第10話 待つ信頼 前編

 8月10日。

 グリ活の夏休み最大イベント初日がやってきた。場所は、市民会館。

“ 松林プロジェクト” と称するものに参加するのだ。ちなみに開催主は……。

「それでは開催主の方からご挨拶いただきましょう。なんと、彼女は高校生ながら、このプロジェクトを率先して進めてくれました。この街の県立高校3年、小宮花華こみやはなはなさんです!」

 ニコニコと営業スマイルで舞台に上がってきたのは、グリ活部長の鬼コワな先輩である。

「皆様、本日は『松林プロジェクト』に参加していただき、誠にありがとうございます!」

 普段より1オクターブほど高い声が耳に流れ込んできた(オクターブがどういうものなのか本当は分かってないんだけど)。参加者たちは、最初の一言だけで盛大な拍手を送る。会場のほとんどが、ステージ上に立つ彼女を快く受け入れている様子だった。恐るべし営業スマイル。

「突然ですが、この場を借りて、私がこのプロジェクトを開催した経緯といいますか、きっかけといいますか……とにかく、そういう話をします」

 その話なら、僕は初めて先輩に会った時に既に聞いている。だから、僕は適当に聞き流しておけばいい。そう思っていた。


 のだが。

「ちなみに、そのような話を私の素敵な後輩くんにしたことがあるのですが、実は嘘をついていました」

「はぁ!?」

 ほぼ条件反射で僕は叫んだ。いや、声を荒げた? とにかく、会場の注目は一気に観客席にいた僕の方へ向いた。せっかく目立たないよう後ろの方にいたのに、台無しである。

「はい、今『はあ!?』と声を上げたのが、私の後輩、戸塚翼とつかつばさくんでーす。皆さん、以後お見知り置きを」

 隣に座っていたおじいさんがニコニコと微笑みかけてきた。僕も、なんとなくニコニコ……って、ちょっと待て。



 嘘をついてました、って何だよ。


 僕は少なくとも、先輩の思想とか、環境問題に対する姿勢とか……そういうの全部尊敬してたし、信頼していた。


 なのに、向こうは僕を騙していた?


 しかも、それを平然と民衆の前で公言して。さも悪気は全く無いような言い分で。


「なんだよ、それ……」

 気づけば僕は声に出していた。


「なんなんだよ!! 僕のことを、ずっと……ずっと騙して一緒に活動してきたってことかよ! 意味わかんねぇ」


 何がグリーン活動部だ。まずはあんたのその心意気からグリーンに直せよ。今のあんたなんか、全部が真っ黒だ。


「先輩、見損ないました」


 僕は会場を飛び出した。




 視界がぼやける。おい、僕はアホか。泣く理由なんて、どこにもねぇだろ。


 さっきのだって、怒る必要なんてあったか? いつもみたく、イラッとしつつ軽く受け流せば良かったじゃないか。


 なぜ、冷静でいられなかった? なぜ、あんなにも怒りが込み上げた?

 


 そんなの、理由は一つ。

 信じてたからだ。心から。


 父と別れ、自暴自棄になっていた僕が。星を見ると息苦しいと感じていた僕が。人と触れ合うことが億劫になっていた僕が。


 初めて、心の底から信頼できると思ったんだ。この人なら、何があっても大丈夫だと。気が強くて、ヤンキー口調で、怒りっぽくて、猫かぶってて、前向きで、格好良くて、厳しくて、優しくて……安心できる存在。


 そんな先輩なら、信じて隣を歩いていける。そう思っていた。


 僕にとって、彼女は恩人だった。

 先輩にとっての僕は____。


「立ち別れ!!!」


 背後から、駆け足の音と共にバカでかい声が追いかけてきた。


「いなばの山の!! 峰に生ふる!!」


 先輩は上の句を読み上げて、その続きは何も言わなかった。それどころか、僕を追いかける足も止まっていた。




 ____まつとし聞かば 今帰り来む。


“私の帰りを待つと聞いたのなら、戻ってまいりましょう” だっけ。


「なんだよそれ……」


 先輩が声に出したのは、たった十七文字。声に出さなかった続きの文を含めても、三十一文字みそひともじ


 なのに、どうしてこんなにも。

 はっきりと聞こえるのだろう。



 ____翼が何と言おうと、私はいつまでも待ってるから。



「なんだよ。勝手すぎるだろ……」

 こんなの卑怯だ。不可抗力だ。和歌で僕の心を引き止めようとするなんて。


 そんなことされたら、あんたの元に嫌でも帰りたくなるじゃないか。


 いや、そういうことじゃない。


 僕は、鼻から先輩のことを怒ったりなんかしてないんだ。要するに、ただの嫉妬。松の林のことは、先輩と僕を繋いだきっかけだから、それを他の人に知られるのに嫉妬したんだ。ましてや、それが嘘だったなんて知ったから、余計だった。


 僕は回れ右をして、先輩の背中を追いかける。そんな僕に気づいたのか、先輩は僕の方を振り返って立ち止まった。先輩は穏やかに笑っている。


「先輩! 取り乱してすみませんでした! 今から戻ります!」

「ホントだよ。急に飛び出して逃げやがって。早く来な!」

 いつも通りの会話のテンポに、僕は安心した。

「あの、先輩は何で僕に嘘をついていたんですか?」

「あぁ、悪かったと思ってる。あの時は、翼のことをどうしても引き止めたくて、その場で無理やり感動的な話を作ったんだ」

 たしかに、「戦争の被害を受けたが、奇跡的に一本だけ残った松」の話は感動的だったかもしれない。

 だけど、僕がグリ活に入ろうと思ったのはそんな理由じゃない。

「まあ、でも一般の人たちにその話は通用しないから、本当のことを話さないとなって。でも翼に黙ったままは、さすがに良くないかなって」

 その気遣いで、僕の心は取り乱れたんですけど。ていうか、そんなことより。

「先輩。本当のことを教えてください」

「……ったく、そのことをさっき説明しようとしたんだけどな。まあ、私のせいだから、公の場で話す前に翼に話すよ。わざわざ30分休憩までもらってきたんだからな、感謝しろよ!」

 口調は相変わらず高飛車だが、いつもより僕のことを気遣ってくれている感じはした。

「あの松の林は、江戸時代中期に人の手によって伐採された」

「!! そんな昔の話……」

「伐採された理由には諸説があって、賭け事に負けた腹いせにやったとか、単に家屋の木材として売るためだとか、火災を避けるためだとか……」

 一番最初に挙がった諸説には怒りを覚えたが、残り二つの理由は許せる内容だった。というより、むしろ正しいことだと思った。

「じゃあ、あの一本だけ残った松というのは一体?」

 僕が尋ねると、先輩はギロリと睨んできた。あ、ものすごくいつも通りだ、これ。

「……これから私が言うことに笑ったり、怒ったりしないって誓うか?」

「あ、はい。誓います誓います」


 先輩は訝しげに僕を睨みながら、話を始めた。松の木の秘密を____。






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