第10話

「……ブフッ」


 眼を虚ろに開き、静止していたヤッちゃんの口からは血が吐き捨てられる。そのままスルスルと倒れ込んでしまう。


 「ヤッちゃんっ!!」死確者は目を見開き、叫ぶ。地面に倒れたヤッちゃんは目を閉じている。膝を地面につけ、素早く首下から腕を回す死確者。


「ヤッちゃん……ヤッちゃん! しっかりしろよ、ヤッちゃんっ!」

 ヤッちゃんの肩を揺らしながら、大声で叫ぶ死確者。


「ザマーみやがれ」


 黒はフラフラしながら立ち上がる。ヤッちゃんと同様、口から血を流しながらも黒は生きていたのだ。


「もう容赦しねえ」


 黒の声から恐怖はない。感じるのは、何かを果たそうとする狂気、ただそれのみだ。

 すると、ヤッちゃんは薄眼を開け、薄い呼吸をし始めた。


「ヤッちゃん、気を確かに——」


 「……け」口から血を流しながらも、死確者に何か伝えようと必死に声を絞り出すヤッちゃん。


「えっ?」


 死確者は体ごと近づけ、聞き取ろうとする。


「能無しもガキもサツも全員だ……」


 黒は銃口を人質に向ける。


「全員死ねぇっ!」


 黒は叫ぶ。


 同時に、ヤッちゃんは左手で死確者を払いのけた。

 ヤッちゃんの想像していなかった予想外の行為に死確者は、為す術なく後方に倒れ込み、尻餅をつく。

 同時に、しまっていた拳銃を右手で取り出し、再び構える。


「黒瀬ぇ」


 ヤッちゃんを見た黒は、目を見開き、銃口をそちらに向ける。


「地獄で会おうぜ」


 黒へ弾丸が放たれる。

 ほぼ同時に、黒もヤッちゃんへ弾丸を。


 なんの悪戯か、ヤッちゃんのは黒の肩に、黒のはヤッちゃんの頭に命中した。


 空いた頭部から血飛沫が上がる。

 そのまま折れたように首が後ろに曲がり、受けた勢いそのまま抵抗なく背中側に倒れた。一瞬で絶命したのが分かる。


 人質から悲鳴が上がる。

 それを聞き、すぐさま黒は銃口をそちら側に。


「次はぁ!」


 銃口はタイチ君に向いていた。


 走り出す死確者。

 死確者の足が地面から跳ねていくたびに再び、辺りがスローになっていく不思議な感覚に私の体は包まれていく。


 母親は黒に背をむける形でタイチ君を抱きしめる。自身を犠牲にしてまで守ろうとしているのだ。

 一方のタイチ君は母親の左肩から鼻上辺りが出ており、その光景をはっきり見ている。だが、何が起きてるかは分かっていないだろう。ただされるがままの動きに、目前で起きていることに呆然と見ていた。


 黒のトリガーに重みがのしかかっていく。


 死確者は手を横に広げ、大の字状態でタイチ君らの前に立ち塞がる。


 トリガーはそのまま——


 すると、店中のすりガラスが割れ、周りの音を全てかき消した。

 人質は皆、体を丸くし頭を守る。

 私も含め天使も皆、必要ないのに思わず、目を伏せ体を縮こませる。


 黒は同じ体勢のまま、歯を食いしばりながら入ってきた人間たちの方へ腕を持っていき、乱れ撃つ。


 だが、瀕死の1人が完全武装した複数の人間に勝てるはずもなかった。


 けたたましい足音と割れたすりガラスが踏まれる音の中でも聞こえる複数の銃声音。

 黒は武装した3人からの発砲により、身体中に穴が開き、ところによっては風穴が開き、腕を落とす。銃弾を受けた反動で黒の体は天井を向く。

 目を見開いたまま動かない。一目瞭然だ。もう絶命してる。


 他のメンバー——偽の拳銃を紫は投げ、黄色は置き、緑は落とし、手を頭より上に挙げる。降参のポーズだ。すると、すぐさま地面へ叩きつけられ、両腕を後ろに回され、手錠をかけられる。


