科学世界30 高級ホテルと優秀な弟

 婚約を宣言し、公の場で認められてしまえさえすれば、簡単に手出しはされなくなる。

 上流階級の子供が集まるこの学園、そしてダンスパーティは、まさにうってつけの場なのだ。

 訝しげな表情をする俺に、グランドはそう言った。

 しかしそれは、根本的な解決となるのだろうか。


「なるほどね」


 全く理解はできないが、そういうものなのだろう。

 相手の目的次第では、婚約を発表したあとも命を狙われることに変わりはないと思うのだが……。

 面倒臭くなっていた俺は強引に納得する。

 敵対する勢力を全て潰すまで帰らないだなんて言われたら、どうしようかと思っていた。

 一週間なんて目と鼻の先。それでグランドが満足し、どこぞの国へと帰ってくれるのなら。


「まずは、何から話しておこうかな。君がボロを出さない程度に、僕の情報を教えておくとでもしようか」

「その前に、移動だな。俺とお前が一緒にいるところを見られちゃまずいんだろ?」

「そうだね。その通りだ」


 話は前後するが、俺がグランドの代わりを務めるという提案は、すでに承諾している。

 正確には、させられていた。

 プロジェクトG始動の宣言をしたあとすぐ、グランドはどこかへと電話をかけ始めたのだ。


「――はい、例の件です。予定とは少し違いますが、大筋に大差はありません。無事、彼とも合流することができました」


 この通話が終われば、改めて断るとしよう。そう決めていた俺の耳に入ってくる、例の件や合流という言葉。

 嫌な予感は覚えたものの、強い意志で断れば問題ないだろう。

 この時はまだ、そう考えていた。


「はい、はい。では、よろしくお願いします。……ごめんごめん。終わったよ」


 通話を終えた後のグランドが、異常にニコニコとしているのが気にはなっていた。それがまさか。


「さっきお前が言ってた頼み事の件だがな――」

「うん」

「やっぱり俺には……と、すまん。こっちも電話だ」

「どうぞ」


 私だ――

 電話をかけてきたのは、姫乃の父親だった。グランドは事前に、手回しをしていたのだ。

 たった一週間の間だ、我慢してくれ。彼は国賓扱いだ、私でもどうすることもできない。だからといって、娘の護衛も手を抜かないように。

 その他細かいことをいくつか言われたが、まとめるとこんなところ。

 無茶な要求を突きつけられ、一方的に通話は切れた。


「ふふ。やっぱり俺には?」

「ちっ……何でもねえよ」


 今月の給料に色を付けると言われたことだけが救いだったが、こうして俺のプロジェクトGへの参加は決まった。


「――どこか、アテはあるか?」


 すでに昼食を諦めていた俺は、グランドに問いかけつつも姫乃に一報をよこす。


「それなら、今僕が身を寄せている弟のところへ行こう。事情も全て話してあるし、君と弟二人で代役を務めてもらう公務のことも考えると、早めに会っておいてほしいからね」


 弟がいたのか。というより、公務にまで俺が首を突っ込むのか?


「それは、まずいだろ」

「大丈夫。兄思いの、気の良い奴さ。君とも気が合うと思うよ」

「いや、そうじゃなくて」

「ああ、あいつが巻き込まれるのを心配してくれているのなら、それだって大丈夫。ミサイルを撃ち込まれでもしない限り、死なない弟だ」

「いや、そうじゃなくて」


 俺はもう、やるしかないんだな? 逆に言っておくぞ、どうなっても知らんからな。

 聞いてくれそうにもない意見を言うのは諦め、首を振り溜め息を吐き出した。

 グランドと連れ立ち、歩きだす。


「お前の弟って何。全身を機械にでも作り変えたのか?」

「違う。さっきのは大げさに言っただけで……あ!」


 突然、大きな声を出すグランド。――今度はなんだ。


「君と一緒に歩くのはいいけど、一人は変装でもしておいた方がよくないか?」

「大事そうに抱えているパンツがあるだろ。頭にでも被っておけ」

「いい案だ」


 いいわけないだろうが。

 下着を頭に装着したグランドに対して他人のふりをしつつ、この日俺は学園を早退した。


 余談だが、グランドを弟の元へと送り届けたあと、姫乃を迎えに学園まで戻った俺は、数々の身に覚えのない容疑で職員室に連行されていた。


 ――下着が盗まれた第二校舎と、覗きが行われた更衣室にはかなりの距離があります。事件のあった時間から考えると、寸前まで私達と一緒にいたソラには……ああいや、普通の人間にはそんなこと不可能です!

 ――ソラさんは誘拐なんてしていません! あんな小さな娘には、興味なんてありませんもんね? ね?


