第8話 ポップ品評会


 夏合宿は、夏休みに入って間もなくだった。

 須田先生は、了解が出たと聞くやいなや、路子おばさんに連絡を取り、その後は大人たちの間でとんとん拍子に話が進んだ。

 数年ぶりで見る祖父の家は、記憶にある通りの大きな家だった。

 道沿いに小川が音をたてて流れている。そこから短い階段を登ると、広い前庭があった。

 いまは雑草が生い茂っていたけれど、昔はここでなにか農作業でもしたのだろうか。

「古いだけの家だけどねえ。戦争まではお蚕様を育てていたから、大きいことは大きいわねえ」

 路子おばさんが朗らかに教えてくれる。

 入り口から中に入ると、広い土間になっていて、少しだけひんやりとしていた。 

 総二階で田の字に部屋が並んだ古い家。二階は、昔は蚕の飼育部屋だったらしいけれど、今は普通に板の間になっている。

 話し合いの結果、二階は女子五人が使うことになり、村井が先頭にたって玄関脇の階段を上っていった。

「うわあ、階段せまいっ! ものすっごく急っ!」

 苦情じゃなくて面白がっている声だ。

 男子四人は東の一間に布団を並べることにして、マイクロバスの後ろに詰め込んできた路子おばさんの家の布団を、バケツリレーのように縁側に下ろして運び入れた。

 すべての窓を開け放しているせいか、風はよく通るけれど、やはり少し動くだけで汗がだらだらと流れる。

 二階でもがたがたと雨戸を開ける音がしたかと思うと、歓声があがった。二階からの景色がいいのだろうかと思いながら、台所で麦茶を用意してくれているおばさんに、そっと話しかけた。

「あの、おばさん。おじいちゃんの部屋ってどこだったのかな?」

「ああ、おじいちゃんの部屋はねえ、あんたたちが寝る座敷だったのよ。残っている荷物は、その北側の奥座敷に集めてあるよ。タンスやらが置いてあるでしょう?」

「あの笛は?」

「あれはタンスの中にあったのよ。一番上の小さい引き出しにね」

 おばさんは、ガラスのコップを並べた大きなお盆を差し出した。

「これ、そこの板の間のテーブルに並べて、みなさんを呼んでいらっしゃい。お昼ご飯は持ってきたんでしょう? 夕方までに晩御飯の材料を買い出しに行ってくるつもりだけど、まかせてもらっていいのかしらねえ。先生に聞いておかないと」

「あ、あの、タンスの中とかあけて見てもいいかな?」

 須田先生を探しに行きかけた路子おばさんは、ちょっと目を見開いて、すぐに大きな口を開けて笑った。

「かまわないけど、もう何もないよ? お宝発見ってことはないと思うなあ。本棚に父さんの本やら文房具やらは置いたままだったかねえ。アルバムに昔の写真もあるから、見ていいわよ」

