人格参照用:本編の切り抜き

「一ノ瀬アザトです。出身中学は、ありません。3年間、殺人の罪で少年院にいました。斯様な腐れ外道ですが、ご迷惑をおかけせぬよう尽力します。皆様どうか、宜しくお願いします」


 空気が、凍り付いた。その理由が分からないアザトではない。だから。


「冗談です。以上」


 つきたくもない大嘘をついて、アザトは椅子に座った。


 そうして、多少の波乱はあったものの自己紹介は粛々と進み、ようやくクラスの半分の自己紹介が終わろうという頃。


「竜神ツバキです。よろしくお願いします」


 明るくはきはきとした自己紹介に、約一名が凄まじい勢いで振り返った。


 むべなるかな。彼はその名前を後輩だと思っていたのだ。クラスメイトであるはずがないと、そう思っていたのだ。


「一ノ瀬クン、どうかした?」


「いえ、取り立てては」


 ミユキの問いに否定を返しつつ、アザトは状況を整理する。


(認識の齟齬、ということだろうか)


 ……まあそうだよね。


 アザトは中学生であったことがない。だから、『今年高校1年生』という意味でツバキに自己紹介した。一方のツバキは、『高校入学(式)前』という意味で中学3年生と言ったのだろう。


 中学3年生の身分は3月31日で喪失するはずだとかそういう議論を持ち込み、どちらが正しい表現を使ったか、などという責任の押し付けをするつもりは、少なくともアザトにはなかった。


(だが、学級が同じであることは好都合だ)


 ……なんで?


(昨日の暴言、正式に詫びねばならないと思っていたからな。探す手間が省けた)


 ……そうね。あのくらいなら、十分、謝って済む問題だから。


 励ますような守護霊の口調が、今はありがたかった。

 謝って済む問題ではない罪を犯してしまったアザトにとって、謝って済む問題なら謝って済ませておくに越したことはないのだ。


 もっと重大なことに、時間を割けるから。


 ホームルーム終了後、解散、放課を言い渡されると同時に、アザトはツバキの席に向かった。


「あ、先輩」


 開口一番、笑顔の花を咲かせたツバキはアザトをそう呼んだ。そういう認識なのだろう。それを改めることもいずれ必要だろうが、今優先すべきはそこではない。


 アザトはその場に崩れ落ちるような速さで両手両膝を地面につき、叩きつけるような勢いで額を地面に押し当てた。


「竜神さん、昨日は、本当に済まなかった。自己嫌悪のあまり、聞くに堪えない雑言を並べ立てたように記憶している。俺が俺を軽蔑することと、君が俺をどう見るかなど無関係だという当然のことさえ忘れ、自儘に暴言を吐いた無礼、心の底から恥じている。本当に申し訳ない」


 その状態ではっきりと相手に聞こえる声量で、己の罪状を読み上げた。


「え、あの、先輩、顔を上げてください!」


 などと言いつつツバキがアザトの前に屈みこんだのは、無意識の動作だった。


 ツバキからすれば知人が近寄ってくるなりいきなり土下座をかましたわけで、この狼狽は当然のものと言えよう。だが。アザトの正面に屈みこんだのは失策だった。


「俺は、果たして本当に顔を上げてよかったのだろうか」


 『ある一点』を注視しつつ、アザトは誰にともなく訊ねた。


「え?」


 アザトの視線を追いつつ、ツバキは間抜けな声を上げた。


「イチゴ柄の布地が見えているのだが」


 その言葉を聞いてからの、ツバキの行動は迅速だった。


「きゃあああああああ! 先輩のエッチー!」


 スカートを押さえつつ立ち上がり、未だ両手を地面についているアザトの頬に振り下ろすはビンタ。


「ぶふっ!」


 それは的確にアザトの頬を張り、逆向きの見事な紅葉を張り付けた。


 斯くして一ノ瀬アザトは、『ドスケベダブリ』の称号を得たのであった。


(ドスケベはともかく、何故ダブリなのだ)


 ……先輩って呼ばれてたからでしょ。


(風評被害だ!)