 放課後になり、姫乃達が証言をしてくれたことで解放はされた。

 しかし、来てくれたこと自体には感謝をしているが、やや押しが弱く、どこか本題から外れた証言。

 被疑者から重要参考人くらいには落ち着いたが、完全に疑いは晴れなかった。


「姫乃、奈子。明日は俺、学園休むわ」

「何言ってるの? 駄目よ」

「大丈夫ですって。クラスの皆には、私達から説明をしてあげますから」

「いや、それがな――」


 屋敷へと帰る車中で、姫乃と奈子の二人に事のいきさつを説明した。

 理由が理由。それら全ての悪行はグランド王子の仕業ですとは、事態が解決するまでは言えないのだ。

 かくして全ての罪を背負わされた俺は、学園での立場を失い、今に至るのである。


 ……。


「聞けば、中々にひどい話だな」

「うん。それって結局さ、ソラは事が終わるまでの身代わりってことだよね」


 二日目の授業が全て終わったあと、プロジェクトGに巻き込んだ三日月達と共に、グランド王子とその弟が滞在するホテルへと向かっていた。

 理由は単純に、顔合わせと今後の作戦会議。

 昨日一度グランドを送り届けた時は、弟が不在だったのと、放ったらかしにしていた姫乃が気になり、入り口で引き返した。

 改めて伺うことを約束していた俺は、援軍を引き連れホテルへとやってきたわけだが。


「うわ~。おっきぃ~! グランドは、こんなところに泊まっているの?」

「……昨日はな」


 援軍の中には、敵も混じってしまっている。

 姿を見せないので油断していたが、帰り際に見つかってしまったのだ。


「学園の寮も楽しいけど、グランドがいるなら私もここにしようかな」


 道中は奈子と会話していた金髪ちびっこ姫――名はアンジェリカという――が、グランド王子だと勘違いしている俺に話しかけてくる。

 正確に言うとアンジェリカは敵ではない。が、一緒についてきたパナロという名の男と、その他護衛と思しき二人は怪しいところだ。


「貴重な体験だと思う。こっちは、いつでも泊まれるだろ?」


 こんな高そうなホテル、俺には一生縁がないけどな。とは思いつつ、アンジェリカを遠ざけるよう言葉に滲ませる。


「……うん。そうだね!」


 元気の良い返事に、俺はにこりと笑う。

 目線はアンジェリカに向けたままだったが、視界の端にいるパナロが一瞬顔を歪めた気がした。


「ちょっと、電話」


 ホテルに入る前に、アンジェリカが一緒に来てしまったことをグランドに伝えると、皆の後を追った。


 ホテル・ニューエンペラー。

 レストランやバーはもちろん、プールにスポーツジム等のリラクゼーション施設も兼ね備えた、多機能で大規模なホテル。

 場違いな学生の集団が入ってきたにも関わらず、そこはやはり一流ホテル。

 グランドの弟の名を出すと、非常に丁寧な対応で案内を受ける。


「あの階段、懐かしい。子供の頃、あそこで転んじゃったのよね」

「ロビーにあった噴水、夜になると色が変わるんですよね」


 そういえば、こいつらはそうだった。

 場違いなのは、俺だけだったのかもしれない。


「こちらのお部屋で、お待ちになっておられます」


 専用エレベータで上がった階には、大きな扉が一つだけ。

 お嬢共の会話を聞き、始めの頃よりもさらに愛想の良くなったように見えるホテルマンが、深く頭を下げ去っていく。

 扉をノックすると、どうぞという返事。鍵は閉まっていなかった。

 ゆっくりと扉を開け、俺達は室内へと足を踏み入れる。


「ようこそ。グランドの弟、ローエンだ」


 ここは本当に、ホテルの一室なのだろうか。

 広すぎる空間に、高級そうな家具。

 ジャグジーやワインセラーといった金持ち御用達の装備は当然のように完備され、正面には学園の教室よりも広いデッキが広がっている。

 開け放たれた大きなカーテンの向こう、そのデッキの柵にもたれかかっていたローエンが爽やかな自己紹介をすると、固まっていた俺はそこでやっと動き出した。


「ああ、えっと。友人達を連れてきたんだ。今日はよろ――」

「ローエン! お久しぶりです!」


 兄弟のはずなのによろしくと言ってしまいそうになる俺を、姫乃が肘でつつく。

 幸いにも、再会を喜ぶアンジェリカ達には気づかれなかったようだ。

 姫乃に視線で感謝をすると、小さく息を吐き出し緊張を解く。


「じゃあ、ローエン。早速だが、例の件について話しておこうか」

「そうだね。面倒な話は、先に。……姫様やご友人の方々は、自由に寛いでいてくれ。悪いけど、僕と兄さんは少し席を外す。飲み物や食べ物がほしければ、そこにいるメイドに頼めばなんだって」


