第5話 ゴミ拾いの旅 ~出張版 後編~

 日差しが山の斜面を照らし、キラキラと光っていた。


 前回までのあらすじをすると、僕と先輩はとある清掃団体に依頼を頼まれ、山を登っていた。その山は僕と先輩が初めて出会った場所でもあるのだが、その時とは比べものにならないくらい、高い場所へと登っている。


 そして今。意識が朦朧とし始めてきて、もうダメかと思っていた時、ようやく僕らは団体の方との集合場所にたどり着いた。何人か既に来ていて先輩が挨拶に回っている。

 そして僕は見てしまった。

「山頂まであと100メートル」という表示を……。


 曲がりなりにも、この山は県内で有数の観光名所となっていたはずだ。登山客も多い。標高は500メートルくらいはあるんじゃないか。え、まさかだけど帰りも歩き? 考えただけで吐きそうだ。

 ……ていうか、今何時?

「5時集合だから、あと数分すればみんな来ると思うわ。暗くなる前にさっさと済ませましょ」

 代表者と思われる中年の女性が、僕に向かって笑いかけた。社交辞令か何か言おうとしたが疲れて頭が回らず、僕は頷くことしかできなかった。それよりも、約2時間も山登りしていたんだと自分に感心していた。


 活動は、いつもやっているゴミ拾いとそんなに変わらなかった。ただ、場所が山というだけ。いくつもの斜面を登ったり下ったりしながらゴミを集めていく。

 登山者のゴミが多いのだろう、カイロや非常食のゴミがたくさん落ちていた。たまに生ゴミなんかがまとめて捨ててあり、一体山の中で何をしたのか気になった。

 先輩はいつも通りキビキビと動いている。団体の方も先輩の行動力に感嘆していた。対して僕は滑り落ちそうになったり、ゴミ袋を破ってしまったりと足手まといにしかなっていない。60代くらいのおじさんが「若ェのにだらしねぇなぁ」と言いながらも僕の失敗の後片付けをしてくれた。……良い人だ。



 そうしてゴミ拾いに夢中になっているうちに、すっかり辺りは暗くなってしまった。不気味な雰囲気が体にまとわりつき、背筋が凍る。

「近くに小さいですが、私の両親が営む民家があります。みなさん、そこで夜ご飯にしましょう」

 代表者である園田さんが言った。

 僕は疲れ果てて食欲なんてこれっぽっちもなかったのだが、断るのも失礼だし、先輩が目をキラキラさせながら「ありがとうございますっ!」と答えていたので僕に拒否権はない。

 園田さんを先頭に、二列ずつに並んで山を降りる。総勢20人くらいの小さな大名行列ができた。……僕は一番最後尾だけど。



 民家は歩いて15分くらいで着いた。お世辞にも綺麗だとは言い難いが、窓から漏れるオレンジ色の温かい光が優しく感じられた。

「ひゅっきしぇん!」

 という珍しい音が聞こえ、僕はその音のした方向を振り向いた。……先輩のくしゃみだった。もう一度先輩は「ひゅっきしぇん!」とくしゃみする。

「先輩、汗かいて冷えたんですね。大丈夫ですか?」

 と声を掛けた僕自身もかなり冷えていた。

 すると園田さんが「一応、昔ながらのお風呂があるけどどうしますか?」と尋ねてきた。

 さすがにそれは厚かましいだろう。先輩もそう思ったのか「どうせあとは帰るだけですし、大丈夫です」と断ったが、園田さんは中々引かず「風邪を引いたら元も子もないわ」と言って強引に僕らを民家の中に入れた。

「ここまで誘われたら入るしかなさそうだね」

 と苦笑した先輩は園田さんに案内され、風呂場へと向かった。

 僕はさっきの口は悪いけど根はめちゃくちゃ良いおじさんに案内されて、別の風呂場へ連れて行かれる。

「着替えも用意してやったから、好きに使えよ」

「あ、ありがとうございます」

 投げやりな口調ながらもそこには僕を気遣う優しさがあった。

「あとよ、あのべっぴん姉ちゃんとお前はできてんのかぁ?」

 一瞬べっぴんが誰だかわからず首をかしげると、おじさんは「お前の先輩だよ」と言った。

「絶対ないですね。あんな怖い先輩、僕は恋人にしたくないです」

 僕は本心を即答する。

「ヘン、女はあれぐれぇじゃなきゃつまんねぇよ。淑やかな女なんぞ、しょうもねえんだよ」

 と自慢げに語ってきたおじさんに、僕は何と答えればいいのかわからなかった。



 お風呂は使い方がよくわからず、しばらくどうしようかと悩んでいた。しかし、ちょうどその時、おじさんが覗きに来てくれたおかげで何とか使いこなすことが出来た。

 いつもの風呂より大分温度の高い湯船に浸かると、疲れが一気に飛んで行った気がした。そこでようやく親に何も連絡していないことに気がついた。ああ、離婚したときのことを思い出す。あの日、天体観測に出かけた日。僕のせいで、家族は別れてしまった。


 嫌な思い出を無理やり消そうとして、ブクブクブクと湯船に顔まで浸かる。もう僕は高校生だ。母さんも文句は言わないはずだ。


 熱い湯船が僕の肌を、少しだけ刺激した。




 風呂から上がると既に、みんなが食卓につき鍋をつついていた。季節外れな気もするが、冷たい風が吹く山の中ではぴったりのメニューだった。

 山菜が鍋から溢れ出るほど、たっぷり入っていてダシの効いたいい匂いが鼻腔をくすぐる。

 さっきまで全くなかったはずの食欲が急に湧いてきた。

「さ、翼くんもこっちに来て食べましょ」

 朗らかに笑った園田さんが僕を手招きした。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 そう言って、僕は空いている席に座り鍋に手を伸ばした。

