第6話 私と彼、その関係

 スポーツドリンクを注いでもらったコップを受け取り、ちびちびと喉に通していく。いつもならすぐに飲めているだろう量は喉でつっかえ、無理やり流し込んでいる状態だ。体調不良というのはもちろんの理由だが、居心地の悪さというのもある。

 ベッドの隣、私が普段使っている椅子に座る葵くんに視線を向ける。彼は不器用ながらも林檎の皮を剥いてくれていた。指を切らないように気をつけているのか、集中しているようで、私の視線には全く気がつかない。ゆっくりゆっくりと果物ナイフを滑らせている。

 どうしてここに、という質問は「ミツバさんのお母さんから連絡があったよ」という彼の端的な説明により終了した。母は余程彼のことを気に入ってくれているらしい。喜ぶべきなのであろうが、彼との記憶が全くない身にはどう反応すればいいかわからない。

 私にとって彼はただのクラスメイトでしかない。どんな紆余曲折があれば私と彼が付き合い始めるのか、見当もつかない。そもそも彼は私が好きなのか? そこまで考えたとき、昨日の葵くんの表情を思い出した。淡い赤に染まった頬。記憶にないような、今まで見たことがないほど優しい笑み。あの目には確かに「恋」の色があったように思う。今まで色恋には縁のなかった自分が言うのはなんだと思うが。

 色々と考えている間に皮を剥き終えていたらしく、彼は林檎を切る作業に入っていた。覚束無い手付きで、いつ自分の手を切るか油断ならないほど扱いに慣れていなかった。

「あの、切るくらいだったらやるから」

 見ているのも恐ろしい程であったため声を掛けるも「いや、大丈夫。やらせて」と真剣な表情で言われてしまえば手出しも出来ない。すこん、果物ナイフがまな板に打ち付けられる。意外にも強情な人なのか。今まで知りもしなかった彼の性格が少しだけわかった気がした。


 林檎も葵くんの手も、果物ナイフとまな板も無事なまま、林檎は私のお腹に入っていった。そこまで好きでもないが、体調の悪い時に食べるものだという感じがする。スポーツドリンクもほどほどに飲み水分補給が完了したところで、葵くんは席を立った。

「じゃあ、僕はこれで。また明日迎えに来るね」

 実にあっさりした別れの挨拶だった。私は少し拍子抜けしたものの、体調を慮ってくれてのことだろうと納得した。

「来てくれてありがとう」

 私がそう言って彼を玄関で見送る。彼はその言葉を聞いて少し複雑そうな表情をしたあと、歯切れ悪く唸る。

「んー、まぁ、うーん……そりゃあ、彼氏だから」

 彼は頬をあの淡い赤色に染めて、照れたように小声で言った。

「もっと頼ってよ。いつでも……は、無理かもしれないけど、手助けなら出来るし。僕も出来る限りミツバさんの傍にいたい……し……」

 後半部分の言葉は意図せず溢れたのだろう。言っている最中に段々と赤色が濃くなっていく様を見て、熱が伝染した。

「……じゃ、じゃあ! また明日!」

 小さく手を振って逃げるように葵くんは姿を消した。見えなくなった姿をほんの少し扉から身を乗り出して探しても、もう見つからない。そのことを確認したあと扉を閉めた。

 ――なにあれ。なにあれなにあれなんだあれ!!

 意図せず顔に熱が集まった。耳も触れれば熱くて、頬は言わずもがな。あつい。

 熱はないはずなのに。心臓が今まで動きを止めていたかのように、全身に血を行き渡らせなければと激しく動く。暑い、熱い、あつい。

 顔を意味もなく横に振って深呼吸をする。違う、恋じゃない。ただ熱が伝染っただけ。そのはずだ。そうなんだ。

 誰かに言い訳をするわけでもない言葉がするすると頭で流れる。もういい、考えるのを辞めよう。寝よう。

 中途半端ながらに結論付け、私は引かない熱を冷まそうと手で扇ぎながら、自室へと向かった。

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