科学世界31 微かなすれ違い

 グランドの代わりを務める俺が、どの程度動けるのかを確認しておくため。

 そのような理由から一対一の決闘をすることになったのだが、もう一つ。


「一目惚れってやつさ……僕が君に勝てば、彼女の護衛は僕が引き受けるということで、どうかな?」


 と言って、新たな要求を加えてくるローエン。

 聞けば、この先ずっとというわけではなく、事が終わるまでの一週間でいいらしい。

 その間にローエンは、姫乃を落とすつもりのようだ。

 大した自信だなと俺が笑うと、一週間で駄目ならその先もきっと駄目さ。と、その道の達人のような言葉を返してきた。

 少し考えたあと、俺は首を縦に振る。


「構わない。とは言っても、俺の一存で決められることではないがな」


 この一週間は、どうしても姫乃から目を離してしまう状況が出てくるだろう。

 元々は速水にでも頼もうとしていたことだが、速水には三日月がいる。

 考えすぎかとも思うが、速水の手にも余る事態に陥った時、あいつが優先するのは三日月のはずで姫乃ではない。

 それならば、第二とはいえ王子の保護下――本人だけでなく部下もたくさんいるだろう――に入った方が安全なのではないかと考えた。


「そもそも、俺の許可なんていらないぞ。あいつに言い寄るのだって、好きにすればいいさ。俺は止めない」


 本人が嫌がっていなければ、という言葉は飲み込んだ。

 姫乃と俺は、恋人同士でも何でもない。主人と従者という関係。

 そのあたりの事情に関しては結局、本人の意思次第なのだ。


「君が認めたということが、僕にとっては重要なのさ……」


 呟いたローエン。

 意図していることは分からないが。


「そうか。ならもう一度言うが、俺はそれで構わない。勝敗に関係なく、護衛を引き受けてもらってもいいと思ってるくらいだ」

「はは。わざと負けるなんて真似はよしてくれよ?」


 下で待っていると言い残し、ローエンは背を向ける。

 手すりにもたれ、室内へ入っていくのを眺めていた俺は、ローエンの姿が見えなくなると外に広がる景色に目を移した。


「どうするかな……」


 実際、悩んでいた。

 まだ少し会話をしただけだが、あれほど頼りがいを感じられる男。

 今のこの状況なら、あいつのことはローエンに任せてしまった方がいいのではないだろうかと。だが――

 考えをまとめきれない。息を一つ吐き出したあと、室内へと戻った。


 入り口の大きな扉が閉まるのが目に入る。

 閉まり切る前に見えた後ろ姿。ローエンは先に向かったようだ。

 じいっと見られているような視線を感じ、デッキ近くのソファに座っていた姫乃に顔を向ける。

 俺と目が合った姫乃は、それと分かるようにそっぽを向いた。


「なあ、姫乃」


 呼びかけても何も言わず、ただじっと険のある視線を飛ばしてくる。

 なぜかはいまいち分からないが、今日の姫乃は機嫌が悪い。が、理由が分からないので、どうすることもできない。

 無視をする気まではないようなので、構わず続きを言う。


「あいつ……ローエンのことをどう思う?」


 突拍子もない質問に、姫乃は眉を顰める。

 俺がそのまま無言で待っていると、おずおずと口を開いた。


「別に、何とも」

「好きか嫌いかで言えば?」

「は、はぁ?」


 ニヤリと小さく笑みを浮かべ、聞いてみる。

 悪かった機嫌が、さらに一段階悪化したような気がした。

 何かを言いかけていたような気もしたが……。 


「嫌いってわけではないけど」


 けど? 黙って続きを待っていると、姫乃は何かを思いついたように言う。


「良い人そうな印象よね。あなたと違って」

「そうか。じゃあ、仮に俺がさ――」


 言おうとしていた言葉は、三日月の俺を呼ぶ声によって遮られる。

 なんだか少々、焦っている様子だ。


「ごめん。お話し中だったかな」

「いや、いい。ほとんど終わってた。どうした?」

「霧さんから連絡があった」


 霧さんからの連絡。そう聞いただけで、大体どういった内容なのかが想像できてしまう。


「場所は、なんとここ。霧さんが言うには、側に君の姿もあったそうだ」

「ああ……なるほど」


 この後この場所で、エクスを使用する者が現れる。しかも側には、俺の姿。

 あいつが強いと言われる理由が先に判明してしまったな、と苦笑する。


「問題ないと伝えておいてくれ。悪用する気はないだろうからな」

「このあと、彼と何か?」


 彼? そうか。こいつには、見えていたんだな。

 狙っていたわけではないが、三日月達をここに連れてきておいて良かった。

 巻き込んだあとで言うのもなんだが、今回の一件でこいつらが怪我をすれば、いくら俺でも罪悪感を感じてしまっていたところだ。

 しかしエクスが絡むとなれば、話は別。自分たちから、積極的に動いてくれるのはありがたい。


 再びそっぽを向いていた姫乃に一言謝ると、俺は部屋を出ていく。

 他人の好き嫌いがはっきりとしていそうな姫乃が、嫌いではないと言った。それならば……。


「ま、いいや。まずは実力拝見といきますか」


 ローエンは俺を試すと言った。だがエクスの件も含め、俺もこの機会にローエンを試させてもらおう。

 考えるのは、それからでも遅くないはずだ。


 



