営業は枕と共に

 ここは、オークの集落。森の中には似つかわしくない高層ビルが立ち並ぶ大都会だ。人間たちは「知性の無い脳筋豚野郎」と俺達のことを誤解しがちだが、現代のオークは従来のものと比べて知識を深めて商売を手掛け、莫大な富を得て生活水準も千年前に比べて高くなっている。人間同様に教育機関があるし、洞窟暮らしではなく、ちゃんとした家を持つオークがほとんどだ。そんなわけで恵まれた暮らしをしている俺たちだが、金を持つ者には決まって悪徳商売人が擦り寄ってくる。俺もまた例外なく彼らの標的にされてしまった。

 戦士ギルドの任務で、人間討伐をして得た大金を叩いて購入した邸宅。広々とした空間には当然俺一人しか住んでいない。別に独り身で居たいという訳ではなく、寧ろ縁が無くて困っていた。ギルドの仲間たちは次々に結婚して幸せな家庭を築いているというのに…周囲の話を耳にする度に焦りが少しずつ募っていった。

 ある日、ネットで婚活イベント情報を探していると、ピンポーンとチャイムが鳴り響く。手を止めて玄関に向かい、入り口の監視カメラの映像を見ると、谷間をはだけさせたスーツ姿のサキュバスが立っていた。整った顔立ちで、見ているだけで胸がドキドキするのは、彼女の種族の性質によるものだろう。カメラ画面の下のボタンを押してマイクをオンにして、ひとまず彼女に話しかける。

「どちら様でしょうか?」

「すみません、私、『疾鯉生命しつこいせいめい』という保険会社の者ですが…。」

何となく予想はしていたが、やはり保険のセールスレディーだったのか。せっかくの美人さんの訪問ではあるが、別の会社と既に契約していたので、断ることにした。

「ごめんなさい。うちは間に合ってますので、お引取り下さい。」

「そんなことおっしゃらずに、お話だけでも。」

サキュバスは目に涙を溜めるように潤ませてカメラを覗き込んできた。このまま彼女を突っぱねて帰すのも可哀想だと心が揺れて、俺は玄関のドアを開けてしまった。たださすがに中に通すのは憚られたので、玄関に腰を据えて話を聞くことに。

「ワガママを聞いてくださりありがとうございます!それでは我が社の保険の特長について…。」

魔法で書類を数枚呼び出し、丁寧に保険の解説をしてくれるサキュバス。彼女には申し訳ないが、話を聞いて尚のこと今契約している方が良いということが分かった。

「でありますから…」

「あの、ここまで話を聞いて確信したのですが、やはりお宅とは契約できません。申し訳ないですけど。」

「えー…?そんなぁ…。」

サキュバスは再び目を潤ませて懇願してくるが、俺の意思は変わらなかった。

「申し訳ありませんが、お引取りを…」

「待って下さい!契約してくれたら、色々とサービスしちゃいますよぉ?」

彼女は突然表情を一変させ、艶のある厭らしい視線を送った。人差し指を口でしゃぶり、胸の谷間を広げて見せ付けてくる。

「あふぅん…。女性の体、興味あるでしょう?」

俺の劣情を湧き起こすようにしゃぶっていた指を口から離し、ゆっくりと俺の唇に近づける。しかし湿った指が俺の口元に届くことは叶わなかった。俺は彼女の腕を掴み、妖しき誘惑を断った。

