第6話 時期外れの百人一首大会

【高校1年 7月】

 定期テストもひと段落終え、僕らは夏休み前のなんとなく気だるくなる授業を受けていた。ちなみに科目は国語総合。ちょうど今、短歌について先生が説明している。

「掛言葉は短歌の中でもよく見られる技法です。入試に出やすいので、今の間からきちんと覚えておきましょう」

『入試』というワードに、クラスの優等生たちがピクリと反応した。なんてわかりやすいんだろう。

「それでは、掛言葉が使われている有名な短歌をいくつか確認してみまーす。んーと、まずはコレ!」

 そう言って、先生は教科書のページ数を黒板に書く。例の優等生たちは、テンポよく教科書をめくる。

 それに対し、とくに勉強に興味のない僕は、ウトウトと眠りにつこうとした。


 ……が。



「立ち別れ」



 その言葉でスッと眠気が覚めた。

 そして脳内には、五月の僕と先輩と大きな松の木が映し出されていた。


 先生はそんな僕のことを、気にかけることもなく続ける。

「いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば 今帰りこむ」


 僕は先輩の、あの独特な話し方を思い出していた。

『現代語訳にすると、“あなたと別れて、因幡いなばの国へ行きますけれど、稲羽山の峰に生えているという松という名のように、私を待つと聞いたなら、すぐにでも帰ってまいりましょう”てところかな』


 先生は先輩の訳とほぼ同じことを伝えてから、掛言葉について話し始めた。

「そして掛言葉というのが、この『いなば』と『まつ』の二つです。二つとも漢字で表記されてないでしょ? もし、ひらがなの文字が短歌の中に出てきたら、要注意! 掛言葉の可能性が高いです」

 先生の説明はほとんど上の空で聞いていた。先生も、そんな僕に気づいたのか「それじゃあ、戸塚とつかくん」と僕を指名してきた。

「この二つの掛言葉は、それぞれ何と何の言葉を掛けているでしょうか」

 いつもなら「わかんないです」の一言でさっさとパスをするのだが、今日の僕は違った。

「『いなば』は、住むという漢字の『住なば』と山の名前である『稲葉』を掛けていて、『まつ』は、植物の『松』と英語でいうwaitの意味の『待つ』を掛けています」

 僕がスラスラと答えている様子を見たクラスメイトたちが、目を丸くしてこちらを見ていた。先生も「模範解答のような答えですね、はい」と驚いていた。……無理もない、普段の僕は発言なんてほとんどしないのだから。

 ちなみに、この模範解答のような答えは、先輩伝授のものである。




 そのあとの授業では、またいつも通りの僕に戻っていて眠りについていた。終わりのチャイムが鳴るのと同時に、僕はふっと目を覚ました。……どうして、他人に起こされても中々起きられないのに、チャイムの音にだけはこんなに敏感になれるんだろう。いつも疑問に思っているが、その答えが出たことはないし、多分これから先も出ないだろう。


 僕は、眠気目ねむけまなこをこすりながら先生の話に耳を傾けた。

「それでは、来週の授業ではグループごとに百人一首をやってもらうので、各自覚えてきてください」


 え、ちょっと待ってください。

 何がどうなって「それでは」?


 僕が気になって、隣の席の女子に聞くと「なんか夏休み前日に校内で百人一首大会やるんだって。それでクラスから二人代表者を出さなきゃいけないから、来週の授業で決めるみたい」と素っ気ない返事をもらった。

 ……うっへぇー。グループワークとか僕、嫌いなんだけど。

 というのも、教室全体の中で僕がパッとしなくてもあんまり目立たないが、グループ活動の場合、僕の出来の悪さが如実に表れてしまうからだ。

 うーん。これは困った!




 放課後の部活で先輩にそのことを相談すると、「甘えてんじゃねーよ、このゆとり世代がっ!」と怒られた。「いやいや、ゆとり世代って1987年から2004年までの間に生まれた人が対象になるので先輩も余裕でその域に入ってますよ」とすかさず正論を言うと、「揚げ足とってる暇あんなら、一首でも覚えたら?」ともっともなことを言い返されてしまった。……まぁそうなるわな。

 ちぇっ、古典オタクな先輩ならアドバイスの一つや二つくらい、くれると思ったのに……。

 僕がズウウンとテンションだだ下がりしていると、先輩が僕の肩をバシッとたたいた。

「ちょっとしたコツくらいなら教えてやってもいいぞ?」

「ほ、ほんとですか!?」

「私が嘘ついたことなんてあるか?」

 はい、数え切れないほどあります。……という言葉はギリギリのところで抑えた。

「ないですよね、わかってます。なんでもいいです、教えてください」

 先輩はフン、と笑ってから椅子に腰を下ろして、講義を始めた。


 先輩の講義は、シンプルだけどわかりやすく、頭にしっかりと残すことができた。



 そして、待ちに待った(というのは嘘、全然待ってない)百人一首大会クラス予選の日が来た。

 先輩のコンセプトは「たった一首でいい。それだけは風よりも早く、触れろ」だ。

 僕は先輩のその言葉どおり、たったの一首しか覚えていない。しかし、それを確実に取る方法だけはきちんと叩き込んであるので大丈夫だ。


 この予選のルールは簡単だった。グループごとに百首全ての札を並べて、一番多く札を取った人の勝利である。百首全て詠まれるので、僕の狙いの一首も必ず詠まれるはずだ。


 先生が読み上げ用のCDを流す。静かでかつ厳かな雰囲気が、妙に緊張感を誘い出した。まずはじめに、序歌と呼ばれる歌が流れた。もはや何語なのか、僕には全く見当もつかない。

 ただ、あの一首だけはどうしても取りたい。それは、先輩のコンセプトに則ってというわけではなく、単純に他の人に取られたくないという思いが僕自身にあるからだ。


 そして、一首目。

「かささぎの」


 目の前でパンっと歯切れの良い音がした。肘先までシャツをまくった白く細身の腕が、一枚の札にスッと伸びる。

 いつも僕の隣の席にいて、授業を聞いていない僕の質問にも真摯に答えてくれる女子。一見大人しそうだが、今の様子はまるで普段のそれとは違っていた。

 他のメンバーもその様子に圧倒されたようで、ヒソヒソと話していた。その声は、半径1メートル以内に座っている僕の耳にもきちんと届いた。

「あの子、確か百人一首の資格みたいなの持ってる子だよね?」

「そういえば、親が呉服屋を経営してて昔から競技かるた習ってたって言ってたかも」

「今、吹部だっけ。なんでウチのかるた部入らなかったんだろ」

「聞いてみれば?」

「いや、さすがに失礼でしょ」

 ……おい、ここでヒソヒソと話してること自体が失礼だっつーの。

 僕は心の中だけでそう突っ込みつつ、内心焦りを感じていた。どんなに僕がたった一首に掛けていても、プロが目の前にいるのなら話は別だ。相手だってそれを狙っているのだから。

 二首目が詠まれる。

「高砂の 尾の上の桜咲きにけり 外山の霞に立たずもあらなむ」

 下の句まで詠まれてやっと、一番奥に座っていた子が「あ、これかな?」と言って控えめに一枚取った。僕の前に座る(正しく言うと中腰だ)彼女は、目でその札を追っていたが、遠くにありすぎて届かないと悟ったのだろう。既に次の切り替えをしていた。

『たか』と詠まれたので、一瞬僕はピクリと反応してしまったが、その様子にはどうやら気づいていなそうだ。


 そのあとも、こんな調子で百人一首が続く。




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