第3話 おじいちゃんの笛

 里神楽の日から数日たち、もう笛の音のことも忘れていた夜。

 母と二人の夕飯を終えて自分の部屋へ行こうとのっそり立ち上がったところで電話が鳴り響いた。

 母は、まだ口の中にあったご飯を急いで飲み込むと、普段よりもトーンの高い声で応答する。

 翔太はかまわずリビングを出ようとして、足を止めた。母の声がいきなり尖ったからだ。

 お父さんからだ。とっさにそう思った。

 両親が離婚した詳しい理由を、二年たった今も翔太は知らない。ずっとわからないままでいい。どうせ大人の事情ってやつだ。

「まあ。ええ……そうなの。なんで連絡をくれなかったの……私にじゃないわ、翔太には……そうだけど」

 母は翔太から顔を背けて、低い声でしゃべっていたが、受話器を耳に押し当てたまま突然くるっとふりかえった。

「わかったわ。でも翔太の都合はちゃんときいてあげて。ええ、あの子の好きなように……」

 用件は自分のことかと、ドアノブに手をかけたままだった翔太は、目顔で母に尋ねる。母は小さくうなずくと黙って受話器を差し出した。そのままテーブルの上を片づけ始める。

 父親と息子の会話を盗み聞きするつもりはないという意思表示だ。いつものことだった。

 翔太は、母の耳でぬるくなった受話器を、深呼吸してから自分の耳に押し当てた。

「もしもし。お父さん?」

「ああ、翔太。どうだ、中学は。勉強、難しくないか? 部活はなにに入ったんだ?」

 父は朗らかな作り声でしゃべった。

「別に。部活は……文芸部だよ」

「そりゃあ、いかんな。せっかく中学生になったんだから、青春の汗を流さなきゃ」

 舌打ちしたいのをぐっとこらえた。

 文芸部のどこが悪いんだ。金もかからないし、楽だし、青春の汗なんてクソくらえだと言ってやりたい気がした。

 その翔太の背を母が台所で使う水の音が流れ落ちて、すっと気持ちが冷める。

「他に入りたい部活がなかったんだ」

「そうなのか? なにかやりたいことがあるならお父さんがちゃんと援助してやるぞ」

 なにが援助だよ、偉そうに、という言葉も飲み込む。

「それより用事はなに?」

 離婚したばかりのころは、月に一度は父親に会いに行っていた。

 最初はさびしかったし、自分が子どもらしくかわいくふるまえば、もしかしたらお父さんが家に戻って来るんじゃないかと思って、一生懸命に学校のことや母との生活もしゃべりまくった。

 父も、そうか、そうかと笑顔で聞いていた。

 それも一年と続かなかった。

 翔太はだんだんなにをしゃべったらいいかわからなくなり、父親と二人で出かける先も思いつかなくなってきたのだ。

 遊園地。野球観戦。遠くの観光地。どこに行っても楽しいと思うのはほんのちょっぴりで、義務感の方が増していき、中学に入ってからは一度も会ってない。

「久しぶりに会わないか?」

 父の声が、受話器を通して聞こえた。

「なんで?」

「なんでって……」

 父は一瞬気まずそうに口をつぐんだが、すぐにまた朗らかに応じた。

「中学の入学祝いもしてなかったしな。それと……実はな。去年、おじいちゃんが亡くなったんだよ」

「は? そんなこと聞いてないよっ」

「ああ、うん。でももうずいぶん長く会ってないしなあ。どうせ覚えてないだろ?」

 いつもこれだ、と翔太は暗い気持ちで考えた。

 父親はいつだって自分の考えた自分の都合しか考えない。相手に聞いてみることすらしない。勝手にこうだろうと決めつけて、その結果だけを当たり前の顔で押しつけてくる。

「それでな。夏に初盆をすませたら、あの家は取り壊して土地を売ってしまおうってことになってな。人の住んでいない家はすぐ荒れるし、管理も大変なんだよ。で、その前に荷物の整理していたんだが。おまえあてのものがあったんだよ」

