第9話

「返す?」


「今な」


「は?」


「だからさ……ゴメンな」


 その一言から何かを汲み取ったのか、少しだけ目を見開くヤッちゃん。


 「さっきから何長々とアホな会話してんだ?」呆然としていた黒が眉をひそめながら口を開く。


「今回だけは許す」

 無視してヤッちゃんは続ける。ニヤけながら。


 「なら良かった」同じくニヤけた死確者。


 死確者は突然、拘束されたフリをしていたのをやめ、そのまま後ろポケットに入れていた長方形の古びたゲームソフトを前に持ってきながら天井へと放り投げた。

 そのあまりに唐突な行動に私は、恥ずかしながらつい目を見開いてしまった。


 ゲームソフトがクルクルと回るたび、緊張からなのか周りがスローモーションになっていく不思議な感覚を抱いた。


 黒は銃口と視線をそちらに向ける。おそらく投げられた何か把握できなかったんだろう。もしかしたら、何か危険なものと思ったのかもしれない。


 拳銃から弾丸が飛び出す。何かを物凄い力で押し出し、弾き飛ばしたような耳をつんざく音が店内に響く。人質が悲鳴をあげ、一斉に伏せる。

 同時に、タイチ君を締め付けていた黒の腕も緩み、できた空間からしゃがんで抜け出す。


 弾丸は回転しているゲームソフトへ当たる。死確者の後方へ落ちながら、勢いを失っていくゲームソフト。

 反対に人質の、死確者の、母親の方へ勢いよく走っていくタイチ君。


 気づいた黒は慌てて視線を戻す。遅れて銃口も戻ってくる。


 そのわずかな瞬間を見逃さず、ヤッちゃんは片目を閉じ、トリガーに手をかけた。

 そして、こちらはイメージしてたよりも遥かに小さなパシュッという破裂音が2度聞こえ、ともに黒の腹部に命中。衝撃で体が揺れ、そのまま倒れ込む黒。


 駆け出したタイチ君は両手を開いて待っていた母親の胸に飛び込んだ。


 沈黙が訪れる。物音ひとつ聞こえない。


 「はぁ……」ヤッちゃんが張っていた腕と肩を緩ませると、人質から安堵の声が上がり、広がっていった。


 そんな中、死確者は険しい表情になり、ヤッちゃんへ早歩きで向かっていく。

 その姿を見て、ヤッちゃんは表情を緩ませながら拳銃を背中側のポケットにしまう。


「あの後親父が借金残したまま蒸発してさ、ドタバタしてたら番号書いた紙無くし——」


 死確者はヤッちゃんを殴った。右頬を平手打ちで。


「ふざけんなよ……ふざけんなぁ!」


 ヤッちゃんは向いた場所で静止している。


「なんでこんなことしてんだよっ」


 返す言葉なく右頬に手を置いたヤッちゃんは、「ゴメン……」と視線を落とす。

 力なく謝るその姿は、とても拳銃で人を撃った人物と同一とは思えない。


 気まずい空気が流れる。

 死確者は虚空を見上げ、大きく呼吸する。


「……よく分かったな」


 死確者の声色が変化したことに気づき、恐る恐るだが、顔を上げるヤッちゃん。


 「俺がソフト投げるって」そう言って、死確者は微笑んだ。

 ヤッちゃんは申し訳なさそうに、でも嬉しそうに笑みを返し、「そりゃ——親友だからな」と返した。


「……宝物壊しちまってゴメンな、ヤッちゃん」


「いいさ。もうゲームって年じゃない」


 外から、ドサドサと重い荷物を背負った人が歩く音が聞こえてきた。


「これが最後の警告だ——投稿しろ! さもないと強行突入するっ! 脅しじゃないぞ!!」


 しばらく静かだった警察が再び騒ぎ出す。そして、またしてもチープだ。


「あんま話す時間はなさそうだ」

 そう呟いたヤッちゃんも死確者も同じ方を見ていた。


 窓口とは反対にあり、越えれば駐車場がある壁。胸より上ぐらいの高さにすりガラスが横に8面ある。


 「……そうだな」死確者の弱い返答。


 ヤっちゃんは緑・紫・黄色の方に体を向け、「捕まらないから力を貸してくれ、と無理矢理誘ったのに……本当にすまない」と深々と頭を下げて謝った。


「別に捕まる捕まらないで参加したわけじゃないですよ、俺ら3人は」


 緑はそう言うと、マスクを取った。

 ヤっちゃんは顔を上げる。


「昔、『一生リーダーについていきます』って話したの覚えてます? 俺らはただ、その約束を果たしただけです」


 次は紫がマスクを外す。


「だからリーダー、謝んないで下さい」

 最後に黄色が素顔を晒した。その表情は3人ともどこか満足げであった。


「お前ら……」

 ヤっちゃんは顔を伏せ、鼻に手を当ててすすり始めた。


 犯罪は犯罪である。重ねた罪はそれ相応の刑罰に処されなければならない。普遍的であり、万人が必ず受けるべきものだ。それは、現世でも無罪か有罪かの裁判、冥界では天国か地獄かのサイバン、という形で行なわれている。彼らにはそれ相応の罰が待っているだろう。

 だが少なくとも、今この場での状況の中で且つ私の主観というかなり制約のある条件が付された中でのことであるが、子供を助けたことで人質たちは犯人グループ4人に対して、少なくとも憎悪を抱いているような顔はしていないようだった。むしろ母親に関しては、ヤっちゃんと目が合った時、会釈をしていた。母親の目は感謝で満ちているようにもみえた。

 つまり何が言いたいかというと、情状酌量というのが裁判にしろサイバンにしろ存在しているのであれば、どちらも前者である可能性が高いということだ。


 ヤっちゃんは1つ息を吐いて呼吸を整えると、死確者の方をしっかりと向き、両手首を前に突き出した。


「……なんだ?」


「おいおい……いくら元刑事だからってここまで忘れんのか?」


 刑事、というワードで分かったのか、口を小さく開けて頷く死確者。


「そうは言っても、手錠は持ってないぞ?」


「この際なんでもいい。そうだ、プラスチックの拘束バンドはどうだ?」


「どこにある?」


「確かその受付窓口の上に——」


 バンッ!——不気味な破裂音が轟く。

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