第11話 待つ信頼 後編


 グリ活部長である小宮花華こみやはなはな先輩と僕が出会ったきっかけ。それは一本の松の物語だった。


 そして、その物語の真実を出会ってから約三ヶ月経った今、僕は初めて知ることになる。


 先輩はゆっくりとした口調で、松の真実を語り始めた。

「松の林は一本も残らず伐採された。つまり、今残ってるあの一本はその後で植えられたもの」

 江戸時代中期に植えられた松、ってことは、樹齢300年くらいか。

「それで、誰がその一本を植えたんですか?」

「まあ待て。順を追って話すから。……ところで、『曾根崎心中』って知ってる?」

「ソネザキ……?」

「近松門左衛門の代表作。人形浄瑠璃だよ。それくらいはさすがに知ってるよね?」

「は、はぁ」

 小・中学生のときに習ったと思う。自信はない。

「ひとことで言えば、徳兵衛という男とお初という女の悲恋物語」

 悲恋、と聞いて真っ先に思い浮かんだのはロミオとジュリエットだった。江戸時代版ロミジュリを僕は勝手に脳内で想像する。想像の中の男女は、あんまりロマンチックとは言えなかった。

「あらすじは……そうだな。徳兵衛はある日、親友の九平次に金を貸したんだけど、九平次は返さないどころか、知らんぷりをして徳兵衛を詐欺師扱いまでしてきた。徳兵衛は身の潔白を示すために死を選び、そのとき、恋人のお初も心中することを決意する。二人は死に、来世で結ばれることになったとさ。っていう話」

「えーと、要するに親友の裏切りにあった徳兵衛は、恋人と一緒に自殺した、と」

「本当はお初の西国三十三所巡礼の話とか、徳兵衛が丁稚奉公してたときに縁談が持ち出されたこととか、もっと色々あるんだけど、ざっくり言うならそんなとこだね」

 そして、その曽根崎心中とやらは松の林の話と何が関係あるのだろうか。先輩の話は続く。

「で。最期に二人は、の木に縛り付けて心中したんだ」

 そこで僕はハッとする。

「ま、まさかその松というのが、あの一本松……」

「あほ。題名に『曽根崎』ってあるでしょ。全然場所違うから。人の話は最後まで聞きましょう」

「はい」

 驚いて損した。と同時に、幽霊とか呪いとかが少し苦手な僕は、心の底で安堵した。あれ、そもそも曽根崎心中ってフィクション? 曽根崎ってところで自殺した男女は実は存在しないのか?

 いつも通り先輩は僕のことなどお構いなしで、そのまま話を続ける。

「そして、私たちの知っているあの松の木が生まれたのは、その曽根崎心中が流行り始めた頃。同じ松でも、あの松は人が死ぬのを救ったんだ」

「人の死を、助けた……?」

「はい、じゃあ物語の始まり始まり〜」


 あるところに、町人の男と武士の娘がいた。身分違いな二人が出会うことなど一生ないはずであった。しかし、たまたま同じ日同じ場所で、この『曽根崎心中』を両者ともに観に行っており、二人はそこで出会ったのだ。二人はお忍びで逢い引きをするうちに、やがて互いを愛し合う仲になる。しかし、当然身分違いの結婚など認められず、ついに武士の娘に大名との縁談が持ち出された。娘は町人の男と結ばれないのならいっそ死んでしまいたいと、自殺を試みる。最期に思い出の場所へ行こうと、逢い引きで来ていた山へ向かうと、小さな一本の松が植えられていた。そして、そこには和歌が一つ。

 ____立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む


 男は女が自殺を図るのではないかと予期していたのだろう。曽根崎心中のように、女は来世の契りを期待していたのかもしれない。しかし、男は現世で女に幸せになってもらいたかった。ただ、彼女の無事を祈った。たとえ自分と結ばれずとも、この国のどこか遠くで、平和に幸せに暮らしてくれていればいいと。またいつか逢えるときまで自分は待っているから、今はただ、人並みの幸せを。生きて待っていてほしい。その男の思いはしっかりと女に伝わった。


 そして、女は間もなく嫁入りしたという。



「はい、おしまい!」

 先輩は明るく言ったが、僕の気持ちはなんだか複雑だった。さっきの曽根崎心中といい、今の話といい、昔の人の恋愛はこんなにも命がけだったのか。僕は生まれて16年間、誰かに恋をしたことなど一度もないが、さすがに生死をかけた恋愛が現代にあるとは思えない。

 とりあえず、気を取り直して僕は自分が一番知りたかったことを聞いた。

「結局、先輩が松の友達を作りたい、って思った理由は何なんですか?」

 すると、また先輩は僕に笑うなよと釘を刺してから、淡々と語り始めた。

「松の木ってさ、日本では松竹梅ってめでたい木として扱われてたり、門松のように神様を出迎えるって言われてたりするでしょ。そんな松の木で自殺するなんて有り得ない。曽根崎心中の内容を聞いて、私はそう思った」

 後で聞いたのだが、曽根崎心中で徳兵衛とお初が死んだ場所は露天神の森といって、冥土の旅の始まりとされていた場所だったという。だから、あえて松の木を選んだというわけではなさそうだ。しかし、古文や神道、日本の伝統やしきたりを大切に思う先輩はそれが解せなかったらしい。

「そんな中、私が耳にした話。それがあの松の話なの。まだ生まれて間もない松の木と和歌。それだけで、気持ちが通じ合い、命を救えたのよ?」

「はい。すごいパワーですよね」

「そう! そのパワーを持つ松の木をもっと増やしたいって思って」

 先輩は満足げに笑ったが、すぐに真剣な表情に戻った。

「私、正直に言うけど、自殺しようとしてる人たちの気持ちが一ミリも理解できないの。だから、その人たちを助けようとしたって、何もできない。でも、全く無力ってわけでもない。だから、こうして松の木を育てようって、思ったの」

 その言葉が、なんとなく僕の心に深く刺さった。


 重いな、と思った。


「も、もう一度言うけど笑わないでよ? 夢見すぎだとか、そんなので自殺願望者を救えるわけないとか」

「いや、笑いませんよ」

 僕は先輩の目を見て、そう答えた。

「僕は、先輩の作った感動的な話に惹かれたんじゃないです。先輩の、松を育てたいという思い、その生き生きとした表情が格好いいと思ったんです」


 だから笑ったりなんかしません。


 先輩はフン、と言ってそっぽを向いた。が、その瞬間、小さく「ありがとう」と呟いたのを僕は聞き逃さなかった。




 会場に戻り、僕と先輩二人で参加者の人たちに謝罪をした。結局、先輩はこのプロジェクトのきっかけについては、「環境保全のため」と簡潔にまとめた。その理由を聞くと先輩は、「やっぱり、つばさと私だけの秘密にしたかったから」と言った。一体どこまで本気なのかわからないが、少しドギマギしてしまう。


「ところで翼」

 先輩が僕を呼んだ。僕はその声に応じ、先輩の方を振り向く。


「今だから言うけど、私は信頼してる人のことしか待つことなんてできないからね?」


 それじゃ、お先に! 先輩はこちらに一瞥もくれずに小走りでその場を去っていった。


 信頼してる人のことしか待てない。それって、つまり……。


 思わず顔がほころぶ。


 よかった。僕はちゃんと、先輩から「待つ」という名の信頼をされているんだ。






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