「ぼくあて? おじいちゃんから?」

「そうだよ。タンスの底にあったらしいんだが。それが古い笛でね。こんなものもらってもしかたないかと思ったんだが、みっちゃん――路子おばさんが、手紙まであるんだからおまえに渡してやれって言うからさ。どうだ、会わないか? お小遣いもやるぞ」

 思わずもれそうになったため息を、肩で息をして押し殺した。

 おじいちゃんが亡くなったことも、家を取り壊すことも、勝手に自分あてのものを処分しようとしたことも、全然気に入らなかった。

 もし路子おばさんから言われなければ、連絡するつもりもなかったに違いない。

 でもそんなことをこの父親に言ってもしかたないと、あきらめの気持ちのほうが勝ってしまう。

「わかった」

 なんとか声を絞り出すと、父は楽しそうに日にちと場所を告げて電話を切った。

 翔太も受話器を乱暴に置く。背中に母の視線を感じた。だから後ろを見ないでそのまま自分の部屋に向かった。

 朝起きたままの乱れたベッドの上に、ごろんと転がる。

 不愉快なことは早く忘れてしまうに限る。宿題をしようか、それともゲームでもしようかと思ったが、なにもする気にならなかった。

 ただ心の中が、よくわからない怒りでいっぱいになって、身体から吹き出しそうだった。

「あぁっ、くっそ!」

 一声叫んでから、布団をバスバス殴る。これなら痛くないし、音もたたない。

 ひとしきりベッドの上で暴れたら、気が抜けた。自分がバカバカしくて嫌になる。

 なにか自分にも夢中になれることがあるといいのに。面倒なことを全部忘れてしまうようななにか。

 ゲームでも、スポーツでも、なんでもいい。

 なんにもない空っぽな自分が、嫌だった。


 約束の日。翔太は、駅前の噴水の縁に腰を下ろして父親を待っていた。

 出かける時に、母から渡された二千円はしっかり財布の中に入れてある。

「なにかあったら使いなさい。なにもなかったらとっておいていいわよ。お小遣いとは別だからね。でもムダには使わないのよ」

 母の顔が普段通りでホッとした。

 梅雨の晴れ間で、タイルの照り返しが目にまぶしい。噴水脇の花壇から土のにおいが立ちのぼっている。

「あれ、松本?」

 ぼんやりしてる翔太に声をかけたのは、気まぐれな父親ではなく、村井早希だった。

 目の覚めるようなブルーのTシャツに茶色のハーフパンツの村井は、見慣れた制服姿とぜんぜん違って見えた。

 軽く手を挙げながら、まるで小学生の男子みたいだと思う。

「なにやってるの? 誰かと待ち合わせ?」

 村井の手には、駅前の書店の袋があった。

「ん、まあ……村井は本屋?」

「うん。ほら、この前の里神楽、感動しちゃったからそれ系の本を買って来ちゃった」

 出して見せたのはマンガだった。

「それ系って。マンガじゃん」

「いいじゃない、マンガだって。その中にね、笛の名手が出てくるんだから」

 村井はまた目をキラキラさせていた。

「あれからずっとはまってるの?」

「そりゃあ、もう!」

 元気よく言って、村井が翔太の隣に腰を下ろした。こんなところをクラスの誰かとか、ましてや調子だけはいい父親に見られたら困る。

 が、そんな翔太の内心には全くかまわずに村井は取り出したマンガを広げて見せた。

「ほら、この人! ね? 笛、吹いてるでしょ? すごいの。笛の音で鬼とも交流できちゃうんだから」

「あ、そう」

 確かに、里神楽でも見たような格好をした人が、横笛を口に当てている。興味ない翔太には、ふぅんとしか言いようがないけど、村井は、その人物の笛の音がいかにすばらしいかを語り続けている。

