忘れてましたっ!」
路子おばさんはコロコロと笑い出した。
「いいのよ。名前で呼んでもらえて、こっちも嬉しいし。でもそう、この人も成瀬さんなのね? ちょっとうちの人に聞いてみるわ。このあたりは成瀬さんって名前が多いけど、親戚かしら」
笑いながら手をふいて外に出るおばさんの後を、翔太はまだ赤い顔でついていった。
「ウーン、これはずいぶん古い写真だなあ」
おじさんは、路子おばさんと同じことを言ってから、軍手をはめた手でアルバムを受け取った。
「うちのじいさんなら、わかるんじゃないか? ああ、もしかしたら……」
おじさんは口の中でぶつぶつ言って、ポケットから携帯電話を取り出した。
「ああ、ちょっと聞きたいんだけどさ。父さんって兄弟いたよなあ。ぼくのおじさんにあたる人が若くして死んだって言ってなかったっけ? ああ、そうか。いやね、路子のおいっこの翔太くんが今こっちに来てるんだけど。小野田のお父さんの若いころの写真が出てきてね。そこに成瀬って名前の人と写ってるからさ……いや、本当に若いころだよ。二十歳くらいじゃないかなあ」
大きな声でしゃべっていたおじさんは、電話を切ると頭をかいた。
「このごろうちのじいさんも耳が遠くてなあ」
「それで?」
おばさんがすかさず聞く。
「うちのじいさん、つまりおれの父親には小野田のお父さんと同い年の兄貴がいたってさ。東京の大学に出ていたんだが、十九で亡くなったらしいね。体が弱かったらしいなあ。その縁で、じいさんは小野田のお父さんにかわいがってもらったんだそうだ」
そうか、この人は自分のおばさんの結婚相手、成瀬のおじさんのおじさんに当たる人で、おじいちゃんの友達だったのかと、翔太は戻されたアルバムを見つめながら頭の中を整理する。
きっと仲が良かったんだろう。自分とトオルみたいな関係なのかな。だから笛をおじいちゃんに渡したんだろうか。
「あの、この成瀬さん……おじさんのおじさんって笛を吹く人だった?」
またおじいさんに電話をしないとわからないかもと思ったが、おじさんはその場で大きくうなずいた。
「そりゃあ吹けるよ。じいさんもおれもね」
「え?」
ぽかんとした翔太に、路子おばさんが横から説明してくれる。
「ああ、翔太くんが気にしていたのは、あの笛があったからね? それならそうと早く言ってくれればいいのに」
路子おばさんの話では、成瀬家は代々、村のお神楽を奉納する社中のとりまとめ役を引き受けていて、笛や太鼓の指導もしているとのことだった。
トオルの祖父は個人として保存会の会長をしているだけだが、成瀬の家はずっと昔から代々受け継いできたものらしい。
そして翔太の父親を含め、小野田家と成瀬家は昔からのつきあいがあったという。幼なじみっていうヤツだ。
「神楽で笛も吹くんですね? 竜笛なんですか? それとも篠笛? 今もおじさんちにありますか」
笛の由来がわかったかもと胸をドキドキさせながら聞いたが、おじさんはヘンな顔でうなずいた。
「あるよ。普通の篠笛だけどね。おれも秋祭りでは毎年吹いてるし。それにしても笛の種類なんてよく知ってるなあ」
そうするとちび竜の笛は神楽に使われていたんじゃないのかと翔太は心にメモをした。
もし毎年使われているものなら、タンスの中にしまわれっぱなしなんてことにはならなかったに違いない。
「神楽は笛と小太鼓、大太鼓と鉦を使うんだよ。それからもちろん舞い手がいる。竜王と竜王を呼び出す白太郎の二人だ」
おじさんはバーベキューの準備を完全に止めて楽しそうに説明してくれた。もっとも須田先生も興味深そうに聞いているからかまわないのだろう。
「舞い手は子どもたちなんだけどね。お兄ちゃんもうちの人も、中学生までは舞い手を務めたのよ。私も」
「お父さんも?」
あの調子のいい父親が、練習しないとできない神楽を舞うなんて想像ができない。すると路子おばさんが察したように苦笑いを浮かべた。
