第16話 残暑

「おばあさん、これ、何ですか?」


 青い半透明な瓶に、人の形をした影が映っている。


「人魚じゃよー。」


 少女の声が店の奥から答える。

 なるほど、その影の半身は、魚の尾ひれの形をしている。


「言っとくが本物じゃよ。驚かさんようにしとくれ。」


 青年の切れ長の目が、ぎょっと開かれる。


「本物って……あの、人魚ですか?」


 どの人魚じゃよ、と声だけが返ってきた。声の主はいつ終わるともない道具整理を続けている。


 じっと、瓶の中を見つめる。半透明なのだが、水が青くて輪郭くらいしかわからない。それでも、目を凝らして中を見続けていると、


「あんまり見つめ続けると恥ずかしがってしまうよ。」


 先ほどの声の主が、瓶をひょいと持ち上げた。水干姿の少女である。にこりと、青年に微笑みかけた。


「これはな、ほれ、こういう風に使うんじゃよ。」


 お目目を閉じてごらん、と青年の瞼の上に、掌をかざす。青年もなされるがままに目を閉じる。

 すると、少女は瓶を青年の額につけ、指で打ち鳴らした。わずかな振動と、高い透明な音が鼓膜と頬を震わせた。


 ふと気付くと、青年は水の中にいた。濡れている感覚はない。呼吸もできる。ただ涼やかな水温だけが、猛暑でほてった体を包んでいる。

 どうも沈んでいるようであったので、一足二足、水を掻いてみた。しかし変化はない。周りは青一色の世界。遠くは見えず、かといって手近に何があるわけでもない。ただ、清涼たる青が広がっているだけである。


 このまま沈んでいくと、どうなるのだろうか? 青年には疑問はあったが不安はなかった。


(それなら、それで……)


「ほい。」


 気がつくと、少女が瓶を取り上げ、頭上にかざしていた。


「溺れるのはよくないよ。水にも、何事にも。」


 そう言ってまた、にこりと微笑んだ。

 青年はしばらく呆然としていたが、


「そう、ですね……」


 とあきらめたように納得し、微笑みかえした。


「じゃ、スイカでも切るかの。」

「ええ。」


 縁先につるした風鈴が、涼風に小さく揺れ、夏の終わりを、確かに感じさせていった。

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