「でもさあ。マンガじゃあ音なんか聞こえないじゃんか」

「聞こえるよっ! こう、目を閉じるとねえ」

 言葉通り目を閉じて見せる村井が、バカバカしくもうらやましい。キラキラした目を閉じていてもキラキラして見える。それなのに。

「そんな訳ないでしょ」

 と、くさしていた。

「えへへ。本当は聞こえないけどね。ああ、また聞きたいなあ、笛の音!」

 しかし村井はちっとも気にした風でもなく、それがよけいに翔太をいらつかせた。

「ならトオルに紹介してもらいなよ。里神楽。後継者絶賛募集中らしいよ」

 投げ捨てるように言ったのに、村井は不意に身体を寄せて、翔太に顔を近づけた。

 ドキッとして尻を浮かせかけると、村井はマンガで顔を隠すようにしてささやいた。

「ねえ、あそこのおじさん、知ってる人? さっきからこっち見てニヤニヤしてるんだけど」

 首を回すと、駅舎の柱に寄りかかるようにしていた父親と目が合った。

「ごめん。あれ、父親」

「松本の? ああ、こっちこそごめん!」

 村井は跳ねるように立ち上がった。翔太も物憂げに立つと、父がニヤニヤしたままやってきて、村井に向かって頭を下げる。

「どうも。翔太の父です。せっかく楽しそうにしているところを邪魔してしまって悪かったねえ」

 こうなっては仕方ない。翔太はしぶしぶ村井を父に引き合わせた。

「同じクラスの村井。本屋の帰りにばったり会っただけ」

「そうか。翔太と……。こいつ中学ではどうですか? ちゃんとやってる?」

 村井は、大きな目をぱちぱちさせて翔太と父を見比べた。

「松本くんは」

 言いかけて、困ったようにあいまいに笑う。

「普通だと思います」

「普通かあ。ははは、君たちの年頃は、普通とか別にとか言ってばかりだよねえ。それは大人向けのポーズなのかな?」

 そうだ。クラスの中で普通だなんて言葉はあまり使わない。

 変なやつ、真面目なやつ、面白いやつ、怒らせると怖いやつ、おとなしいやつ、おしゃべりなやつ、ズルいやつ。

 その場その場で互いに見える範囲で、互いに定義を決めては、たまに違う面が見えると、おおっ! と騒ぐ。

 そこに普通なんてやつはいない、なにもない空っぽの自分をのぞいて。

「そんなのどうでもいいじゃん。用事をさっさとすまそうよ」

 翔太は、いらだったまま父と村井の間に身体を割り込ませた。

「なんだよ。いいじゃないか。笛は逃げたりしないよ」

 父はポンと持っていたカバンをたたいて見せた。

「笛、ですか?」

 うんざりしたことに、そこに村井が食いついてくる。さすが、今一番はまっている笛という言葉は聞き流せなかったようだ。

「うん。こいつのおじいさんの残したものなんだけどね。見てみたい?」

「え? いいんですか?」

 翔太には口をはさむすきもなかった。


 一緒にお茶を飲もうと連れてこられたのは、駅前広場から細い通りに入ったところにある古びた喫茶店だった。多分、翔太だけだったらファミリーレストランにでも入っただろう。

 店内は案外に明るかったが、テーブルに白い布がかかっている。テーブルごとに入り組んだ模様の傘のついた照明が天井からぶら下がり、壁際の棚には、西洋風の人形がいくつも置かれていた。