 具材は8割が山菜で、肉や豆腐、キノコやしらたきは奥の方に埋まっていた。

 僕は嫌いな食べ物は特にないが、山菜とか普段食べることのないものには少し怖気づいてしまう。

「うおい坊主! 早く取らねぇとなくなんぞー」

 と先ほどのおじさんが叫んだ。顔が真っ赤になっていることから推測するに、酒が回って酔っているのだろう。

 すると、僕のお腹がぐぅぅと鳴った。ああ、クセがありそうだなとか、美味しいのかなとかそんなことはもうどうでもよくなった。とにかく空腹なのだ。

 意を決して、山菜を箸で鷲掴みにして口の中に持っていった。

「…………う、うまい!」

 ダシがしっかりしみこんでいて、シャキシャキっとした食感がクセになる。美味しい。おじさんが「だろ?」とニヤニヤしながら尋ねてきた。僕はコクコクと頷く。

 しばらくの間、僕は夢中になって鍋を味わった。



 時刻は8時を回ろうとしていた。

「今日はどうもありがとう。車で私がふもとまで送っていきますね」

 と園田さんが言った。僕は心底ホッとしながら「ありがとうございます」と答えた。先輩も頭をさげる。

 するとそこに、例のおじさんがやってきた。どうやら僕を偉く気に入ったみたいだ。

「園田さん、その前にちっとこいつら借りてもいいか? 見せてぇもんがあんだよ」

 と言って、園田さんの同意も得ないうちに僕と先輩の腕を引っ張って、裏口に連れて行かれた。

「どうしたんですか、見せたいものって」

 僕が聞くと、おじさんは「まあ黙って付いてきな」とだけ言った。



 裏口を出ると、そこは小さな広場になっていた。一体、何があるのだろう?

 すると突然、視界が真っ暗になった。

「うわぁっ!」「何っ!?」

 隣にいた先輩も同じように驚いている。

「別に何も危ないことはしねぇよ。目隠し付けただけだ。さ、仰向けに寝っ転がってみろ」

 僕は言われた通りに上を向いて転がる。何となく大の字になりたくなったので、両手両足を思いっきり広げた。

「坊主、ノリがいいな。よし、目隠しはずしてもいいぞ」

 目隠し、と言ってもただのアイマスクなのでそれは簡単に取れた。



 宇宙にいるのかと思った。



 満天の星空。それは、僕の中では最も大切で最もいびつな存在だった。


 それでも、僕はこの時はただ星空に夢中になっていた。


「すごい、普段じゃこんなに見れない。4等星の星もはっきり見える! 蟹座や髪の毛座、キリン座も見えるし、カラス座やコップ座まで……! しかも、春の大三角がこんなにくっきり……春の大曲線も! ウミヘビ座もちゃんと形になって見える……あと……」

「ふっ」

 と、小さな笑いが隣から聞こえて、僕は現実に引き戻された。

「んふふふふ! なーんだ、翼にもちゃーんと夢中になってるものがあるじゃん。しかも男の子っぽい趣味」

 先輩はペタリと頬を地面に付けながら、満足そうに笑っていた。

「……今は、もう違うんですけどね」

 と自分で言ってからしまったと思ったがもう遅い。先輩は案の定「なんで?」と聞いてきた。


 僕はゆっくり深呼吸をしてから、話し始めた。



「父が昔から天体観測が好きで、小さい頃から一緒に連れてってもらってたんです。それで、僕も星とか宇宙とかに興味を持ち始めました」

 でもあの日。

「ですが、ある日。ふたご座流星群が見えるってことで、僕と父は待ち合わせをして見に行くことにしたんです」

 翼、今日は人が多く来るだろうから、いつものところより少し奥の方にしよう。父さんも会社が終わったら行くから。

「僕は山の中を一人で歩きました。もう何度も行ったことがあるので道は覚えていたんです。そして、いつもの待ち合わせ場所に着きました。父が予想した通り、その場所は人がたくさんいました。僕は父の約束通り、奥の方に行きました」

 暗い夜道。足元をきちんと確認もせず、僕は高いところへ目指した。

「そしたら、崖に落ちたんです」

 隣で先輩が息を飲んだ。

「僕は意識不明の重体で夜中に発見されました。……そのあとは、もうあっという間。腹を立てた母親が離婚したいと言い出して、僕を連れて父と別れたんです」

 大好きな星を見ようとしたせいで、僕らの家族は壊れた。

 あの時、もし僕が気をつけていれば。

 そもそも、星になんて興味を抱かなければ。



 僕はそれ以来夜空を見上げようとしなかった。



 だけど。


「でも、今こうして星を見て、やっぱり僕は星が好きなんだなって気がつきました。……やりたいことはやるべきですね」

 そう言って僕は立ち上がった。

「おじさん、ありがとうございました」

 僕は深く頭を下げた。すると、頭上で「バカタレイッ!」と罵声が降ってきた。

「だーれがおじさんじゃい、周りのやつはみーんな俺のことを『冨樫とがしの旦那』って呼ぶんだよ」

 僕は苦笑して「旦那、ありがとうございました」と言い直した。


 星はいつまでも輝いていた。





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