科学世界32 噛み合わない心
ぎりぎりまで考えていた。それで、本当に良いのかと。
実力ならもう充分に見せることはできた。これ以上は必要ない。
あとは――
「ぐぅ! 正直、予想を遥かに上回る! まさか……君も?」
「俺が、なんだ」
「違うようだね。ははっ、世界は広い!」
やはりと言うべきか、ローエンはエクサーだった。
今の問いかけもそのことについてだとは思うのだが、エクスを扱う者特有の青白い光、それが俺にはないことに気づいたのだろう。自己完結する。
ローエンがエクスを扱う。それは分かった。そしてこの男の強さも。
だがそれは、俺が考えていたことの脈所ではない。
姫乃達が現れた。側にはアンジェリカもいる。
来るなと伝えるのを忘れていた。いや? だとしてもなぜ場所が……。
頭を振り、深く考えるのをやめる。いいか、どうでも。
悩んでいたということは、どちらに転んでも構わないと思っていたはずだ。自身に言い聞かせる。
姫乃の声が聞こえた。決着はついた。どうあれ、そのような結果になった。
仕方ないよな。今回の仕事をやり遂げることを考えれば、俺の選択は間違ってはいない。
そうだ。仕方ない――
「もう、また無茶して! あなたがローエンに勝てるはずないでしょう」
ぱたぱたと走り寄ってきたアンジェリカが、池の淵から俺を叱る。
「そうだよな」
決闘なんかを行うべきではない綺麗な庭園。そんな場所で水没する
「……グランド?」
アンジェリカの言ったことを頭の中で反芻する。
また、と言った。勝てるはずはない、と言った。
であれば、ここはこれで正解のはず。
あいつだって、そんなことくらい分かっている。理解はしてくれる。
「そうだよな……」
姫乃。
アンジェリカの向こう、ローエンに迫られている彼女に一度視線を向ける。
手合わせ直後の影響もあってか、ローエンは少々興奮気味のようだ。
体が冷たい。
すぐに目を伏せると、池から這い出た。
……。
その日の夜からさっそく、俺はグランドの代わりに晩餐会に出席していた。
特に頭を悩ませる必要はなく、堅苦しい類のものでもない。何らかの業界の著名人とその関係者が集まる、何らかの受賞記念パーティ。
業界に通じる者であれば一目置くような存在も、関係のない者からすればただの一般人だ。
テレビを見るどころか置いていないという家自体が多くなってきた昨今、芸能人と言われる人種でさえ、ただのそういった職についている一般人に過ぎない。
ましてや今日は、俺が存在も知り得ていなかったような分野で活躍する者達が集まり、何事かを祝っている。
一定の敬意は示すものの、興味なんてない。
最初こそ緊張はしてはいたが、一国の王子に話しかけてくる者達の方がよほど緊張していた。
そのため長く話し込むつもりはないのだろう、事務的な挨拶を二言、三言かけにやってくるだけ。
基本無口で通しておき、話しかけられても当たり障りのないことを言う。あとはローエンが。その繰り返しだ。
「こういう気楽な場こそ、危険なものだよ」
関係各位の挨拶の波が止み、周囲に誰もいなくなったあとローエンがぼそりと言った。俺は頷く。
身辺警護が何人か側に控えているとはいえ人と人との距離は近く、加えて入場規制も緩い。
暗殺してくるにしろ、大々的に何かをするにしろ、やろうと思えばなんだってできそうだ。
「現状、何も起きそうにないな……」
「うん。でも、油断はしないようにね」
「こういう会話をしている時に限って、何か起きそうで嫌だな」
「はは。そう言われるとそうだね」
盛大な伏線を張ってはみたものの、この日、俺扮するグランドに仕掛けてくる者はおらず、何事もなく晩餐会は終了した。
しかし何事かが起こったのは、晩餐会からの帰りのこと。
被害を受けたのは、グランド本人ではなく俺でもない。
姫乃の護衛を引き受けたローエンが送り迎えのため朝から屋敷にやってきたのだが、現れたローエンの片腕には包帯が巻かれていた。
「どうしたんだ? それ」
「やられたよ。昨日の帰りにちょっとね」
聞けば、ローエンが寝泊まりしているホテルの駐車場で、見知らぬ二人組に突然襲いかかられたのだと言う。
駐車場は、外ではなくホテルの地下。乗り合わせていた護衛も含め、少し気の緩んだところを狙われてしまったらしい。
「ま、傷は問題ない」
「それはよかったが、お前が怪我をする相手か」
猫に引っかかれたくらいの軽傷だよ、と言って笑うローエン。
何とか応戦し撃退したそうだが、気になったのはこいつほどの男が怪我をするような相手がいたということ。
しかし、それについては。
「ん~。兄さんや僕を狙ってきたわけではなさそうなんだよね。出で立ちからするに、最近この近辺を賑わせているやつらかなって」
ここ数日の間、通り魔的犯罪を行う二人組が世間で騒がれている。通称ピエロ。
その名の通り道化のような格好をした二人組が道行く人を殺害し、金品を奪って逃げる事件が相次いでいるのだ。
今回ローエンを襲ったのも、おそらくその二人組とのこと。
相手の言動から察するに、自分のことなど何も知らない、ただの金持ちを狙った犯行のようだったとローエンは言った。
