サミアの愛
@shishigashira
第1話
サミアの愛。
1、16区ドフィン駅
彼女はそこにいた。
場所はパリ第三大学でである東洋語言語研究所図書館の中である。
復活祭が近いよく晴れた午後の16時頃だった。
メトロ12番線の16区の終点であるドフィン駅を出ると澄み切った青空を背景にプラタナスの大樹が聳え、風の中で穏やかに揺れ、新緑が光る。
周辺は豊かな緑に囲まれた高級住宅が並ぶ。駅前は広々としたブルバ-ル「大通り」でエトワ-ル広場と一直線に結ばれていて、凱旋門の側面が見渡せた。
同大学までは駅から徒歩で10分とかからない。創立は1941年で、前身はルイ14世時代の「王立若手言語学校」。東洋の開拓と交流を目的としていた。
フランス革命後、ナポレオンが東洋言語学校を一つに統合、現在の形となった。
バカロレアを取得していれば誰でもが登録入学できるが、数多くの有名人を輩出している。
著名なフランス文学者、森有正が東大教授になる出世コ-スを捨て、同大学の日本語学科の教授になるためにパリに移住し日仏異文化研究に多大な貢献をしたのは有名な話だ。
図書館は校内入口ホ-ル、日本でいう一階、フランスでは二階となる一角の細い通路の奥にあった。
館内は高い書架で3つの読書室に区切られていたが重苦しくはなかった。
壁の仕切りではない為か、空間には開放感があった。
真ん中の読書室が日本関係で大言海や日本美術誌の豪華本、古典文学の書物、或いは禅入門や多くの現代文学の文庫本など。フランス人に関心が高い書籍がぎっしり詰め込まれている。本棚がコの字に囲んでいた。
室内には教授風の白髪の初老の女性、ひそひそと話す4人組の男女学生、痩身で病的に白い肌をした赤毛の女子学生がいるだけ。
Kはよくこの図書館に通った。ひどく孤独だった。異国にいて日本で何が起こっているかを知らないでいるのも不安だった。祖国は捨てられない。
朝日と日経の新一ヶ月分がファイルしてあり読めたのである。
日本に関心があるフランス人女子大生と知り合いになれるかも知れないという下心もあった。女にも飢えていたのである。
読書に飽きて顔をあげると対角線上の本棚の角にある席に彼女がいたのだった。
室内は大きく開かれた窓から差し込む日光で真昼のように明るく眩しいかったが、光の屈折の加減なのか、不思議に彼女の座っている席だけが翳りを帯びていた。
ボ-イッシュなショ-トカットで横に少しウェ-ブをかけている。人民服風立て襟で黒い光沢の上着を着ていた。粋である。
ゴダ‐ルの映画「勝手にしやがれ」主演で見た米女優ジ-ン セバ-クによく似ていると思った。一瞬にして強く引かれた。
エキゾティックな美しさ、どこか官能の匂いもする。
恋人にできたらな。あの美しい体が欲しいと思った。
長い間、理想の女として思い描いてきた、そういう女が目の前に今現存しているのだと思った。
しかし自分には無理な女だとも思った。あんな格好のいい女が俺などを相手にするものか。恐らく彼女の恋人は背が高くて美男でジャ-ナリストとか何とかをやってる男だろう。そう想像した。
それでも諦められず、知り合いになる口実、切っ掛けを探したが、いい考えは浮かばない。彼女の背後にある本棚のなにか本を探す振りをして近づくか。
だが、それにしては距離があり過ぎた。わざわざ移動したとバレれば変態と思われる。チャンスを待つことにした。
彼女が動けば物音がするだろう。必ず切っ掛けは出来る筈だ。
ところが次に顔を上げてみると彼女の姿は消えていた。
物音ひとつしなかったのに。何時帰ったのか。狐に包まれた。
パリの人口は約300万人で、その半分の150万が女性だとして、再び偶然に会える確率は限りなく零に近い。
勇気をもって話しかけなかったのをひどく後悔した。後の祭りだ。諦めしかなかった。
外に出ると気持ちのいい夕方の微風が顔を撫でた。
シャンゼリゼ広場の上空には派手なネオンの輝きが反映していた。
惨劇後の流血現場のような夕焼が暗雲を切り裂いていた。
メトロ近くのバス停には黒人街娼が数人固まっていた。
走る車に呼びかけて適当な場所に車を止めさせて性交で糧を稼ぐ。
裸になるのは下半身のあそこだけ。一回150ユ-ロくらいだろう。
全員細身で背が高い。マサイ族出身者かもしれない。の女達だろうと思った。
黒人娼婦といっても出身国は多種多様で同民族同士で群れをなし、縄張りも決まっているという。
それにしても彼女たちはどうやってアフリカからパリまで渡ってくるのだろうか。 もしかするとパリ貧困層の育ちかもしれない。
性行為の汗で黒く光る黒人娼婦の肌。彼女たちの旅路の果てはどこなのか。
サミアの愛 @shishigashira
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