「立ち別れ」
第1話 松との出会い
【高校1年 5月】
僕は4月に、ここに引っ越したばかりだ。まあ、理由は後々……。
4月は学校のことで忙しく、とてもじゃないけど、この街について調べる暇なんてなかった。
だから僕は、このゴールデンウィークを利用してこの街を散歩することにしたのだ。
今日はよく晴れていた。どこか出かけるにはもってこいの天気だ。……正直言うと、暑いんだけどね。
最初どこから回ろうかと考えながらもブラブラしていると、遠くの方に山みたいなのが見えた。そこには……一本の大きな木がある。なんの木だろう?
なんだか気になる。
まあ、とくにすごい回りたいところがあったわけでもないのでそこに向かってみることにした。
坂道を上ること、約十分……。まだ夏も始まってないのに、汗が出ていた。Tシャツが体にくっつき、不快指数100%だ。
まだ着かないのか……。
正直うんざりしていた。なんで僕はこんなことしてるんだ。何度も引き返そうと思った。それでもそうしなかったのは、きっと少しずつではあるが、松の木に近づいてきたからだと思う。
日光が、頭上に容赦なく照りつける。風がたまに吹くけど、それもあんまり助けにはなっていない。
ふと、足元の感触が柔らかなったのを感じた。見ると、いつの間にかコンクリートの道が、土の道に変わっている。
……ということは、普通に考えればあともう少しか。
そう思って、さっきよりも歩調を速くすると……。
「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
頭上で突然、少女の声がした。あわててその方を向くと、高校生くらいの少女が腕組みして立っていた。
「あなた、そこの高校の生徒?」
と言いながら、彼女は指を指す。その指の延長には、確かに僕の通う高校があった。
しかし僕は、初対面の人に個人情報を気安く教えるほどの人間じゃない。このまま、この人に付き合ってはいられないので、回れ右をして来た道を引き返そうとすると、
「ま、待ちなさい!」
彼女が僕の手首を掴む。……ちょ、痛いんですけど。握力強すぎなんですけど。
「あのっ……放してもらえます?」
「……逃げるなよ」
と僕に圧をかけてから、彼女は意外にもあっさり手を離した。
「悪かった。人の個人情報を聞くときは、まず自分から名乗るべきだね」
そう言って彼女は、真顔で紹介を始めた。
「私はそこの高校の3年生、元生徒会本部所属の、
はなはな、と聞いて思い出した。確か、クラスの人が騒いでいた。3年生にキラキラネームの美女で、現生徒会長を言葉でねじ伏せた人がいる、と。
きっと、この人のことだ。
「さあ、私は名乗ったよ。今度はそっちの番」
目力が強い人だった。さっきまで暑かったはずなのに、彼女のその目を見たら急に背筋に寒気が走った。……もはや、僕に拒否権はない。
「同じく、そこの高校に通う1年3組の
ふんふん、と僕を品定めするかのようにじろじろ見て来た。怖すぎる。
「なんか、絵に描いたような草食系男子だね」
「……よく言われます」
ストレートな物言いに僕はすっかり怖気づいてしまった。そこで僕は気づいた。彼女の本性を。この人は、クラスの奴らが言うような美女ではない。どちらかというと、魔女だ。
そんな魔女は、まだ僕を品定めする目つきで質問してきた。
「なんで、こんなとこ来たの? 今の時代、高校生でここに来る人ってそうそういないよ」
ああ、説明が面倒くさい。だから嫌なんだ……。
「僕は4月にこっち引っ越して来たばかりで……どんなとこなのか調べるために、ちょっとした散歩をしてるんです」
「へぇ、親の転勤かなんか?」
……一番聞かれたくないことをズカズカと聞いて来る。
「離婚です」
「それは悪かったね」
彼女は軽々しく言うが、こっちとしては割と大きな問題なのだ。
「んで、アンタは部活入ってんの?」
「はい?」
突拍子もない質問に、思わず聞き返す。
「だから、部活!」
……んな、怒んなくても。
「とくに入ってないですよ」
「おお、そーかそーか!」
と言った彼女は初めて笑った。……なんだ、ちゃんと笑うんじゃん。ただ、なんでここで笑うのか、よくわからない。
彼女はあの大きな木に寄り添う。
そこで、初めて気づいた。
「これって、松の木ですか?」
「あん? そーだけど」
……その受け答え、ヤンキーかよ。
「これが気になって、僕はここに来たんです」
それにしても、この松の木は普通の松の木に比べ、とても背が高かった。一体、いつの時代から生きているのだろう。
「立ち別れ」
彼女は松の木に手を触れながら、呟いた。
「いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」
なんの短歌だろうか。どこかで聞いたことがある気もするが……。
「翼はさぁー」
他人に下の名前で呼ばれたのはもう何年も前だったので、一瞬誰のことかわからなくなった。……ていうか、そもそも初対面で呼び捨てかよ。
「この歌の意味、知ってる?」
「いや、この歌すら知らないです」
すると、彼女はわざとらしくため息をついてから(ちなみにすごい形相で睨まれた)、語り出した。
「現代語訳にすると、『あなたと別れて、
現代語訳されても、よくわからん。
「私は、待ってる」
「誰を?」
ほぼ反射的に聞いていた。
「人じゃない」
「じゃあ、何を?」
すると彼女は、静かに目をつぶって祈るように囁いた。
「ここに森を作って、この松の友達を作ること」
その横顔は美しいって言葉じゃ言い表せないほどで、つい見とれてしまった。
……クソ。全くもって、不本意だ。
「ここは昔……江戸時代より前らしいけど、松の林があったんだって」
「はあ」
「でも、第二次世界大戦で全て燃え尽きてしまった」
赤く燃え上がるこの街を思い浮かべる。人々が泣き叫び、狂い、怒り、震え、命が儚く消えていく。
「でも、そんな中この松だけは生き残ったんだよ」
「……そういえば東北で震災があった時も、『キセキの松』ってありました」
「……うん、きっとそんな感じだったんだろうね」
彼女は目を細めて松を見つめる。
「翼もさ、この子に友達を作ってあげたいと思うでしょ?」
彼女の真剣な眼差しに、僕は自然と答えた。
「はい、思います」
すると、彼女はニヤリと笑った。……なんか嫌な予感がする。
「じゃさ、『グリーン活動部』に入らない?」
「グリーン?」
「グリーン活動部」
そんな部活、あっただろうか?
「入るよね?」
また、あの有無を言わさぬ目つきで睨まれる。
しかし、今度は怯えることはなかった。
「はい、よろしくお願いします」
僕はそっと、微笑んだ。
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