1日目、第1試合、前編
はるか上を覆うのは白い天井だ。そこに点々と、星とは違う灯りが見える。
あれは何かと尋ねたら、風や太陽光では不平等になるため閉じました、と返された。
つまりあの光は、ここでは説明するまでもないような当たり前のものなのだろう。
その光に照らされる周囲をにざわめくのは溢れんばかりの観客たちだ。老若男女、色とりどりのいでたちで思い思いに騒いでいる。
だがそんなこと、瑣末なこと、私には関係ない。
……いや、それは嘘だ。
心の奥底には沸き立つ欲望がある。
彼ら全員も救済したたい。彼ら全員に治療したい。彼ら全員を去勢したい。
疼く体を抑え込み、平常を装う。
こちらの世界に来てからここに立つまでの間、隙あらば救い、治療し、去勢した人数は1グロスに届く。
それで十二分、満たされてた筈だった。
なのに乾くのは、ガラにもなく緊張してるからだろう。
まぁ、いい。ならばさっさと終わらせてまた町にでよう。救われるべき人がまだまだ沢山いるのだ。去勢せねば。
大地を踏みしめ改めて、向かいに立つ対戦相手を観察する。
……相手は、少女だった。
金髪、無表情、その整った顔立ちは男女どちらでも美形と呼べるだろう。だが閉じたつま先からイチモツがないと知れる。統計的に少女だろう。
幸先としては良くはない。
女性の去勢は、何度も試みたが上手くいった試しがない。
男性とちがい、女性はその大半が腹部にあるため、取り出すにはヘソのあたりから引き裂いてつかみ出さねばならないのだ。そして多くの場合は内臓も溢れて助からない。わめき散らして救われなぬまま死に至る。
何度練習してもこればかりは上手くできる気がしなかった。
しかし、こんなところにわざわざ参加するような人ならば、頑丈さにも優れているのだろう。
何よりもここは異世界、あっちでできなかったこともこっちならできるかもしれない。
少女は、鎧は着てないようだ。代わりに白いワンピースに、手足、それと首何か装飾品、おそらくはアーティファクトの部類だろう。手には武器の類は見えないが、隠し持ってる可能性は十二分にある。
それに、ここは異世界、未知なる力も用心せねばならない。
なら、戦略は一つしかない。全ては最初で決まる。決めねば勝てない。
と、音楽が鳴り出した。
観客たちが騒ぎ出す。
大きく響く声がそれらをかき消しながら訳のわからない単語をまくし立てている。
その中で聞き取れた一言、根切羅刹、己の名前にこれが観客への紹介だと理解した。
そして続く一言、エルエール=バルルード、それが彼女の名前らしい。続く単語はやはり意味不明だが、必要ない情報だ。
音楽が盛り上がる。観察も盛り上がる。
沈黙……静寂……そしてゴングが響いた。
▼
開始の合図、試合の始まり、だが急いではならない。
あくまで自然体で、ゆっくりと、当たり前のように歩いて距離を詰め、少女に右手を差し出す。
握手、という風習はこの異世界にも存在していた。そしてこの殺伐とした殺し合いでも、相手を尊重するという意味で握手を求めるものはいる、とこちらに来てちょうど百人目に救った男に確認してあった。
ならばこの動作は握手を求めているように見えるだろう。
これが罠だ、と少女が見破る前にもう一手、私はつまずいて見せた。地に引っ掛けて、前のめりに、足も間に合わない、というふうに、だ。
お互いの距離はまだ遠く、倒れて伸ばした手がまだまだつま先に届かないだろう、と少女は見てるだろう。見えてるはずだ。
多くの場合、目の前で人がつまずいたのなら、取る行動は二つしかない。
助けるために前に出るか、逃げるために後ろに引くか、だ。
前に出るのは良い人だ。そういう人こそ去勢して救うに値する。
後ろに引く人は問題がある。そういう人は去勢して治療せねばならない。
それで、少女が選んだのは、後ろに引くことだ。ならば去勢せねばならない。
大きく一歩、後ろへと下がりできた距離は、一見安全に見えるだろう。そう、私が見せたのだ。これが私の唯一の戦略だった。
私は、私の腕が異様に長いことを自覚している。
だからそれで相手を怖がらせないように努力してきた。肘を曲げ、引いて袖の中に隠し、大きな手も目立たないよう曲げてしぼめてある。
そして伸ばせば、常人の三倍は間合いが伸びる。
これに多くのものたちは見誤ってきた。この少女も、見誤った。
差し出していた右手が伸ばされ伸びる伸びる。
狙いは一つ、地を蹴って残った右足、そのつま先だ。
伸ばした手の指の先で押して潰す。これで小指の一本でも潰せればそれだけで相手の機動力は潰れる。そうなればだいぶんと楽になる。
格闘家ではない私が取れる最善手は、初手奇襲からの機動力潰し、からの去勢、の一択しかなかった。
だが勝機は高い。この挨拶を装った奇襲は大人も子どももどちらでも引っかかる。
そして最初は卑怯だなんだと喚き散らすが、その全員が去勢をすれば大人しくなる。少なくとも長々と恨まれた経験はない。
去勢は、人を優しくもするのだ。
いくつもの去勢を助けた私自慢の戦略……だったのに、今回は逃げられた。
私の指の先が触れるより先、少女のつま先は遠くへ引いていったのだ。
その動きはまるで引き上げられるような、まるで飛んでいるような動きだった。
不自然な動き、これはやはり魔法、あるいは未知の力だろう。それで距離を離されれば、次の手がないこちらに勝機はない。
つま先に触れられず、地を触れた右手の指先に力を込めて食い込ませ、私の体を引き寄せる。逃せない。
詰まる間合い、左手が届く距離、迷わずその腹へと突き出す。
……それに少女は反応した。
腕を腰の後ろへと回す動作、そこから何かされる。嫌な予感、何かは想像もつかないがされるのはよろしくない。
ならばもう一手、虚を突くために己の舌先と両方の頬の内側の肉を食いちぎる。
広がる血の味、千切れた肉の舌触り、ほんのちょっぴりの痛みを含め、口をすぼめて少女の顔へ、その嫌悪とも恐怖とも取れる去勢への無理解な表情へと吹きかける。
顔をしかめ逸らす少女、産み出された致命的な隙に、迷わず手を伸ばす。
その顔、視線がこちらに向き直るその前に、私の両手が間に合った。
静かに、抱き上げるように、まるで手を合わせるように、私の両手が少女の両肩をそっと掴んだ。
布地の上から感じる硬い手応えは肩の関節だろう。下に鎧の類も、魔法の防壁の類もないようだ。
ならばこれで去勢は確定した。
あとはこのまま握り、潰し、肩を壊し、叫ぶ顎を引き抜いて、悶える逃げ足をへし折って、それからゆっくりと時間をかけて女性の去勢を練習すればよい。
あぁ、去勢ができる。
思わずほころんだ口元から、涎のように血が流れ出た。
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