「そうそう。せっかく竜王の役をもらったのに練習に出ないっておじいちゃんに怒られてたよ。でも、おじいちゃんが笛を吹いていたのっておばあちゃんのお葬式の日ぐらいかなあ。神楽でも笛の役はしてなかったよねえ」
おばさんの話におじさんは何度もうんうんと首をふった。
「だからタンスから笛が出てきたって聞いたときは、あれ? と思ったんだがな。しかしあれは古い笛だったね。割れてしまっていたのは惜しいな」
「もしかしたら最初からおじいちゃんのものじゃなくて成瀬さん――おじさんのおじさんの笛だったのかな?」
「そうだとしても、あれは小野田の父さんが翔太に遺したものだろう?」
おじさんはあっさりと言って肩をすくめた。
うんとうなずいて、翔太はまたアルバムの写真に目を落とした。
成瀬さんはどうしておじいちゃんに笛をゆずったんだろう。弟、つまり成瀬のおじいさんに渡してもよかったはずなのに。
それに……。
「でもやっぱり、なんでおじいちゃんはぼくにって笛に手紙をつけたのかな。お父さんにゆずるか、おじさんに返すものじゃないの?」
「割れていたしねえ。あと、お兄ちゃんに残しても大事にしないと思ったんじゃないかしらねえ」
あっけらかんと笑って、おばさんはまた台所に戻っていった。
おじいちゃんが、お父さんに笛を残さなかったのは、確かにそうかもしれない。手紙がなかったら、そして路子おばさんも知らなかったら、黙って売り払っても不思議じゃない。そういう人だ。
でもそれだけなら路子おばさんを通して成瀬家に戻してもよかったはずだ。そうしなかったのは、あの笛には竜が宿っているからだろうか。
ちび竜をぼくに見せたかったんだろうか。
考えている間におじさんは、バーベキューセットのところに戻っていた。炭になんとか火をつけようとしている須田先生を手伝っている。
日がかたむきはじめて、ヒグラシがカナカナカナと鳴いていた。
改めて山に来たんだなあと感じる。
そろそろ部員たちも戻ってくるだろう。
もう一つ聞かなければならないことを思い出して、翔太は忙しくしているおじさんに遠慮しながら話しかけた。
「あのう……なにか伝説とかないですか? 竜に関するような」
炭を火が回りやすいように配置し直してから、おじさんは腰を伸ばして首をかしげた。
「伝説? ああ、さっき話した神楽のことかね?」
「神楽って伝説なんですか?」
おじさんは笑いながら手をぱんぱんとはたいた。
「伝説を神様に奉納する神楽にしたのさ。ほら、家の前の小川があるだろう。あの川の水は昔は濁っていて飲めなかったそうだ。そこで竜神様に祈ってきれいな水にしてもらったということになっていてね。このあたりは火山地帯だから水に硫黄が混ざったりすることが多いんだよ。温泉にはいいけど飲み水には使えないし、魚も住めない。もちろん畑にも使えない。そうしたことが伝説になったんだろうね」
「昔はこの川は温泉だったんですか?」
「ははは、そういうことになるな。温泉のままならこの町もいま頃は草津のような観光地になっていたかもしれんがね。だが昔の人にとっては温泉よりも生活用水の方が大事だったんだろう」
父親がさぼっていたという神楽は、その伝説の場面を再現するものだそうだ。
「白太郎というのは最初に竜に祈りを捧げた子どものことでね。だから代々子どもが神楽を舞うんだ」
それを聞いて翔太は満足した。ちょうどバーベキュー用の野菜を用意していた路子おばさんが手伝ってと呼んでいる。
遠くからにぎやかな声が近づいてきていた。部員たちが戻ってきたのだろう。
ご飯を食べる間に、トオルと村井に今聞いた話を伝えなくっちゃと思いながら、カボチャの種をスプーンでかきだした。
「おまえ、その肉は何枚目だ? さては肉食動物だな」
「え? たった八枚しか食ってませんよ」
トオルが憤然と答えるといっせいにブーイングがおこる。みんな庭のバーベキューセットの周りに群がっては、いい具合に焼けた肉やソーセージ、野菜を取って、縁側に並んで腰かける。それを繰り返しながら大いに食べた。
「中学生の食欲ってすごいのねえ」