 これにて、テレビの中で起きているような銀行強盗事件は幕を閉じた——とは言っても死確者のことが終わったわけではない。

 というか私は辺りの状況把握をするのに精一杯で、死確者から目を離していたことに気づいた。


 慌てて視線を戻す。大の字のままだ。


 よかった、大丈——


 死確者は抵抗なく後ろに倒れた。


 ——夫じゃないようだ……


 私は死確者のそばに駆け寄り、膝を曲げてしゃがむ。

 服の左下辺りが血で滲んでいる。どうやら撃たれたのは腹部のようだ。


「大丈夫ですか?」

 天井を見つめ、呼吸が荒くなっている死確者に声をかける。


「そう、見えるか?」


 「いや全く」服が赤くさらに染まっていく。明らかに大丈夫には見えない。


「だよな……」


 力を使えば、応急処置をし、助けることは容易だ。

 だが、できない。正確に言うと、してはいけない。


 申請をし許可を得られた場合以外、どんなに小さくても担当死確者の怪我を直してはいけないのだ。これも、規則だ。

 仮に今から申請しても、良い返事が来る頃には死確者は死んでいるだろう。そもそも、良い返事が来るとは限らない。


 つまり、助かるかどうかは死確者次第、ということだ。


「タイチ君は助かるって言ったじゃないですか」


「職業病だよ」


「そうですか」


 私はそれ以上聞かなかった。

 もちろん、職業病もあるだろう。だがそれと同じく、もしかしたらそれ以上に、どうしても母子を救いたい理由があるのではないか——心当たりはあった。


「……あの子は?」


 死確者の声は明らかに弱くなっている。


「母親に抱きしめられてます」

 「もちろん元気なままで」そう付け加えると、死確者は笑みを浮かべた。


「聞いていいか?」


「なんでしょう?」


「……俺の死因は、これなのか?」


 発言に力がなくなる。声も内容も。

 さっきトイレのモップで戦おうとした人と同じだとは思えない。

 それに顔からも笑みが消えている。


「申し訳ないのですが、私には知らされてないんです」


「そうだった、忘れてたよ……でも、これでよかった。こっちの方が俺なんかには丁度いい」


 消防署が近かったのか、救急隊員の行動が素早いからなのか、もう救急車のサイレン音が聞こえてきた。

 思ってたよりも遥かに早い到着になりそうだ。


「頑張ってください。もう少しで救急車が来ますよ」


 私がそう伝えるが、それには何も言及せず、「多分だけどさ……」と話題を変えた。


「俺の死因は、だったと、思うんだ」


 吐いた息が歯に当たり、隙間からヒューヒューと隙間風のような呼吸を短く何度もしている。


「死のうと思ってたんですか——」


「けど、よかった」


 ……どうやら私の声はもう届いていないらしい。


「ヤッちゃんにも会えて、あの親子を救えたんだからな——死ななくてよかった」


 「これで……会える」死確者の目が細まる。


 そして、再び笑みを浮かべる。


「あっちで、ようやく遊んでやれる……」


「その前にまずは謝らないと」


 これは聞こえたようだ。私の顔を死確者は少し不思議そうに見てくる。そして「ハハハ」と力なく笑った。


「そうだな。まずは許して、もらわ、ない、と……な……」


 死確者は静かに目を閉じ、糸の切れた操り人形のように手を床に垂らした。


 まさか、死神が言ってたことがこんなにも早く起きるとは……


 外で動きがあり、ふと目をやる。自動ドア越しに救急車が着いたのが見える。

 救急隊員が降りる。上下に伸縮する車輪付き担架やら赤字に白十字の描かれたセットやらを持ちながら、こちらへ懸命に走ってきている。


 だとしても遅い。遅いのだ。

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