 きびきびと指示を出したローエンと二人、デッキの端へ移動する。

 本来なら姫乃達とも一緒に話しておきたかったが、アンジェリカがいる以上こうするしかない。

 あいつらには、後で俺から話すとしよう。

 察しの良いできる男ローエンと、小声で会話を始める。


「気が回らなくて悪い。ちょっと戸惑った」

「構わないよ。それより、君がソラ君か。本当兄さんに似ているね。細かい部分はともかく、雰囲気がそっくりだ」

「そうか? まあ、それなら何より。個人的には、似てない方がよかったがな」

「うん。その点については、すまないと思っている。そして今回の依頼を引き受けてくれたこと、非常に感謝している」

「それはもう、いいけどよ……」

「いや、敬愛する兄さんのためだ。もう一度ちゃんと言わせてくれ。ありがとう」


 真剣な表情をするローエンが、真っ直ぐに俺の顔を見て感謝の言葉を紡ぐ。

 しばしじっと見つめ合っていると、照れくさくなって自然と笑みがこぼれた。

 同じく笑ったローエンと軽い握手をする。


「へんてこな兄を持った弟が、しっかり者になるのは世界共通だな」

「そんなことはない。兄さんは、僕なんかよりもよほど優れているよ」


 少し遠い目をしたローエンは、感慨深げにそう言った。

 あいつが下着泥棒をしただなんて、言うには言えない雰囲気だ。

 胸のうちにそっとしまっておく。


「さて、まずは何から話そうか? アンジェリカの相手は何とかなるようなしてきたが、俺としては公務とやらが気になる」

「僕がフォローするから大丈夫。さすがに国のお偉方同士の話し合いには参加させられないし、晩餐会や気楽なパーティに出席してくれればいい」


 それくらいなら、と一瞬思ったが、それだって絶対に気を使うに決まっている。

 しかしこの男、ローエンが側にいるなら大丈夫か……。

 出会って数分。俺はローエンという男に、絶大な信頼を寄せていた。


「敵の正体は、まだ分かっていないんだ」

「パナロっておっさんには、気をつけたほうがいいかもしれない。勘だがな」

「あの人が?」


 現時点で分かっていること、気になっていることの情報交換を行っていく。

 グランドと話している時よりも、何倍もスムーズだった。


「――よし、分かった。他に気になることはあるか?」


 それからまた二つ、三つ。粗方の情報を聞き終えた俺は、最後に確認をする。

 張り詰めた空気は消え去り、ローエンの表情にも明るさが戻り始めていた。


「この件には関係ないと思うけどね、昨日この辺りで通り魔事件が起こった。知ってるかい?」


 いや……。昨日は、ニュースを見る気力もなかった。

 授業終わりのホームルームで、橘がそれらしいことを言っていた気もするが、聞き流していた。


「それが、どうしたんだ?」

「兄のことを考えてくれるのは、とてもありがたい。でも、君には他に守らなければいけない人がいるのだろう。いざという時は、そちらを優先するといい」

「お前」

「これはグランドの弟ではなく、君の友人としてのアドバイスだ」


 ローエンが歯を見せ笑う。

 そして一呼吸おいたあと、さらに続けて言った。


「今日、わざわざ君にここへ来てもらったのには、実は理由が二つある。一つは、僕も直接君の顔を見ておきたかった」

「へぇ。俺は、合格か?」

「もちろんだよ。さっきも言ったが、まさかここまでとは思っていなかった」


 そう言われても、俺は嬉しくないが。

 もう一つの理由は? と聞くと、手すりから手を離したローエンは、皆がいる室内へと視線を向ける。


「もう一つは、この先命を狙われることになる君の実力を確かめるため……だけだったのだけど」


 だけだった?


「そういえば、お前は腕っぷしに自信があると聞いている。兄貴が自慢していたぞ」

「そうなんだ。兄さんにそう言ってもらえるのは、素直に嬉しいよ」


 にこりと笑ったローエン。つられて、俺もその視線の先に顔を向ける。

 俺達の様子か、外の景色でも見に来たのだろう。室内から上半身を出していた姫乃が小さく頭を下げていた。

 顔を上げ、ちょうど振り返った俺と目が合った姫乃は、小さく舌を出し部屋の奥へと消えていく。――なんだこの反応の差。


「姫乃ちゃんか、可愛いよね……」


 聞こえてきた声に反応し、再びローエンの方へ顔を向ける。


「今のを見ても、そう言えるか? あいつは――」

「それなら、僕が彼女のナイトになってもいいかな? 僕は強いよ。おそらく、君よりも」


 俺の言葉を遮ったローエンは、薄っすらと口元に笑みを携えそう言った。

 そして――


「勝負だ、夢見ソラ」


 時を同じくして、震える三日月の端末。そのディスプレイには、霧さんの名前が表示されていた。


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