残ってくれたおじさんとおばさんは目を丸くしていた。
「翔太くんも、ほら、負けないで食べなさい」
渡された紙皿には、焼きたての肉とカボチャやタマネギが山盛りだった。
「松本は、野菜を切ったり洗ったりしてくれたんだから、遠慮なく食べていいよ」
青木部長が、トオルの腕をつかみながら言った。
「野崎は、ぼくと福原を水浸しにしたからね」
「結構楽しそうにしてたくせに。結局全員入ったんだから同罪でしょ」
「自らの意志で入った者と、引きずり込まれた者とでは、水の冷たさが違うんだよ」
「うわあ、科学好きとは思えない発言。水の温度は変わらないじゃないですかー」
「気分の問題だ」
またもじゃれ合い始めた二人をよそに、翔太は縁側の端っこに座っていた村井の隣に腰かけた。
「それで? おばさんから何か情報はあったの?」
ずっと聞きたいと思っていたのだろう。視線は紙皿を向いていたけど声には熱がこもっていた。
「あった、あった。えぇっと、ちび竜のことじゃなくて、おじいちゃんのことだけど」
おじいちゃんが成瀬のおじさんのお父さんの兄と友人だったこと。二人とも子ども神楽の経験者で、成瀬の家は昔からお神楽のとりまとめを担当していたから、笛はうまかっただろうこと。やはり病で早くに亡くなったこと。
「あと、手帳に伝説のこと書いてあったよね。水の守護のために笛をあずかったことも」
「そのあとにちび竜らしい精霊が現れたこともね」
「うん。その伝説のことなんだけど、おじさんの話では、竜が出てくる伝説があるんだって。昔、竜神様にお祈りをして、飲めなかった水をきれいにしてもらったんだって」
村井は、翔太が皮の固さに四苦八苦して切ったカボチャを口に放り込みながら、ふぅんと考え込んだ。
昼に翔太が読んだ絵本の竜は、沼に住んで雨を降らせたという。やはり竜は、昔から水の神様なのだ。
「ちび竜が出てくると空気が水色に変わるよねえ」
「うん。やっぱりちび竜って、水とか川に関係があるんだよね」
「あたしもそんなこと考えた。ほら、手紙にあったじゃん。『竜は天と地を繋ぐ者。すなわち水の化身なり』だっけ?」
「あっ、そうか」
海からの水蒸気が集まって雲になったり、雨になって降ってきたり。青木部長がその一説をそんな風に解釈してくれたのだった。
翔太は、地球を巡る水を思い浮かべた。
なんて壮大なんだろう!
もっともちび竜は手のひらに乗るくらいの大きさしかないけれど。
「もしかしてあの洞穴がもともとちび竜の家なのかなあ」
もしかしたら、あの洞穴の前で笛を吹いたら、雨が降る?
それとも突然小川が大きな川になっちゃう?
一つ思いつくと、次々に疑問が胸にあふれる。
「……やってみる?」
村井がいたずらっぽい顔で言った。
「え? 笛を吹くの?」
「そう」
「なんか出てきたらどうしよう」
「もう出てるんだから、これ以上なにが出るのよ」
「大雨とか……」
「さっき吹いたときは、雲だってわかなかったじゃん。なにが起こるか見てみたいと思わない?」
それは見てみたい。おじいちゃんもおじいちゃんの友達も、もうこの世にはいないけれど、あの笛を自分に残したことに何かの意味があるならば、それを知りたいと、翔太は思った。
「でも、いつ? 明日の午前中にもう一度部活をやって、あとは帰るだけだけど。部員のみんなにも話すの?」
「そんなの」
村井は、ふふと笑って見せた。
「夜中に抜け出すに決まってるじゃない。道は一本道で迷いようもないし、懐中電灯持って行けば大丈夫。遅くたって十一時にはみんな寝ちゃうだろうから、十一時半ごろ裏口から出よう」
翔太は少しだけ間をおいてからうなずいた。
「トオルには話しておくよ。青木部長と福原先輩が早く寝ちゃってくれるといいけど。女子の先輩たちは大丈夫?」
「そのためにもね、バーベキューはたらふく食べてもらわなきゃ」
村井の笑顔がさらに深くなった。
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