「悪いが、全てのオークが枕営業に乗っかると思ったら大間違いだからな。さっさと帰れ。」

「あん!とか言っちゃって、無理してなぁい?」

サキュバスはもう一方の手で俺の腹部を擦り始める。それも空いた手で払い除け、完全に拒絶した。

「だからやめろって。あんたがどれだけ誘っても、それには乗らないし、契約だってしない。」

掴んでいた手を離すと、彼女は手首を擦りながら考えるように口を尖らせた。それからすぐに次の一手を思いついたようで、自分の目を指差す。

「それじゃあ、これだけ!私の目をじっと見て!最後にあなたの綺麗な瞳を見て行きたいの。」

これが終われば帰ってくれる。保証は無いが、言われた通り、サキュバスの瞳をじっくりと見つめる。整った顔立ちは確かに美人で直接目を合わせるのは少し照れ臭かった。

「今だ!えーい!!」

彼女としばらく目を合わせていると、サキュバスは不意に掛け声を上げて目を見開く。それと同時に彼女の瞳の奥から桃色のオーラが発せられ…。

「うふふ、魅了魔法に掛かった今、あなたは私にメロメロ。さぁ、契約を…」

「そういう魂胆か。姑息な真似しやがって。」

「えっ!?あれ!?」

困惑するサキュバス。術など喰らうはずも無い。右人差し指に嵌めている装飾品の指輪は、あらゆる状態異常を無効化する天下の逸品、セーフリングなのだから。それに気付くことも無く、彼女は酷く狼狽し、あわあわと次の一手を摸索する。慌てようから察するに、今のが最後の切り札だったのだろう。それでもまだ粘ろうというのだから、これは彼女の中の攻略法を元から潰さないといつまでも帰ってくれなそうだ。独り言をブツブツと呟くサキュバスに、俺は色攻め封じの一手を打った。

「さっきから勘違いしているようだが、俺は男にしか興味ないから。すまんね。」

必殺の呪文は効果覿面、サキュバスの思考は完全に止まってしまったらしい。口を開けて固まる彼女の体を外に追い出し、再び鍵をかけてパソコンいじりに戻った。

 翌日、ソファーに座ってコーヒーを飲みながら、気になった婚活イベント情報を印刷したものを眺めていると、チャイムを鳴らす音。紙をソファーに置き、玄関に向かう。監視カメラの映像を覗くと、紺のスーツ姿の髪の長いイケメンが立っていた。あれはインキュバスか。正装の淫魔という共通点に、昨日のトドメの一言…嫌な予感しかしない。画面下のボタンを押して一応話しかけてみる。

「どちら様でしょう?」

「お世話になります。『疾鯉生命』という保険会社のものですが、少しお時間を頂けないでしょうか?」

やっぱりそうだ。あのサキュバス、女では駄目だと踏んで、同じ会社のインキュバスに枕を引き継がせようと差し向けてきたな。奴と同じ会社の保険員となると…試しに断りの言葉を掛けてみる。

「すみません、うちは間に合ってますのでお引取り下さい。」

「そんなこといわずに、少しでいいから僕の話を聞いてくれよ子猫ちゃん☆」

誰が子猫ちゃんだ。カメラに向かって魅惑のウインクを投げかけるインキュバス。俺がメスのゴブリンだったら即落ちしていたかもしれない…いやそうでもないか。

「申し訳ありませんけど、男性には興味ありません。お引取り下さい。いつまでもそこにいると、警察呼びますよ?」

「え?でも君って確か女性に興味はないは…」

マイクボタンから手を離し、リビングに戻ってソファーに座る。営業マンを放置して30分、一度様子を見に玄関に行くと、諦めたようでインキュバスの姿はなくなっていた。

 更に次の日、イベントへの参加を決めて、参加登録を済ませた俺は、カレンダーのイベント日に目印の丸をつけていた。イベント名を空欄に書いていたところでチャイムが鳴る。昨日一昨日と同じ時間にこのチャイム。溜息をついて玄関に向かい、カメラ映像を見ると、二次元萌えキャラを3D化したような人間の少女がカメラに向かって手を振っていた。少女はセーラー服を纏い、短いスカートから覗く太ももを強調するようにギリギリまで布をたくし上げる。

