第10話 水爬虫 ー たがめー

  チリン


 風鈴が揺れる。

 風鈴は、暑さを和らげるための道具というが、音を聞いても一向に涼しくならない。


 日の当たらない縁側は、この家で一番涼しい場所。けれど、風が無い今、もしかしたら一番外の暑さを浴びる場所なのかもしれない。だとしても、そこから動く気にはなれないのだが……


 風鈴の音は暑さを和らげはしないが、セミの声は暑さを引き立たせる。相変わらずの大合唱が、炎天下の気温をさらに加熱させている。


「暑いね~」


 誰とも無しにつぶやく。田舎は涼しくていい、という声を聞くが、ここは盆地。夏暑く冬寒い。


「ひどいね~」


 頭の中にすり鉢が思い浮かんだ。


「ごま~」


 うわ言が出てくるあたり、そろそろ限界かもしれない、と考えられる余裕はあるらしい。


 そこへ横から声がかかる。


「なんでぇそりゃあ? 暑さで頭いかれちまったのかい?」

「う~ん、そろそろげんか~い」

「あ~、ちと手遅れかもな」


 声を発しているのは、庭の手水鉢から顔を覗かせている小さな影、タガメである。特有の大きな前足を鉢の縁に掛け、小さな顔の小さな目を、水中から覗かせている。


「おじいさ~ん、干上がんな~い?」

「まだそこまでいっちゃいねーよ。ま、強いて言えば茹だるかもな。最近は富みに温くなってやがる」

「そーだよねー。茹だるよねー」

「嬢ちゃん、茹だる前に水でもかぶってきな」

「あ~、そうする~」


 とは言いつつも、少女は一向に動く気配を見せない。というより動く気力がないようだ。


「ね~、人間ってさ~」

「あん?」

「溶ける~?」

「溶けないよ」

「いやあ、これは溶けるよ~」

「溶ける前に水かぶってきな」


 セミは合唱を止めず、風鈴はさきほどから一声もあげない。

 若葉はいよいよ碧く、狭間から見える空は、呆れるほどに青い。


「と~け~る~」


 少女の夏は、始まったばかりである。

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