 =====





 私は今日一日、ずっと苛々としていた。

 理由はあの男。というより、今の生活であの男以外になかなか不満は出てこない。

 もしかすると、何かと目立った真似をするあいつのせいで、その他の小さな不満が目につかなくなっているのかもしれない。

 良い事なのか、悪い事なのか。


「良いわけないわよね。全く……」


 だってそれは、細かなことに気を配れていないという意味ともとれるから。


「姫乃さん?」


 ホテル・ニューエンペラーへ向かう途中、私の放った小さな呟きが聞こえたのか、近くにいた奈子が反応する。

 何でもないと首を振ると、気にした様子のない奈子がそのまま話しかけてくる。


「それにしても、ソラさんと夜ちゃん達はどういったご関係なのでしょう」


 私の苛々とさせられていた理由が、まさに今奈子の言ったこと。

 やはりこの娘も気になっていたのね、と思うと同時に、それを素直に声に出せる奈子が羨ましいと思った。――まただ、まだ私は。


「むぅ。気になります」

「そうね」


 おそらく私達の想いには差異があり、荒んだ心を持つ私は完全に不満。清やかな心を持つ奈子は疑問に留まっている感じだ。


 学園が始まる少し前あたりから、私のいないところで、私を置いてどんどんと話が先に進んでいる気がする。

 それもこれも、あの男。

 私に最も近いはずの、専属のボディガードであるはずのソラが、何も説明をしてくれないからだ。

 個人の問題だからとか、危険なことに巻き込んでしまうだとか、あのバカはきっとそんな風に考えているに違いない。

 それが間違いだと気づいてくれるのは、いつになるのだろうか。


「私の努力が足りていないのでしょうか。こうなったら、もっと」

「……そうね」


 今回の件だってそう。

 夜や速水君達の方が、ソラから信頼されているような印象を受ける。

 私達のように問いたださずとも、昨日聞いた断片的な情報ではなく、もっと詳細な情報を夜達にはすんなりと話した。

 彼女たちがいなければ、今日この場に私と奈子がいたかも怪しい。

 昨日の時点では協力しろだなんて一言も言わなかったし、一人で行く気ではなかったのかと疑う。


 何も知らないと、何も知らされていないとでは大きな差があるのだ。

 多少の危険が付き纏うのだとしても、私は全てを知っておきたい。我儘を言うようだけど、その危険から守るのがあなたの仕事でしょう。

 口には出さないけど、その程度の危険ならば問題ないと私は考えている。

 その程度の信頼ならば、あなたに対して持ち合わせているのに。


「私の方が先に知り合ったはずなのに、悲しいです」

「あいつの主人が誰なのか、一度思い直させる必要があるわね」

「……うう。ソラさんと夜ちゃんの距離が近い」


 清らかな心というのも、ちょっと違ったか。

 この娘の場合は、同じ女である夜個人に対する嫉妬ね。

 アンジェリカに声をかけられ、その相手を始めた奈子から少し離れると、私はまたソラの背中に視線を移した。


「ちょっと、電話」


 一瞬だったが、速水君と目配せをしたような気がした。つい今までも、何かこそこそと話していたようだし……。

 男同士気が合うだけなのかもしれないけど、疎外感を感じるのはなぜだろう。

 なぜ、私には何も言わないのか。なぜ、あなたの主人である私が蚊帳の外なのか。

 不満は溜まっていく。


 ……。


 グランド王子の弟であるローエンと、グランド王子扮するソラがデッキに出て、二人で秘密の話を始める。

 もう何も言うまい。好きなだけ、ご勝手にどうぞ。

 今回に限っては理由が分かっていたが、それでも機嫌を悪くしていた私は口を尖らせてしまう。


「何よあいつ」


 私が隣にいなければ、ポカをやらかすところだったのに。

 切り替えの速さは素直に凄いと認めるけど、もっと良い案はなかったのかしら。

 今度は私達と同様、部屋に置き去りにされた夜たちと雑談をする。

 夜達にソラとの関係を聞いてもよかったが、やはりあいつの口から聞かなければと思いやめた。

 アンジェリカとその取り巻きも近くにいるしね。


 彼女たちを見ていて、ふと気になった。

 ソラのことをグランド王子だと間違え、今もそのグランド王子との思い出話をしているアンジェリカ。

 でも、そんなことってあるのかな。

 端から見ればとんだ笑い話だけど、彼女たちは古くからの知り合いで、さらには好き合っているのだ。

 何年も会わなかったと言ってもそれは――


 開け放たれたデッキへの扉。

 さあっと入ってきた風に、思考が中断される。

 そしてほんの少し聞こえた、二人の話す声。私は、デッキへと顔を出す。

