第20話 陽落つ音
「今度も、結局聞けなんだか……」
山に沈む夕陽を眺めつつ、河神がつぶやいた。
「何を、ですか?」
よせばいいものを、傍らで針仕事をしていた狐が尋ねる。
「夕陽の沈む音だ。」
河神は、身をソファに沈め、視線を動かさずに言った。
「夕陽の……沈む音?」
思わず山のかなたを見る。夕陽はすでに、その姿を隠していた。
狐は、手のひらを耳に当ててみた。先に右耳に、ついで左耳に。だが当然のごとく、聞こえるのは時計の振り子の音のみであった。
「夕陽の……沈むときに……音がするのですか?」
上目遣いで、恐る恐る尋ねる。
河神は、すぐには答えずに、こんな話をしだした。
「昔、坊主が一人、わしのところにやってきた。そして、こう言うのだ。『亀の鳴けるはなんぞ?』と。わしは『亀が鳴くか、ボケ』と一笑してやった。するとな、あっちも顔をニヤケさせて、『ハハア……亀鳴けるは寂の内に真を見るがごとし。けだし御前は秋に陽落つる音を聞かざると見ゆ。』そして、ああ、もったいないもったいない、と笑いながら去っていったのだ。何か、無性に腹が立ったので、軽くおぼれさせといたのだが……」
狐は、その僧侶の豪胆というか無謀な性格に、気の毒さを感じずにはいられなかった。
「で、それ以来、そのことが頭から離れんでな。いったいどういう音なんだか……」
もう冬だからダメかもしれんなと、ふてくされるように身をかがめて眠り込んだ。
狐は、河神の丸まった背中を見て、少し気の毒に思った。そしてもう一度かなたを見上げる。陽はとうに沈み、あたりは宵の帳が降りていた。それでも、山の端には、うっすらと薄紅色の線が引かれていた。
寂しい。ものすごく寂しい。河神は、秋の夕日を眺めるたびに、この寂しさがこみ上げてくるのだろうか。それは、何と悲しいことか。
「『所詮』、や『結局』というのは……」
儚げな背中がつぶやく。
「『所詮』『結局』でしかないのだな。」
狐は、その言葉に泪を流した。しかし、
「あ……」
やはり、かける言葉が出ようはずもなかった。そして、自らの無能を呪う。
(若様ならば……人間ならば、きっと、ヒノカミ様をお慰めする言葉を紡げるにちがいない。私では、どうにも……)
もう、狐の針持つ手は動かない。河神も微動だにしない。
時計の鐘も、まだ鳴るには、間がありすぎた。
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