 翔太は、うなずいてお盆をテーブルに運ぶ。

「ねえ、麦茶、まだ冷たい?」

 不意に上から村井の声が降ってきて、ぎょっとして見上げると、板の間の天井が吹き抜けになっていて、手すりから女子たちの顔が逆さまに並んでいる。

「冷たいよ」

 やったあと声があがり、床を小走りに踏む音がして、今度は階段から女子五人がにぎやかに降りてきた。

「二階、いいよぉ。屋根の真ん中にも窓があるの。あと下の駅まで見下ろせるよ」

「あらまあ、元気なお嬢さんたちだわねえ。古い家で気味悪いって言われるかと思ったわ」

「そんなことないです。こういう家って普通泊まれないし」

「でもトイレと風呂は台所通っていくんすよね」

 布団の運び入れを終えたトオルが、にやにやして、やってくるなり麦茶を一気飲みする。

「昔々は家の外だったんじゃないですか?」

 先生も額の汗をふいて、コップに手を伸ばした。

「三枚のお札みたいな?」

 めったに口をきかない二年男子の福原が、にこりともしないで言うと、女子がキャァとかエエッとか声をあげた。

「トイレの神様出てきたらどうしよう」

「そうっすねえ。今夜は二階に山んばが住んでるし?」

 トオルの失礼きわまりない一言には、いっせいにブーイングがおこる。

 翔太は、誰もがおじいちゃんの家を楽しんでいる様子に、ホッと胸をなで下ろした。

 ホテルや旅館じゃないから不便だとか、きれいじゃないとか言われたらどうしようかと内心気に病んでいたのだ。

 口に含んだ麦茶は冷たくて、風は涼しくて、蝉がうるさいほど鳴いている。草の茂った庭の隅からは蛙の声もした。

 一瞬だけ、おじいちゃんの膝に抱かれた幼い自分が思い浮かんだ。が、すぐに文芸部らしからぬにぎやかなおしゃべりに、現実に引き戻される。

 それがなんだかくすぐったくて心地よかった。


「それでは。せっかくの合宿だから、ちゃっちゃと始めようか」

 それぞれ弁当を食べ終わると、そのまま板の間のテーブルを部員が囲んだ。先生は路子おばさんと夕食の買い出しに出かけている。

「みんな、推薦図書、持ってきたよね? 誰から発表する?」

「一年生からでいいじゃないかな。最初に発表しちゃった方が気が楽でしょ。どうせ青木先輩のが一番長いんだし」

 副部長の言葉に翔太とトオルが顔を見合わせる中、村井が手をあげる。

「はいっ! じゃあ、あたしから!」

 ジャーンと音つきで取り出したのは、あの時の歴史もののマンガではなかった。民族衣装を着た女の子が表紙の『乙嫁語り』というマンガ。それに村井が一生懸命描いたと思われる表紙の女の子のイラスト付きポップカード。

 この際、絵がうまいか下手かは問うまいと、翔太は少しだけ意地悪な気持ちでながめた。しかし村井は、はきはきした声で明るくポップを読み上げる。

「シルクロードってピンとこない? でもこのマンガを読めば、あなたも中央アジアにきっと心ひかれるはず。何よりも細かいところまで美しい絵に大注目!!」

 どうだと言わんばかりに一同を見渡した村井は、尻尾をふりながらほめられるのを待っている犬のようだった。

「ポップの言葉はいいけど、絵が……」

 トオルは翔太が胸の内にしまった感想をぼそっとつぶやいた。

「うん……そうだね。この人のマンガはポップにもあるように素晴らしい絵だ。だからポップにイラストはいらないかな」

 青木部長が冷静に評した。

「ダメですか?」

「むしろじゃま?」

 トオルが勢いづいて口をにんまりとさせる。

「文化祭では本とポップを一緒に展示するからね。絵はいらないんだ」

 はいと、口をすぼめて村井がトオルを指さした。

「じゃあ次は野崎ね」

「オレもマンガ! 『ダンジョン飯』。えーと、ポップを読み上げまっす。スライムってどんな味? バシリスク食べたことある? (あるワケないか) ダンジョンを探検しておいしい魔物を平らげよう!!! きみも勇者になれるぞ!!!!!」

「びっくりマークが多いよ」

 福原が小さく感想を述べる。

「いいじゃないすか。ポップなんて人目をひいてなんぼじゃん?」

「っていうか。野崎って料理できるの? 意外だな」

 青木がニヤニヤしているのは、きっとこのマンガも知っているからだろう。本当になんでも読んでるんだなと感心する。

「村井ていどっす。粉ふきいもは家庭科でやったからできるし、イモの皮だってむけますよ」

「へぇ。じゃあ夕食準備はよろしく」

「えっ、ちょっと待って。料理ならこいつ。松本翔太クンが優秀です! 松本翔太をどうぞよろしく」

 むりやり手を挙げさせられて、翔太は口をへの字にしてふり払った。

「夕食はがんばるけど、おまえに言われたくない」

「はいはい。ケンカはしない。ポップの字が汚すぎるから書き直して。はい、次。松本」

 翔太はここで、うっと言葉につまった。

 みんなそれぞれおもしろい本を持ってきている。でも翔太はどうしてもこの一冊という本が見つけられなかったのだ。

 学校図書室や公共図書館の本でもいいのだから、買えないというのは言い訳にならない。そもそもお金がかからず、暇で楽そうだからと文芸部に入ったのが間違いだったと、しみじみ思う。