 一言で言えば、各種鋭いパーツで作られた整った顔。自分に自信のある表情。

 私と目が合ったローエンは、それらを崩しニコリと笑う。

 小さく頭を下げ、顔を上げるときにはソラが振り返っていた。べっと舌を出し、また室内へ戻る。


 それから数分後、ローエンが一人で戻ってきた。

 ソファに座っていた私に一つ笑顔を見せると、部屋の隅に立っていたメイドに何かを伝え、そのまま部屋から出ていく。

 入れ違いで、ソラが。自然と顔を背けてしまう。

 私の前で立ち止まったソラは、神妙な顔で問いかけてきた。


「別に、何とも」


 私はそう答えた。

 正直言って、よく分からない。彼とは、まともに話したことさえないのだから。

 というより、何なのこの質問。私があなたに言って欲しいことは、そんなことではないのに。

 苛々としていたこともあり、冗談半分に口をついて出てしまう。


「良い人そうな印象よね。あなたと違って」

「そうか――」


 そうか? ソラの表情も、言葉も、私が期待していたものとは違った。

 否定や反論。そういったものを期待して、私は……。

 不機嫌だったのは事実だ。でもそれで、ソラと喧嘩をしたかったわけではない。

 今だって喧嘩をしているわけではないけど、どことなくすれ違いのようなものを感じる。

 どうやって立て直そうかと考えていると、その前に夜の横やりが入った。

 小言で二言三言話すと、ソラは私に一言謝り部屋を出ていってしまった。


 ……。


 再び、部屋に残された私達。

 あ! と、何かを思い出したように口を開いたアンジェリカが、二人のあとを追おうと言った。

 理由を聞くと。


「多分、いつものあれだよ。あの仲良し兄弟はね、スポーツ感覚で手合わせしているんだ。まあ、いつも負けるのは――」


 私達はこの時、アンジェリカを行かせてよいものかを迷っていた。


「二人きりの話は、もう終わったようだしね。行こうよ!」


 そう続け、ローエンのメイドに話しかけ始めるアンジェリカ。

 誰も答えを出せない中、夜が口を開く。


「確かに、そのようなことを言っていた。大丈夫そうだし、見に行ってみようか」

「うん! 場所は一階にある庭園だって!」


 夜の言葉に、アンジェリカが楽しそうに言う。

 夜には何か思い当たる節があったのだろう。大丈夫そうだと行った彼女の言葉を信じ、私も気軽な気持ちで席を立つ。

 私達が見に行く、引いてはアンジェリカを行かせるという選択が、あのような事態を引き起こすことになるとは、この時はまだ考えもしなかった。


「お~! すっごく広い! 池まであるよ」


 貸し切りの看板がぶら下がる扉を開け、中へと入る。

 アンジェリカの言った通り、向かった先ではソラとローエンが衝突していた。

 二人共、人間とは思えない動き。

 格闘技のことは詳しくないため、そうとしか言えないが、ああいうものなのだろうか。

 それでも――

 私が前に見た、奈子を助けた際のソラ。

 あの時に比べると、ソラの動きはいくらか鈍いような気がした。手加減でもしているのだろうか。

 だとするなら、勝つのはソラで間違いない。そう思った。


「あれれ……グランド?」


 少しだけ誇らしい気持ちで見ていた私の側、アンジェリカの呟くような声が聞こえ、まずいと思った。

 いい勝負のように見える二人。

 疑問に思うということは、グランド王子はあそこまで強くないのかもしれない。

 咄嗟に叫んだ。


「ローエンさん、あと少しです!」

「む?」

「あれ、姫……じゃなくてアンジェリカ!?」


 戦いに夢中で、私達が来たことに気づいていなかった二人。

 ローエンを応援してしまったのは、グランド王子がソラだと知っていたため。

 よく考えると不自然だが、戦いに見とれていた皆には気づかれずに済んだようだった。

 そして、私の意図を察したソラの動きが一瞬固まり――


「もらったぁ!」


 ローエンの一蹴りで、ソラの体は池に落ちた。


「はあ、はあ。これは、僕の勝ちでいいよね」

「そうだな……」


 ローエンと、池から顔を出したソラが何かを話す。二人の会話は聞こえない。

 そして私達の方を向いたローエンが、私のすぐ側までやってくると、明るい笑顔を見せた。


「応援ありがとう。姫乃ちゃん、今日から僕が君のナイトだ」

「……え?」


 ローエンの後ろ、まだ池に下半身を沈めたままのソラを見る。

 下を向いたままのソラは、顔を上げることはなかった。


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