第9話 アルバムと手帳とちび竜

 ポップ品評会が終わり、夕食準備の時間まで自由行動となって、翔太はおじいちゃんの部屋を漁ることにした。他の部員たちは家の前を流れる小川に降りている。部長には遺品整理と言ってあるので、おかしく思う者はいない。

「他の女子といなくていいの?」

 いつもつるんでいるトオルならまだしもと、そっと注意すると、村井はにかっと笑った。

「なにを言うのよ。あたしの古いもの好きは誰だでも知ってるから、ちっとも変じゃないでしょ」

 ああ、なるほどそっちの方面かと納得する。

 たまに押しつけがましく感じることもあるけど、こういうさばさばしたところは気が楽だ。

「物好きだよなあ」

 トオルはひひひと笑いながらも、手つきは慎重にタンスの引き出しを一つ一つ下から引き抜いていた。態度は粗雑でも、こういうところは旧家のお坊ちゃんだ。そうしておいて、引き抜いたタンスの中に手と頭をつっこんでいる。

「おばさんが空にしたって言ってた通り、なにもないけど。なにやってんの、トオル?」

「んやー、隠し棚とかねえかなって」

 そんな大層なものあるわけないじゃんと、トオルは放っておいて、翔太と村井はアルバムにとりかかった。

「あ、ねえ、これ。松本のちっちゃいころじゃない? うはぁ、かわいいねえ」

 村井が指さした写真は、おばあちゃんのお葬式のものだ。黒い服を着た人たちの中に、幼い翔太がいた。おじいちゃんに抱かれている。

 隣にいまより少しだけ若い母と父がいた。お葬式なのに二人ともほほえんでいるのが不思議だったが、それ以上に焦点の合わないぼんやりした顔の自分が恥ずかしい。

「そんなの見つけても、役に立たないよ」

 そっけなく答えると、村井はそうだ、と手を打った。

「ねえ、ちび竜に見せてあげたら? いま先輩たちはいないんだし。チャンスじゃん。ほらほら」

 ウーンとうなりながら、翔太は自分のリュックサックから笛の袋を取り出した。笛は心なしか艶を増したように見えた。

 タンスの捜索もアルバムを見るのも二人に任せて、翔太は縁側に座って足をおろした。あの日は雨が降っていたけれど、今日はカンカン照りだ。

 それでもおじいちゃんのことを思い出している限り、ちび竜は出てくる気がした。

 吹き口に唇を押し当てて、腹の底まで吸い込んだ息を柔らかく吹き込む。と、同時に、キュッキュッキュルルとちび竜が応えた。

 笛に吹き込んだ息が――思いが、ちび竜を誘い出す。

 おいで。出ておいで。一緒に遊ぼう、と。

 笛の吹き方なんか知らない。当然指の動かし方も、どんな曲があるのかなんてことも。そもそもこの笛は音が鳴らない。

 それでもぜんぜんかまわない。

 目をつむって一心に息を吹き続けていると、トオルと村井の声が聞こえた。

「わあっ、ちび竜クン、今日は元気だよね」

「竜っていうより、子猫とか子犬がじゃれてるみてえ」

 笛に唇をつけたまま、そっと目を開けると、あたりの空気が薄い青に染まっていた。流れる川の水のように、透き通った青い帯が渦をまいている。その中心にちび竜がいた。

「ほら、こっち、おいでよ。あんたの大好きだったおじいちゃんってこの人でしょう?」

 村井がアルバムを片手に呼びかけると、ちび竜はくるくると青い光を引きずりながら村井の肩に舞い降りる。

 最初に見た時は、どこかいびつで、タツノオトシゴみたいに見えたのに、今のちび竜は尾を長く引く小さくても立派な竜だった。

 辞書の説明を思い出してよく見れば、角もひげもちゃんとある。

 ちび竜はアルバムに鼻先をこすりつけ、きゅう、きゅうと鳴いた。

「喜んでるの? それとも悲しんでいるのかな?」

 村井は人差し指でちび竜の背をなで下ろした。翔太も笛を袋の上において、ちび竜と一緒にもう一度アルバムをのぞき込む。

「違う写真も見せてみようよ」

「オッケー」

 村井がページをさかのぼるように開いていくと、そのたびにちび竜は鼻先を写真にこすりつける。

「鼻先っていうか、ヒゲっていうか。この子が触れると一瞬だけ写真に色がつくみたいに見えない?」

「うん、ほんの一瞬だけど」

 それは過去の記憶が鮮やかによみがえっては、また色あせていくのを見ているようだった。時間の流れが、行ったり来たりしている。

 数ページアルバムをさかのぼったときだ。

 ちび竜はパッと空中に舞い上がってまたくるくると回り始めた。青い光はどんどん強くなり、翔太も村井も、少し離れた奥の間のタンスの前にいたトオルまで、深い水の底にいるみたいに真っ青に染まる。