 一目で子ども連れで入るような店じゃないのはわかった。

 村井は、わぁと声を上げた。

「こんなアンティークなお店に入ったの初めてです」

 父は、そう? と笑ったが、翔太のにらんだところ、その父だって初めて入ったのに違いない。

 まず注文をしてしまおうと言うのでメニューを開いたが、専門店なのかよくわからない珈琲の種類が並んでいた。

「あたし、抹茶クリームあんみつにしてもいいですか?」

 村井が真っ先に決めた。

 翔太はむすっとしたまま、一番下に載っていたリンゴジュースを指さした。

「なんだ。ケーキでもパフェでもいいんだぞ」

 父は言ったが、クラスの女子の前でケーキセットを頼むのも、なにか恥ずかしい気がした。

 手をあげるとすぐに店の人がやってきて、抹茶クリームあんみつとリンゴジュース、それからマンデリンですねと復唱して去っていく。

「マンデリンってなんですか?」

 翔太の代わりに村井が聞いた。

「珈琲豆の種類だよ」

「へえ。駅前のコーヒーショップなんかとはまた違うんですね」

「ははは、ぼくは逆にああいうチェーン店には行ったことがないんだ。なにか注文がややこしい気がしてね」

「あ、あたしも入ったことないです。お姉ちゃんはよく行くみたいだけど」

「お姉さんは高校生かな?」

「大学生です。年が離れていて」

「そう。翔太は一人っ子だからなあ。兄弟姉妹がいるのはいいことだよ」

 驚いたことに、翔太抜きで二人の会話が続いていた。

 イラッとしたが同時にホッとしているのも正直なところだ。父親と二人きりだったらもっと殺伐としていただろう。

「あのさ。笛、はやくよこしてよ」

 話がとぎれるのを待って言うと、父はごめんごめんと頭をかいてから紫色の細長い袋を取り出してテーブルに置いた。

「みっちゃんが言うには、袋の中に笛と一緒にこの手紙が入っていたんだとさ。ほら、翔太へって書いてあるだろう?」

 渡されたのは、習字に使う半紙のような紙だった。筆で書いたのだろうか、確かに「しょうたへ」と読める。

 だが、その字は大きくふるえていて、続きになにが書いてあるのかぱっと見ただけではとても読めなかった。

 まゆを寄せて見入っていると、父は早速運ばれてきた珈琲をすすり、村井にも早く食べないと抹茶ソフトクリームが溶けちゃうよと促していた。

「これ、なんて書いてあるの?」

 しばらくして翔太は白旗をあげた。

「うーん、実はぼくにもみっちゃんにも読めなくてね」

 しかし父はあっさりと肩をすくめる。祖父の残したものにも翔太にも、あまり興味がないのだ、と思った。

「ほら、頭の血管が切れて倒れただろう? あれは翔太が小学校に入ったばかりだったか」

「三年生の時だよ」

「ああ、そうか。その最初の脳梗塞で右手がダメになって、それでもまだ一人で暮らしていたんだよなあ。二回目はそれから一年くらいしてからだったか。もう手も足もきかなくなってさ。口もちゃんときけなくなっちゃったから、施設に移ったんだよな。ってことは、その手紙は一回目の後に書いたんだろうね」

 ふるえているのは、マヒをおこした手で書いたからか、それとも慣れない左手を使ったのだろうか。

 そこまでして残してくれたことに、なにか重いものを感じた。

「ところがさ。電話では言わなかったけど、肝心の笛はこわれてるんだよね」

 父の手が袋のひもをほどき、中から笛を取り出して見せた。

 笛は、赤い漆が塗られていたのだろうが、所々はげて全体にくすんでいた。巻きつけてあったひものようなものも、あちらこちらで切れている。

 なにより裏に返すと、先の方から縦に長く割れ目ができていた。

「これじゃあ吹けないだろう? なにか由緒ある貴重品なら鑑定にだして修理してもよかったんだが、ここまで壊れているんじゃなあ」

 父の声が軽く聞こえる。

 村井は、先ほどまでのおしゃべりをすっかり引っ込めて、黙ってみつ豆を口に運んでいた。

 おじいちゃんが生きていれば、と翔太は思う。

 たとえ口が不自由でも手がうまく使えなくても、なにかこの笛について聞けたかもしれない。

 最初に祖父が倒れた三年生の冬、病院に一回だけお見舞いに行った。でもそのころにはもう、父は半ば家に帰らなくなっていたし、母は仕事を探すのに忙しかった。

 一年半ほどもめて、二人は離婚し、翔太は母と二人で暮らすようになった。その時に、祖父との線も切れてしまったのだ。

「なんで……」

 声がふるえた。

「ん?」

「なんでお葬式に呼んでくれなかったんだよ」

 こわれた笛を握りしめると、手にざらざらと感じた。皮がちくちくと痛んだ。

「おじいちゃんが死んじゃったのって去年のことだろ。今頃になってなんだよ。その前にだってぼくと何度か会っただろ? そのときだっていい。なんでおじいちゃんの所に連れて行ってくれなかったんだよ。なにが野球だよ。なにが遊園地だよっ!」