「誰ですか?」

「あっ、お兄ちゃん!この前はずるいよ☆好みを偽って、うちの上司も困ってたんだからねっ!ねえ、今日はあたしの話、聞いてくれるよね?ね、お兄ちゃん?」

「帰れ。」

声の感じからして最初にやってきたサキュバスが扮しているのだろう。それにしてもオーク相手の商売だというのに、人間の女に変身するとか、やる気あるのかこいつは。まぁ、人間を恋愛対象にするオークも少なくは無いが。というかリアルで駄目なら二次元でという発想がおかしい。いや、それ以前に枕に拘らずにやり方を変えて、ついでにターゲットも変えてくれたらいいものを。リビングに戻ってカレンダーとのにらめっこを再開する。放置された妹属性の保険売りは、10分ほどドアの前でワーワー喚いて、さらに10分ほどチャイムを連打するという悪行に及び、30分が経つ頃にはすっかり諦めたようで静かになった。ほんと勘弁してくれ。

 翌日、昨日と同じ時間、同じタイミングで俺は玄関のカメラ映像を見ていた。案の定、彼女はめげることなく姿を現した。今日の彼女は斑模様の猫の着ぐるみを着て、その腕に可愛らしい黒猫を抱いていた。これはもしや…。

「…また来たの?」

「来たにゃ!ニャーは御主人にゃまに幸せにな…にゃって欲しくて、こうして保険契約を勧めに来たんだよ…じゃなくて来たのにゃよ!」

なりきり演技が甘すぎる。もう少し噛まない程度に練習してから来いと言いたい。いや、もう来ないで欲しいんだが。

「猫に興味はありません。お帰り下さい。」

「こんなに可愛いのに?」

「帰れ。」

「犬派?」

「そういう問題じゃない。」

「分かった!スライム娘フェチ!」

「いい加減にしろ!!」

結局こちらが反応を示すと、彼女は調子に乗ってあれこれ契約の話に持っていこうとするので、途中で放置してやり過ごした。

 その後も一週間ほど彼女はしつこく俺の家を訪問して来たが、応対しなくなったのが効いたようで、7日目を最後に姿を見せなくなった。ようやく平和が戻り、ホッと一息ついた俺は、週末に控えた婚活イベントに胸を躍らせた。

 イベント当日、礼装を着て会場となる南平原にやってきた。会場に着くと椅子やらテーブルやら話のつまみの酒と軽食やら…すっかり準備が整っていた。参加者も疎らにやって来ていて、同じオークだけでなく、水生のマーマンや砂漠地帯のゴーレムなども見られた。イベント開始まではまだ時間がある。今いる参加者たちは、この機会を無駄にしまいと積極的に気になる相手に声をかけていた。彼らに倣って俺も動くとするか。

「あら、こんにちは!」

声をかける女性を探していると、背後から女性の気配。振り返り、初めの交流に胸を躍らせていた俺は、言葉を失ってしまった。

「あなたも参加していたんですね!丁度良かった!」

目の前には幾度となく自宅に押しかけてきた保険販売員のサキュバスがいた。彼女も仕事のときとはまた違った正装を着て、このイベントに参加をするようだ。

「仕事に没頭し過ぎて、気付けば周囲の女子は皆寿退社。二日目にあなたの家に来たうちの上司に、こういうイベントがあるから出てみたらって言われて来たんだけど、こういうイベントで相手を探すのって気が引けたのよね…。でも、丁度顔見知りで、私が気になっていたあなたが居てくれて助かったわ!」

サキュバスは固まる俺の腕に抱きつき、拘束する力を強めた。営業の時とはまた違った笑顔を向けられ、思わず顔が熱くなる。今日もセーフリングをしているから、魅了状態にはならないはずだが。

「私、仕事だけじゃなく、恋愛も粘り強くてしつこいですから!覚悟して下さいね!」

屈託の無い澄み切った彼女の笑顔に負けて、その日はずっと彼女と共にイベントに臨んだ。

 彼女と過ごすひと時は、初めて出会ったときとは違い、温かく心地良いものに感じた。今回は彼女に軍配が上がりそうだ。


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