第15話 夏の形見
清々しい音がして、ふと、軒を見上げた。
そこには、水色の地に薄紅の朝顔が描かれた、小さめの風鈴が揺れていた。
(あら、まだ出しっぱなし……)
晩秋の折、初冬の冷たい空気すら身にしみるこのごろである。涼を得るための風物は、早々にしまわなければ。
そう思って手を伸ばすと、
「おや、風鈴をしまうのかね?」
この家の主人がやって来て、声をかける。
「申し訳ございません。本来ならば先月には片付けておくべきでしたのに……」
「なあに、かまわんよ。しかし、そうだな……少し待ってくれないか?」
そう言うと、腕を組んで黙ってしまった。松葉色の着物を着た家人は、日の入りにくい部屋の中で見ると、襖絵の中に描かれた人物のようだ。「初老の松」というにはまだ早いが、白髪が見受けられる歳になってきたという。
う~ん、と首を俯かせてから、
「ははは、やはりしまった方がよかろう」
と笑った。
「いや、あえて吊るしておく理由を考えていたんだが……やはり風物故にな、片付けたほうが良いだろうね。今の時期に朝顔というのも変だ」
そうしてもう一度笑った。
そうですね、と自分でも考えてみる。
冷たい空気を含んだ風が、そっと風鈴を揺らす。秋晴れの空に音が吸い込まれ、そこは時間が逆行したようであった。
「確かに、理由はありませんが……可愛らしい音でございますので、それだけで吊るしておいてもよろしいかと。それに……」
それに? と主人が問う。
「秋の空は高く、また山も静かなので、より大きく響き渡ります。風鈴としても本望ではないかと」
一瞬ぽかんとしてから、主人は口をあけて笑った。
「なるほどな。君がそういうのなら、そうなのだろう。あと二三日置いておきたまえ」
そう言って笑いながら奥の間へ戻っていった。
(やっぱり苦しかったかしら? でも、そういわれるともったいないですものね)
いたずらをした後のような、ちょっとした気まずさを隠すため、風鈴を指で揺らした。
風鈴は慌てたように数回、涼しくも清く、穏やかな音色で揺れると、また何事もなかったかのように軒下に居座っていた。
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