 と思うと、パッと尾をふって、ちび竜は再び笛の中に隠れてしまった。

「な……どうしたんだろう?」

「これ、どこの写真だろう? 松本、わかる?」

 村井が指さしたのは、ちび竜が最後に鼻先をこすりつけていた白黒の古い写真だった。

 そこには、若い二人の男が立っていた。一人は神経質そうなとがったあごをして眼鏡をかけている。もう一人は四角ばった顔に作業服を着ていた。

 場所はこの辺の山の中だろうか。緑に包まれた周囲の後ろに洞穴が見えた。洞穴と言っても探検できるような大きなものではなく、岩を裂くように大人のひざほどの高さの穴がうがたれている。

「これ……おじいちゃんの若いころだ。でも、この家じゃないよね。どこかはわかんないなあ。ぼく、この家に来たのだって数年ぶりだし」

「そっか、そうだよね。あ、でもこの洞穴、水が流れ出てるよね? もしかしたらそこの小川の源流なのかなあ」

 翔太と村井が写真をながめて首をかしげる後ろから、トオルが呼んだ。

「ヤッホー! あったぜ。秘密の手帳っぽいの」

「ええっ、どこにあったの?」

「一番上の小さな引き出し」

「でも、そこはおばさんが見たって」

「引き出しを引き抜いたら、棚の奥にはさまっていたんだよ」

 してやったりと胸を張ったトオルが、腕で顔の汗を吹いた。涼しい風は通るけど、ずっと動いていたトオルは汗びっしょりだった。

「とにかく読んでみようぜ。これならあの筆書きの手紙より読めそうじゃね?」

 翔太は笛を袋にしまってから、渡された手帳を開いた。黒い革のカバーはところどころはげて、長い時間を感じさせた。

 手帳は一週間ごとのカレンダーになっていた。年月を見ると、昭和三十五年だった。

「ってゆうと、おい、おまえのじいさん何歳の時だ?」

「ええっと……二十歳……かな」

 畳に指で筆算しないととっさには出てこない。昭和って何年まであったんだっけと考えてしまうのだ。

「もしかしたらこの写真と同じころじゃない?」

 村井が肩ごしに言った。

「おばさんに聞けばわかると思うけど」

「とにかく最初から見ていこうぜ」

 トオルの声に、翔太は一月のページから見ていく。

 二十歳のころの祖父、小野田武史は、すでに県の職員として働いていたようだ。たしか土木事務所だったはずだ。

 手帳のほとんどは空欄で、たまに食事の予定が入ったりするほかは、仕事で各地区をまわったことが几帳面な四角い字で記されていた。

「笛も竜も出てこないねえ」

 ぱらぱらめくりながらつぶやいていた翔太の手が、夏に近づいたところでゆっくりになった。

「ねえ、この人と何回も会っているみたいなんだけど」

 六月ごろからたびたび同じ名前が見られるようになり、七月にはいるとほとんど毎日会っていたようだった。名前の横には走り書きのメモがされている日もあった。

「ええっと、ナルセ?」

 小さな文字だがはっきり読める。

『八月十三日 水窟の前でナルセ君の相夫恋を聴く。これが最後か』

「これ、知ってる。『相夫恋』って確か昔の音楽よ。つまり雅楽の曲名だと思う」

「ってつまり、どうゆうこと?」

「笛を聞いたってことじゃない?」

「この笛?」

「わかんないかなあ、野崎には。つまりこういうことじゃない? 笛がどちらの持ち物かわかんないけど、ナルセ君は笛を吹く人だった。松本のおじいさんはナルセ君の友人。この水窟っていうのは写真の水が湧いている穴のことで、そこでナルセくんが笛を吹いた」

