第2話 大好きな兄の恋人

 ある日、兄が帰ってくるという手紙が届いた。

 両親にも帰還を知らせてくれとも。


 びっくりしつつもそのとおり、両親に知らせにいった。なおこのころのせいと両親は、必要なことならばある程度会話をするくらいの関係に落ちついていた。

 清喜から兄の帰還を知らされた両親は驚喜した。ついでに母は、縁談を持ちかけている家に駆けていった。

 大丈夫かな……と思いつつ、清喜は久しぶりに帰ってくる兄のために、部屋を掃除してやっていた。



 帰ってきた兄は弟から見ても、風采ふうさいが上がっていた。

 そんな我が子を、母はれ惚れとした様子で抱きしめていた。父も満足そうに眺めていた。

 清喜はちょっと離れたところから、兄の背後に恋人が隠れているのではないかと、いろんな角度から確認していた。

 しかしそんな気配はどこにもなかった。



 久しぶりに家族で囲む食卓は、おおむね和やかなものだった。

 両親は幸せそうで、兄も穏やかに微笑んでいた。

 清喜だけ兄の恋人が窓の外に潜んでいるのではないかと、そわそわしていた。

 兄からの手紙を読んでいる限り、そういう突飛なことをしでかしそうな人物だったものだから。しかも大真面目に。


 しかしそんなことはやはりなく、代わりに兄が衝撃的なことを言った。

 食事を終えたあと、兄は「話がある」と言って、こんな話を切りだした。


 自分が死病に冒されたこと。

 って数か月だということ。


 いつも気の合わない両親であったが、このときばかりは清喜も彼らと同じ反応をした。驚愕きようがく、悲嘆。

 中でも母のそれは激しく、めまいを起こしてその場に倒れ伏した。そのため、話は翌日に持ち越されることになった。


        ※


 兄は久々に入る自室を、懐かしげにぐるりと見回した。

「この部屋も久しぶりだなー」

「兄さん」

「そのわりに、ずいぶん片づいてる。お前、掃除してくれた?」

「兄さん!」

 声を荒らげる清喜に、兄は苦笑いした。

「母さんがよく眠れないから、そんな声出すなって。ま、ちょっと座りな」

 

とりあえず兄に話してくれるつもりはあると思って、清喜は素直に示されたところに座った。

 その横に兄が座り、ぽつりぽつりと語りはじめた。


「三か月くらい前だったかなあ……弓を射るときにちょっとだけ狙いがぶれるようになって」

 とはいえそれは本当にほんのちょっとのぶれだったので、兄は特に気にしなかったのだという。

「でも、あいつは早く医者に診せろって言った」

 兄にしてみると、笑い話のつもりだったという。年をとって目が悪くなったに違いないと話すと、恋人は表情を厳しいものにしたのだとか。

「でも忙しくてなかなか行けなかったんだよ」

 ようやく重い腰をあげたときには、もう手遅れだったという。

「というか……早めに行ったとしても、きっと治らなかっただろうとは言われたんだけどな」

 その点では遅く行ってよかったかもしれないと、兄は笑う。死の恐怖を感じる期間が短くなったから。

「恐い……んですか?」

「恐いよ」

 兄は吐きすてるように言った。

「すげぇ……恐い」

 そして、歯を食いしばってうつむいた。

 清喜はただただ混乱するばかりだった。

 なんでこんなことになっているのかとか、あの兄がこんなふうに泣くことになるなんてとか……何一つ整理できないなか、清喜が発することができたのは、夕食のときから抱えていた疑問だけだった。

「恋人はどうしたんですか?」

 兄は言葉少なに答える。


「別れた」


 まさか捨てられたのか……という思いが清喜の脳裏に浮かんだ直後、

「あ、勘違いするなよ。俺が振ったんだからな」

 先読みした兄が訂正した。


 清喜はほんのちょっとぽかんとして……思わず声をあげた。

「なんで振っちゃったんですか!?」

「声。母さん」

 兄は声量を落とすようもう一度注意すると、

「だってあいつ、多分自分を責めるから」


 きっと、無理やりにでも医者に診せればよかったと思うに違いない、と兄はきっぱり言った。


「そしたらあいつきっと、俺の人生の面倒をさ、背負いこもうとする。俺の三倍くらい男前だから」

「そんな人なんですか……?」

 そんなことまでは文面からは読みとれなかった清喜は、恐る恐る問いかけた。

「そんな人だよー」

 すると兄はなんだか妙にうれしそうに答えてきた。

「思い切りがな、すごくよくって」

「はあ」

「で、失敗したらしたで、『まいっか』とか言いながら、責任はちゃんと全部自分でとるの。そこが……」


 急に始まったのろけ話に、清喜はため息をつきながら言った。

「兄さん……その人のことすごく好きだったんですね」

「ん……、大好きだなー」

 兄は、じりをちょっとだけ染めて、幸せそうに笑った。


「これから……どうするつもりですか?」

「ん? あさってには帰るよ」

 てっきりこの家で療養すると思っていた清喜は、思わず声をあげた。

「は!?」

「声、声」

「あっ、はい……なんで。病気なのに」

「病気だからだよ。このまま病死しても、この家から金が出てくだけで、かけらも入ってこない。だから戦死して報償もらったほうがいいと思って。で、それはお前にのこす」

「そんなこと、頼んでないです」

「俺のほうが頼むんだよ」

 そう言って兄は、清喜に頭を下げた。


「父さんと母さんのこと頼む。お前にとってはいい親じゃなかったけど、せめて死んだときの面倒だけは見てくれないか。俺の報償で墓を作ってくれ」


 それが兄の最期の頼みだとわかったから、清喜は無言でうなずいた。


        ※


 翌日、兄は庭の炉で片っ端から手紙を燃やしていた。

 清喜が隠していた、恋人に関する手紙だ。


「なにも燃やさなくても……」

 横で手伝いながら、清喜はぼやいた。

 手紙は清喜にとって、兄の分身のようなものだった。燃やせば燃やすほど、兄という存在がこの世から減っていくような気がする。

「あいつについて書いてるぶんだけだから、許せって……これで終わりか?」

「いえ、まだこれだけあります」

 かなりの大きさのかごをどさっと置くと、兄は目をいた。

「俺、あいつについて、こんなに書いたのか!」

 自覚はなかったらしい。

「全部燃やすのたいへんですから、もうやめたらどうですか?」

「いや。あいつについてのは、全部持ってく」

「結局……名前、教えてくれませんでしたね」

 兄はせがんでも、恋人の名前を教えてくれなかった。

「もう俺とは関係のない人間だ。お前とはますます関係のない人間だからな。知らなくていい」


 兄の言うことは正しい。

 それに兄は、自分たち家族の恨みが、恋人に向かうのを恐れているのだろう。そこまで大事な人だったのだろう。実際、清喜はともかく両親の耳に入ったら、彼らはよけいなことをしかねない。


「あいつを幸せにしてやりたかったな……あいつはどうやって幸せになるのかな。一人で幸せになるのかな、誰かと幸せになるのかな」

 恋人の手紙をすべて燃やしおえたあと、兄は灰をかきあつめながら、どこかぼんやりとした様子で言った。


「誰かと幸せになるのはすげぇ嫌だけど、幸せになってほしいなあ」

 その言葉はずっと清喜の心に残った。



 翌日、兄は帝都へ帰っていった。

 翌月、兄は国境付近で戦死した。



 遺品を前に、清喜は兄から病気について告白されたときのように、両親と同じ反応をした。

 ただひたすら、泣いた。

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