 自分でも思いがけないことに、父への怒りが口からこぼれだしてとまらない。

「おじいちゃん、そんな悪かったなんて知らなかったじゃないか。施設にだって一回も行ってないじゃないか」

「ああ、悪かったねえ。笛がこわれてるのがそんなにショックかい?」

「違う。そんなことじゃなくて」

「おじいちゃん、施設に入った時にはもうろくにコミュニケーション取れなかったしなあ。行ってもしかたなかったって。どうせ寝たきりで口もきけなかったんだし」

 なだめるような見当違いの父の言葉が、憎い。

 言い返す言葉を探したけど、頭の中がぐるぐるして、これ以上口を開けたら泣いてしまいそうだった。

 翔太は黙って笛を袋に納めると、朝、母からもらった二千円をテーブルにたたきつけるように置いて、アンティークな喫茶店から逃げるように出た。

 村井を置いてきてしまったと思ったのは、駅の中を通り過ぎてからだった。悪かったかなとちらっと思ったが、どうでもいいと首をふる。

「松本!」

 しかしその村井の声が後ろから響いてふり返ると、村井はポニーテールをぴょんぴょんはねさせながら駆けてくる。

「忘れ物! ほら、大事なもの!」

 はぁはぁ息を切らせた村井が差し出したのは、四つ折りにしたあの手紙だった。

「あと、お金。松本のお父さんに押しつけられちゃったからもらってきたよ。はい」

 村井の手に握られたお札を翔太は顔をしかめて見つめた。

「いらない。返してきて」

「ええっ、無理だよ。もう帰るって、きっと電車に乗っちゃったよ」

「じゃあ、やる」

「はあ? 嫌だよ。困るよ」

 村井のまゆ毛が八の字になった。

 翔太はしぶしぶお札も受け取り、手紙と一緒に財布にしまう。

 むっつり黙ったまま南口のバスターミナルに向かう翔太の半歩後ろを、村井はついてくる。

 当然だ。同じバスに乗らねば帰れないのだから。

「あのさ」

 村井が小さく話しかけてきたのは、バスに乗ってからだ。一番後ろの座席の両端に座っていたので、うっかりすると聞き逃しかねない声だった。

「よく、事情っていうか、わからないんだけど。でも」

「離婚してんだよ、うち。松本は母親の名字。前は小野田だった」

「ああ、うん。そうなんだ」

「直接はなにがあったか、よく知らない。あいつが二つ目の会社をやめたいって言い出したころからケンカばかりでさ」

「うん」

「今は三つ目の会社で働いてるはずだけど、また、やめてたりしてね」

「そう」

「勝手なんだよいつも。大人なんてさ。勝手に決めて、後でこうなったからって言って、ふり回して」

 胸のあたりに大きな固まりがつかえているみたいで、息が苦しい。

「あのね。あたしが言いたかったのは、ね。その、笛と手紙、松本のところにちゃんと渡ってよかったねって思って。おじいちゃんからなんでしょ」

 翔太はぎゅっと笛の入った袋を握りしめた。

「なんか偉そうでごめん。でもよかったじゃん」

「うん」

「亡くなったおじいちゃんも、ホッとしてるよ、きっと」

「うん」

 長い座席の向こう側から、ポンとなにかか膝に投げられた。黄色いひよこがプリントされたハンカチだった。

 泣いてるのかとあせる。

 こんな幼稚園児みたいな女子のハンカチなんか使えるか、と思ったけど、涙がぽたんと拳の上に落ちて、あわててハンカチでぬぐった。柔らかいガーゼでできたハンカチだった。

「あの手紙。読みにくかったけどさ。落ち着いてよく見たら解読できるんじゃないかなあ。それに笛もさ。詳しい人に……ええっと、野崎のおじいちゃんとかに聞いたらいいかもしれないしさ」

 そっと横目で見たら、村井は窓わくにひじをついて窓の外をながめていた。

 泣き顔、見られただろうか。

「おせっかい、言ってるよね、あたし」

 声を出したらまた涙が出そうで、黙って首をふる。

「あ、次、あたし降りるから。じゃあね。また明日」

 村井は降車ボタンを押すと同時に前の方に移動して行った。走行中は移動するなって書いてあるじゃんと思ったけれど、これ以上泣き顔を見られなくてすんで、密かに感謝した。

 ずっと握りしめていた笛の袋は、すっかり暖かくなっていた。

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