「でも、念の為だ。兄さんをお願いできるかな」
「そういうことであれば、仕方ないだろうが――」
「やあ、久しぶりソラ。世話になるよ」
場所の割れているかもしれないホテルは危険だと、グランドが姫乃の屋敷へとやってきた。
=====
嫌だ、とは言えなかった。
なぜか目をつけられてしまった私。ローエンが連絡すると、お父様は二つ返事で了承した。
相手は王子。それもあらゆる点で優秀だといえる男。
お父様からしたら、否定する要素はない。
嫌だ、とは思っていた。
思っていても口に出すことは憚られた。
否定する材料がなかったし、先に言ったようにお父様が認めてしまったこともある。
ただ、それ以上に羞恥心が邪魔をした。
寸前まであいつに不機嫌な態度を取っていたことから、強く否定ができなかったのだ。
くだらない、小さなプライド。
「おはよう、姫乃ちゃん」
「おはようございます」
「今日は良い天気だね。こんな日は、勉強なんて忘れて出かけたくならない?」
この男に、悪いところはない。客観的に見ても、望んでも手に入らないような優良物件。
この先同等の男が現れるかというと、宝くじを当てるよりも難しいのではないだろうか。
「いえ、別に私は」
「ごめんごめん。姫乃ちゃんは、そうだよね。でもそういうところ、好感が持てるよ」
「え、はい。ありがとうございます」
あいつとは、正反対に位置する男。
些細なことにも気が付き、褒められるところは褒めようとする。
この男はきっと女性が喜ぶ肝所を知っているし、扱いもうまい。
今し方問われた内容については微妙なところだが、それはおそらく私の学園に対する想いを知らなかったからだろう。
ずっと楽しみにしていた。何もかもが新鮮。
同年代が一つの部屋に集まり同じ教育を受け、共有するのがこんなにも……もう、一人きりの教室は嫌だ。
「午後は少し、席を外すことになるけど大丈夫かな?」
「はい。あいつも、常に側にいたわけではありませんし、頼りになる友人も近くにはいますので」
「良かった。なら、授業が終わるくらいに正門前で待っていればいいかな。それとも、教室まで迎えにいってもいい?」
「それは……正門でお願いします」
「ふふ、分かってるよ。でもちょっと、残念」
今日だってそう。
初日から厄介事に巻き込まれている――というより背負い込まされたバカがいた――けれど、学園は始まってからまだ三日目。
私は、楽しみで仕方がない。
この先で待っていること、知識でしか知らないがいろいろな想像や妄想だってしてしまう。
「あの、ソラは今日何を?」
「朝からいくつか回ってもらいところがあってね。……やっぱり、彼がいないと不安かい」
「そういうわけでは。ただ、何をするのか気になっただけで」
授業もさぼってしまうわけですし、と続ける。――まただ。
また咄嗟に否定してしまったことが、胸の奥に引っかかった。
あいつがいないと不安というわけではない。ローエンのことを信用していないわけでもない。
でも、私の想像の中にいるのは。学園生活を送っていく私の側にいるのは……。
一呼吸置き真面目な顔をしたローエンが、小さく息を吐いたあと口を開いた。
「君も見ていたと思うけど、僕は彼に勝った。それに彼本人から認められ、僕はここにいる」
「はい。えと、その、よろしくお願いします」
「うん……まあいいか。さあ、行こう」
ローエンの用意した車に乗り、学園へと出発する。
窓の外に視線を向けると、グランド王子と何かを話し込んでいる様子のソラ。
何気なくその光景を見ていた私と目が合うと、ソラは無表情のまま手だけを上げる。
人の気も知らないであいつは……もう。
ふいっと視線をそらした私は、勝手なことばかりをする無責任男にばーかと、胸中で呟いた。
「行ってきますね~! 兄さん。ソラも、また後でね!」
「行ってらっしゃい」
「おーう」
窓から顔を出したローエンが二人に手を振るその横で、意外と気づかないものよね、と今ごろになって思う。
容姿、性格、甲斐性の有り無し。ステイタスと呼べるものは他にも様々あるけれど、比較すればどれをとっても負けるであろうあの男。
でも――
「姫乃ちゃん」
「はい」
窓を締めたローエンが、私に向き直る。
あいつが悪いとは言わない。ローエンが完成されすぎているのだ。
それでも、私は――
「いつか、なんて僕は言わない。時間は限られているからね」
鋭い視線、自信のある表情をローエンは向けてくる。
「今回の件が片付く前に、絶対に君を、振り向かせてみせる」
慣れない経験。耐えられなくなった私は、下を向いてしまう。
相好を崩したローエンは、最後に優しい口調で締めくくった。
「突然ごめんね。でも、これは冗談なんかじゃない。僕は本気だから」
理由なんて、私にも分からない。
大半の人にとっては、逆の考え。
でも、それでも私は……。
「はい……」
代わってほしくなかっただなんて、あいつの方が良かっただなんて、今さら言えるわけない――
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