 本人はその称号の、後半部分『のみ』を最後まで否定し続けたという。



「えっち。すけべ。へんたい」


「返す言葉もない」


 帰路。二人並んで歩きながら、アザトはツバキの弾劾を甘んじて受けていた。


「私は怒っています、先輩」


 まだアザトを先輩と呼び、敬語を使いながら、ツバキは頬を膨らませて見せた。


「そうだろうな……」


 ともすれば神経を逆撫でしかねない同意を返しつつ、アザトはひりひりと痛む頬をさすった。


「埋め合わせに、一つお願い聞いてください」


「何でもとは言えないが、可能な限り実現しよう」


 どうしても受け入れようがない願い事というものもある。だが、女子生徒のスカートの中を故意でないとはいえ見てしまった今、可能な限りの誠意は見せようとアザトは考えていた。


「先輩のことが、もっと知りたいです」


 それはアザトにとっては罰たりえる程度に苦痛で、しかし拒絶するには足りない、今のアザトへの嫌がらせとしては最適解と言える願い事だった。


「君がそう言うなら、是非もない。そうだな、俺が殺した人の話をしよう」


 最も自分が苦しむ話題をあえて選び、アザトはため息を一つついた。


「良いんですか? 辛く、ないですか?」


 そんなアザトを気遣って見せるツバキに、アザトは精一杯の笑顔を作って見せた。


「償いはいつでも辛いものだ。だが、償えないよりずっとましだ」


 償いうるならば、償う。償いえないならば、横車を押してでも償う。

 一ノ瀬アザトはそういう人間であった。

 今もまた、アザトは己の全てをかけて償うために生きている。


「……先輩は、優しいんですね。……私も、知りたいです。優しい先輩が、どうして、人を殺しちゃったのか」


「長くなる。そこの喫茶店に入ろう」


 アザトは言いながら、ちょうど目についた喫茶店を指さした。


 飲み物を注文して受け取り、店の奥にある周囲に人のいないボックス席に陣取る。


 注文したアイスコーヒーを氷ごと一息に呷り、噛み砕いて胃の腑へ落として一つ息をついてから、アザトは口を開いた。


「俺には、双子の姉がいたんだ。俺と姉は、異性への感情という意味において異常だった。両親の目を盗んで近親相姦したこともある程度には、な」


 最初に口から出たのは、死者を愚弄する言葉。だが、これこそが消えない罪の源泉なのだ。言わないわけにはいかない。


「12の夏だったか。その姉が、殺してくれと泣いて頼んできたんだ。愛しているなら、殺して証明してくれって。俺のままの俺が、姉のままの姉を殺すことで証明してくれって。意味が分からなかった。それでも俺は姉を殺した。なんでか分かるか?」


「分かりません」


 酷薄な笑みを浮かべて問いかけるアザトに、ツバキは首を横に振って見せた。


「俺はな、最愛の姉から、愛していないと思われることに耐えられなかったんだ」


「それで、先輩はずっと自分を責めているんですか?」


 ツバキの問いかけは、アザトにとっては的外れに過ぎるものであった。


「責める? そんな自慰行為に興味はない。ただ償う義務を感じ、償う方法を探しているだけだ。まあ、償う方法が見つからないことに苛立ってはいるが」


 確かに、外から見れば自分を責めているようにも見えるだろうが、それは償うための、その方法を探すための手段に過ぎない。


「そう、ですか。なんでだろう、先輩のこと、見直しちゃいました」


 そう言ったツバキがカフェオレを口に含むのを見て、アザトは首を傾げた。


「今の話に見直す要素があったか?」


 ツバキも、アザトに合わせるように首を傾げた。


「ないですね。先輩はシスコンの変態なのに、どうして……」


 言いたい放題であった。

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