「あの、ぼくは……絵本、なんですが」

 自信なさげに取り出したのは今江祥智の文に田島征二が絵をつけた絵本『竜』だった。

 竜に関するものにしようと決めて、自分なりにあれこれ読んでみたけれど、どれもピンとこなかった時に手にしたのがこれだった。

 テーブルに出されたのが絵本であっても、誰も笑ったり茶化したりしなかった。しかし、もしかしたら呆れられたり、哀れまれたりしているのでは、と思うと顔が自然と下に向く。

「えっと、ポップを読みます。竜にだって気の弱い引きこもりはいるんです。以上です」

 村井は下手ながらもイラストまでつけてきたし、トオルは字が汚いとは言われたが、おもしろそうなポップをちゃんと書いてきていた。

 翔太のは真ん中に一行、ぽつんと字が書かれていているだけだ。なんの工夫もない。

 恥ずかしくて、この本の竜の子三太郎みたいにできるだけ身を縮めた。

「へえ。竜っていうとデッカくて強くて、いいものでも悪者でも、とにかくなんかスゲエってイメージだよな。それなのに引きこもりニートなのかよ」

 真っ先に反応を返したのはトオルだった。

「ああ、そうね。でも引きこもりニートって」

 村井がくすくす笑う。笑われたのに嫌な感じではなかった。

 福原が手を挙げた。

「この引きこもりニートの竜は、それを反省してがんばって、最後は活躍して終わり?」

「え……ううん。違うんです。人から隠れて沼の中に沈んでいたのに偶然見つかっちゃって、それで騒がれてますます隠れたのに、息ができなくなって、飛び出したら竜神様って祭り上げられちゃうんです」

「つまり本人というか竜自体はぜんぜん努力した訳じゃないんだね。へえ、面白いな。子ども向けの話はたいてい勧善懲悪で、さあ、みんなでがんばろう、努力はムダじゃないって感じのものが多いのに」

 青木が真面目にうなずいた。

 そんな見方があるなんて考えもしていなかったのに、そう言われると最初からそこが面白かったんだという気持ちになってくる。

「あ、でも……そんなところも面白いんだけど、言葉が……」

「言葉?」

 村井が、大丈夫大丈夫、とでも言うように合いの手を入れてくれる。

「ものすごく大きくて、雲を呼んで大雨降らせられるくらいに力だってあるのに、ぽっちりと鼻先を出すとか、そういう……」

「言葉の使い方がユーモラスってことかあ」

「うん。声に出して読むと楽しいんだ」

 なるほどと青木がうなずき、じゃあ、もう少し考えて、そのおもしろさが伝わるポップにするとようにと言った。

 結局最後までだれも、絵本なんて幼稚だと言葉でも態度でも示すことなくすんで、翔太は心からホッとした。

 二年のSF好き男子福原は、『星を継ぐもの』という難しそうな海外小説だった。

「外国のSFか。つか、福原先輩、難しいの読むんだなあ」

 トオルはそう言ってしげしげと表紙をながめた。宇宙服を着た人が二人、月面でなにかを探しているみたいなイラストだ。

「こらこら。難しいとか読む前から思わない。まずはポップを見ろよ。はい福原、読み上げて」

 福原は表情を変えずに淡々とハガキに書いたポップを読み上げた。

「月面で発見された遺体は、なんと五万年も前のものだった。なぜ? どうして? 彼は人類なのかそれとも……? 壮大な謎に挑む」

「ふぅん、なぞってミステリーですか?」

 村井の質問に、福原は困ったように目を瞬かせた。

「謎解き要素のたっぷりつまった本格ハードSFだね」

 横から青木が答える。

「あ、青木部長も読んだことあるんだ。そうだよねえ、部長ならこういうの好きそう」

「SF好きなら必ず一度は手に取る作品だからね」

 青木はまるで先生のような顔でうなずいた。

 しかし二年の女子から、ポップがカクカクした字ばっかりで読む気にならないと意見が出た。福原は不満そうに口を尖らせたが、SF初心者でも興味をひくものに作り直せと、宿題になってしまった。

