第7話 時期外れの百人一首大会の行く末は。

 ……50首くらいは詠まれただろうか。

 僕の目の前にいる、凄技の彼女の横には深緑色の札の束ができていた。周りの子も一枚や二枚は手に持っている。

 そして僕だけは一枚も手にしていない。

戸塚とつかくん、だいじょーぶー?」と、例のヒソヒソ小声で話していた女子の片割れが僕に話しかけてきた。

「目の前に経験者がいるから仕方ないよねー。でも、一首くらいなら取れるんじゃね!?」

「そうそう。……あ、なんか教えてあげよっか? えっとね、これ!『やくやもしほのみもこかれつつ』ってあるでしょ。これは『来ぬ人を』で始まるから、来ぬ人を焼くって覚えればいいんだよ!」

「これなら簡単っしょ!」

 あー、うるさい。実にうるさい。僕はあの一首さえ取れればもうそれで満足なんだ。最初は出来の悪さが目立たないようにするための策だったけど、今は違う。

 この歌を、僕の手で、取りたいのだ。

「わかった」と生返事だけして、僕はもう一度集中力を高めた。


 僕の狙っている札の決まり字は二字。

 ちなみにその歌と同じ頭文字の歌は、全部で六首。そのうち、既に四首詠まれた。

 つまり、『た』と聞こえるうちの残り二回の間に、僕は札を取る。


「夏の夜は」

「ひさかたの」

「わたの原 漕ぎ……」

「あらざらん」

「風そよぐ」

「来ぬ人を」


 そこで、周りの子たちが「戸塚くん、今だよ!」と教えてくれたが、僕は無視しようとした。

 なぜ、「しようとした」のかと言うと、僕が無視する前に彼女の細い腕が「やくやもしほのみもこかれつつ」の札に手を伸ばしていたからだ。

 空気がピリッとした。

 百人一首の和の雰囲気には似つかわしくない、嫌な感じ。

「え、今の空気読むとこでしょフツー」

「何アレ」

 グループのみんなの視線が、僕の目の前にいる彼女に一斉に集まった。

 さすがに、競技に真剣だった彼女もいけないことをしてしまったと気づいたのか、おどおどしている。

 ああ、彼女は何も悪くないのに。

 でも僕にはどうしようもできない。というか、今はたった一首を取ることだけで精一杯なのだ。


 そのとき。



「たち……」

 僕の腕は、迷いなく、ただ一直線に伸びた。同時に、ダンっと重さの乗った音が響いた。

「……いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」

 ゆっくりと手を離すと、そこには「まつとしきかは いまかえりこむ」という句が達筆な字となって出てきた。


 そして拍手が起きた。

「戸塚くん、今の凄かった!」

「ほんとに競技かるたっぽくて、漫画みたいだったよー!」

「なんだ、本当は出来んじゃねぇか」

 グループのみんなが次々に声をかける。僕は愛想笑いを浮かべながら、ホッとした。

 良かった、悪い空気が収まった。

 ついでに目の前の彼女を伺うと、彼女は小さく会釈をした。……どういう意味の会釈なのかわからなかったけど、彼女らしい気はした。




 結局、取れた札は「立ち別れ」の一首だけで「まぐれかよ」と周りのみんなに突っ込まれたが、それ以上は特に何事もなく終わった。

 強いて言うなら、例の彼女に呼び出されたこと。

「戸塚くん、さっきはありがとね」

「いや、そんなお礼を言われるほどのことは何も……」

「だって、本当は全部取れたのにわざと取らなかったんでしょ」

 ……ん? それは違う。僕は慌てて訂正する。

「いや、みんなが言ってたようにあの一首しか僕は知らないよ」

「え、でもめちゃくちゃ速かったじゃん。てか、それにしてはタイミング良すぎじゃない?」

 確かにそうだ。だけど、もしそうだとしたら、きっと先輩の運が付いてきたのかもしれない。

「それじゃあ、また」

 僕は教室に背を向けた。すると、彼女は弾んだ声で「うん、バイバイ」と答えたのだった。




 そして翌日。

 僕がいつも通り登校すると、何やら教室の前が騒がしくなっていた。なんだろうと不思議に思って小走りで向かうと、そこにいた数人の顔が一気にこちらを向いた。ちなみに、どの人も全く見知らぬ他人だ。

 そのうちの一人、いかにも気の強そうな女子生徒がこちらを睨んで来た。確か、吹奏楽部の部長さんだった気がする。

「戸塚、アンタ何したわけ?」

「…………はい?」

 何もしてない……ていうか今ここに来たばかりなんですけど。

冴島さえじまミナミが【うちのぶかつ】辞めるって言ってんだけど」

 と言われて、僕は慌てて辺りを見渡すと、この事件の当本人が大勢の人に囲まれた中心に、下を向いて俯いていた。

「え、彼女が?」

 これには僕も驚きを隠せなかった。冴島さん、というのは例の昨日の彼女のことで、確かに百人一首の腕も凄いのだが、吹部での活躍ぶりも輝かしいものなのだ。僕には詳しいことはわからないが、なんでも「日本一のペット吹き」と呼称されているらしい。

 ふと窓の外に目を移すと、

『全日本ジュニアクラシック音楽コンクール 金管楽器部門 第一位 冴島ミナミ』

『ソロコンテスト 金管楽器部門 銀賞 冴島ミナミ』

 と堂々と名前が書かれた旗が掲げられていた。

 そんな凄い才能を持った彼女が何故? そう思ったちょうどその時……。


「冴島は『グリーン活動部』に入部希望しているって聞いたんだけど」


 え…………。

 彼女が『グリ活』に?


 僕が困惑していたそのとき……。


「すみません、ちょっと道を開けてもらってもいいですか?」

 甘く、人を魅惑させるようなアルトの声。その声に反応して振り向くと、そこには清楚な雰囲気を醸し出した先輩が立っていた。その場にいた全員の目が彼女に釘付けになる。……本性は正反対なんだとは知るよしもない。

「冴島さんのことについて、私からお話ししますね」

 とびきりの笑顔でそう言った先輩は、僕に小さく目配せをした。うん、これは「余計なことは口出さずに黙って聞いてろ」という意味だ。

 どうやら波乱な何かが繰り広げられるらしい。




 不穏な空気はまだまだ続く……。




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