「それはさすがに言われなくてもわかるよ」

 翔太はコンコンと指で机をたたいた。

「でもそれじゃあ、ちび竜のこともあの手紙のことも、なんにもわからないよ。そもそも笛はどっちのものだったんだろう」

「ナルセが吹いたんならナルセのものじゃね?」

 トオルが気軽に言った。

「なんかの事情で笛を預かるかもらうかしたとか」

「竜が出てくるような不思議な笛を、カンタンにあげたりするかなあ」

「うーん。竜が出てくるからこそなのかもしれないし。簡単じゃないんじゃない?」

「出てくるからこそってなんだよ」

 手帳のページをめくっていた翔太が、手をあげて二人をとめた。

「待って、わかった。このナルセって人、この年の秋に死んじゃったんだ。だからおじいちゃんが笛を持っていたんだ」

 ええっと声を上げて村井とトオルが頭をつっこむように手帳を見つめた。

 確かに十月の初めに『ナルセ君の告別式参列』とある。

「おじいちゃんは、その後も一人で水窟ってところに行ってるみたいなんだよ。それで、ここ、見て。『水の守護のためにとナルセ君からあずかったが、伝説が真実とは思えない。それでも守る必要はあるのだろうか』これはどういう意味だろう」

 村井が眉を寄せて自分のメモ帳を取り出した。

「えっと、八月に相夫恋をナルセ君が吹いて、十月に亡くなった。笛と穴から水が流れることにはなにか関係がある? 伝説ってなんだろう?」

 村井のメモ帳のクエスチョンマークを横目に翔太とトオルが続きを見ていく。

 水窟と笛についてはその後数ヶ月なにもなかったが、年が明け雪が溶け出す三月に目指す書き込みがあった。

『驚いた。驚天動地とはこのことか。これが伝説の精霊か、あるいはナルセ君の祈りに感応したものか』

「ねえこれ、この精霊がちび竜のことじゃないかな」

 三人は代わる代わる手帳を手にとって食い入るようにその文字を見つめた。胸の奥が震えるような興奮があった。

「間違いないね」

「おまえのじいちゃん、やっぱりちび竜のこと知ってたんだな。そんで、おまえにこの笛を残したんだ。へえ、なんかスゲエ」

 トオルがぱちんと指を鳴らした。

「まずは伝説がなにか調べないとね」

 村井が目を輝かせる。

「洞窟はきっとこの家から遠くないだろうし、おばさんに聞いてみるよ」

 翔太は村井のメモに洞窟の場所を聞くと書き加えた。


 買い出しから戻ったおばさんと先生をにぎやかな歓声が迎えた。どうやら人数分のアイスを買ってきたらしい。

 たちも、あわてて庭に下りる。やっぱり夏はアイスだ。

 大きなスイカも買ってあったが、これは冷蔵庫に入らないからと、路子おばさんは家の前の小川にスイカを浮かせた。流れていかないようにちゃんとネットを杭に結びつけている。天然の冷蔵庫だ。

「花火するんでしょう? これはその時に切るからね」

「あの、この小川って、どこまで続いてるんですか?」

 二年女子の三人組が楽しそうに聞くと、腰をのばした路子おばさんは機嫌のいい声で答えた。

「あぁ、これね。この道を十五分くらい上ったところにある洞穴から湧いてくるのよ」

 その言葉に真っ先に反応したのは村井だ。

「洞穴? わあ、おもしろそう! 普通に歩いていけるんですか?」

「行けるわよ。でも洞穴の中に入っちゃダメだよ。いつ崩れるかわかんないからね」

「今から行って帰ってこられますか?」

 熱心に聞く村井に、他の部員も反応した。

「ずっと動いてないから、少しは歩きたいね」

 青木が腕時計で時間を確認する。

「今、四時か。日暮れまでじゅうぶん時間あるな。おじいさんの遺品整理はもういいの?」

 翔太は急いでうなずいた。その洞穴が写真の場所なら、ぜひ行きたい。

トオルが肩に手をおいてささやく。

「こっそり笛を持って行くか?」

「ううん。だってみんなの前でちび竜が出てきちゃったら困るし」

「それもそうだなあ。歩いて十五分。道を下調べしておけば、夜にでもおれたちだけで行けるかも」

 いい思いつきな気がした。できればそれまでに手帳をもっとよく読んで、あの謎の手紙ももう一度読み直したい。解読できる部分があるかもしれないと思った。

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