第4話

 ……来ない。一向に来ない。


 足音は確かにこちらに来ていた。というよりもすぐそこに来ていた。


 なのに……何故来な——ん?


 水の流れる音が聞こえた。続けて、の扉が開く音がした。

 私は扉から顔を出す。2人の去る姿を見て、そして音を聞いた瞬間、全てを理解した私は顔を元に戻す。


 「すいません」トイレというものを使わないからこその盲点だった。


「こちらに来ていたのはどうやら、女性の人質をトイレに行かせるためだったようです……」


 「何?」死確者の構えが緩む。


「今、左隣にあるトイレから女性と武装した男が出てきました。去る時の足音がさっきのと同じだったので間違い無いかと」


 そう告げると、安心したようにフゥーと息を吐きながら、モップを下す死確者。


 「お騒がせして申し訳ありません」私は上半身を折り曲げ、謝罪する。


「別にいいさ。それに、用心するに越したことはない。だけど、幸か不幸かこれで、このままトイレに立てこもり続けるのも危険だってことが分かっちまったな……」


「隠れるならもっと安全な場所がいい——そういうことでしょうか?」


「ああ」


 さっきは幸いにも女性側だったが、次はこちらかもしれない。

 人質にしろ犯人にしろ、使う可能性は十分にある。


 すると、死確者は何かを閃いたような表情を浮かべ、こちらを見てきた。


「アンタ……見えないんだよな?」


「はい」


「誰にも?」


「例外なく」

 そう答えると、死確者が近づいてくる。


 な、なんだ?


 目の前で立ち止まる。


「どっかいい場所、探してきてもらえるか?」


 あぁ……成る程。


「分かりました」


 安全な場所を探すため、誰にも見えない私は堂々とトイレを通り抜けた。




 探す、と言っても心当たりはあった。顔を覗かせ辺りを見てる時に、左手に“倉庫室”と書かれた部屋が見えたのだ。

 状況的にここしかないのだが、なぜさっきそれを伝えなかったのか?——そこまで移動できるか分からなかったからだ。


 トイレの前には、イベントや広告を磁石で張り付ける板があるため、そこを利用していけば、ある程度の範囲は移動できる。

 だが、そっから先なのだ。


 とりあえず私は背を低くし、壁伝いに歩き始める。

 誰にも見られるようなことはないのだが、あくまで死確者たちが見つからないような動き方でしなければ意味がない。


 この体勢と動きだと、まるで私が泥棒のような悪者に見え、悪いことなど何もしてなのに……と少し癪にさわるが、今は我慢。


 トイレからしゃがんだ状態で7、8歩ほど歩くと、板の端に到着。

 さあ問題のゾーンだ。倉庫室はこの字型で壁に囲まれたところにあるのだが、板から壁までに3メートルほど距離がある。


 要は、見えてしまう死確者たちが果たしてここを誰にも気づかれないように移動できるかということ、ということだ。

 人質に見つかり、じっと見られるのも、ましてや声を出されると非常に厄介なことに——あっ。


 犯人たちの動きを把握ある程度把握できればなんとかなるかもしれない。

 初めての状況下に置かれた私には、何をしていいかわからないため、とりあえず思いついたできることをしていくことにした。


 壁から顔だけ出して、辺りの様子を伺う。

 人質を犯人の位置関係などは然程変化なし。


 すると、頰が黒のクラウンが腕につけた時計を見てすぐ足を小刻みに動かし始め、「おいっ、まだなのか?」と手を口横に添え大声で奥へ叫んだ。声色から苛立っているのがよく分かる。


 「あと少しですっ」返事がくる。


「チッ——相変わらず、仕事が遅せぇーな……」


 「そう言ってやるな」頰が赤いクラウンがなだめる。


「こんなのは開けてから3分以内にできなきゃいけないレベルのもの。なのに、もう既に2分オーバー。いくら久々でも流石に遅過ぎるでしょ、リーダー?」


 人質には拳銃だけ向けて、顔を完全に赤の方へ向ける黒。

 どうやら、頰が赤いのはリーダーなようだ。


「それを今どうこう言っても仕方ないだろ。今できる範囲でやれることをする。あいつらだってわざとやってるわけじゃない。あれが精一杯ならそれを待つだけだ。それに、まだ警察は呼ばれてない。なのに、下手に急がせてミスられるより、ゆっくり着実に確実に盗み、完璧にこの場から去るべき——違うか?」


 黒はリーダーへの視線をそのままにしていたが、いたたまれなくなったのかしばらくすると「分かりましたよっ」と言葉を吐き捨て、視線を人質の方へ戻す黒。


 そんなクラウンだけに、道“化”してる者たちのやり取りを見ていると、リーダーである赤が突然こちらを見てきた。


 私と目が合ったのだ。


 振り返るという予想外の行動とピッタリと私の目を見てきたことに、私の体がビクつき、思わず足が止まってしまう。


 体が動かなくなってしまった。言うことをきかない。

 いや心配するな。犯人はおろか人質にでさえ私のことは見えてないはずだ。というか、見えるはずなどない。

 そうだ、私は見えてない——はず……

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