 その二年女子三人のおすすめ本は、『西の魔女が死んだ』、『図書館戦争』、『王妃の帰還』だった。それぞれ色鮮やかなペンやマーカーを上手に使って華やかなポップだ。

「ポップはまず目を引かなきゃね」

 そう言われて、一年生三人と福原が、苦笑いで自分のポップを見つめた。

 中三の二人の推薦図書は、相良という女子が『夏の階段』という高校生が主人公の短編集で、福原と同じくSF好きな青木部長はというと意外にも、『舟を編む』という現代小説だった。

「文芸部部長としては言葉に関する本を選ぶのも悪くないかと思ってね」

 メガネの奥の目をすこし得意そうに光らせて、青木は、辞書を作る人の小説だと前置きして、ポップを読み上げた。

「【愛】って言葉を辞書で引いたことありますか? 【恋】は? ふだんなにげなく使っている言葉。その言葉の世界に変人と言われるほど打ち込んだ辞書編集員をめぐるエンタメ! この本を読んだら、きっとあなたも辞書を手にしたくなるはず。そして言葉の海へと辞書の舟に乗ってこぎ出そう!」

 どうだと言わんばかりの顔をした部長に、みんなは素直に拍手をした。ポップには、いかにも固そうな青木に似合わないパステルカラーでタイトルや著作者名がはっきりとわかるようにデザインされている。

「辞書ってさあ、みんなまず始めにエロい単語を調べたりするよなあ」

 本と一緒にテーブルに置かれた国語辞書を手にトオルが言うと、女子たちがいっせいにセクハラ反対と言い始めた。

「えー? 引いたことないっすか? おちんち……いって!」

「言うな、馬鹿」

 青木が丸めたノートでトオルの頭をたたいた。いつも冷静な部長も合宿では弾けているんだろうか。

「あ、部長、もっとやらしい言葉とか引いたでしょ? だからよけい怒ってるんでしょ?」

 こりないトオルがさらに言って、さらにぽかぽかと攻撃される。

「うるせえ。そういうのは一人でこっそり見てもんもんとするものだぞ。クソガキめ。おまえは小学生か?」

「うわあ、むっつりだ。むっつり部長、暴力反対! 翔太、おまえならわかるだろ? 引くよな、フツー」

「いや、ぼくはそんな……」

 翔太は言葉を濁して、トオルには見向きもしない。そんな話に巻き込まれても困る。エロい言葉ってなんだよと思うが、口に出すのも恥ずかしい。

 しかたなく青木が持ってきた辞書に手を伸ばして、パラパラとめくってみた。

「ねえねえ。辞書には竜ってなんて書いてあるの?」

 村井が顔を近づけてくる。髪から、自分のとは違うあまい香りがした。

「ええっと。想像上の動物。体は大蛇に似ていて、頭には二本の角があり、口辺に長いひげを持つ。水中または地中にすみ、時に空中を飛行し、雲や雨を起こし、稲妻を放つという(現代国語辞典例解より)だって」

「辞書にもちゃんと竜ってのってるんだ」

「実在しないものなのにね」

「ちび竜にも角ってあったっけ?」

 村井は、おしゃべりを始めた二年女子や、まだじゃれ合っている男子たちには聞こえないように小さく聞いた。

「ちっちゃいのがあるような……今晩、呼び出して見てみようか」

「出てくるかな? ほら、人がいっぱいいるし」

「でもおじいちゃんの家だから」

 翔太は、南側の座敷の向こうの庭を見た。

 あのとき、おじいちゃんは奥座敷の縁側に座っていたんだと、はっきり思い出した。

「でも竜って水の中に住んでるんだね。ぼくの絵本のもそうだったけど」

「または地中って書いてあるじゃない。確かにドラゴンだったら洞穴に住んでるイメージあるもんね。あれ、洞穴が地中でいいのかな」

 それならば、笛が洞穴ってことなんだろうか? あのちび竜と話ができたら、もっといろんなことが簡単にわかるのにな、と翔太は心の中でため息をついた。

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