科学世界33 小さなこと

「えー、王子と言えど交通ルールは守らなければいけません。交通ルールの上に、身分の差などないのだから。以上でぇす」


 まばらな拍手が聞こえてくる。

 本日もまた、退屈で面倒な仕事を勤め上げた俺。慣れたものだと自分でも感心する。

 グランドが屋敷に来てから、二日ほどが経とうとしていた。

 何もなかったと言えば嘘になるが、命の危険を感じるほどの事態には発展していない。

 ローエンの手腕には驚かされる。あいつがいるなら、グランドの身代わりなんて必要なかったのではないかと思うほどだ。


「お疲れ様です。グランド王子」

「日本語お上手ですね、王子」

「……まあね! この国には可愛い娘が多いから、必死に勉強したんだ。ほら今も、そのおかげであなた達と知り合いになれた」

「やだもう!」

「王子様なら、よりどりみどりでしょう?」

「ノン、ノン。王子という立場も、意外と難しくてね。中々うまくは――」


 きゃいきゃいと集まってきた女性警官に、いい加減なことを言いまくる。

 面倒な仕事を押し付けられたことへの、ちょっとした意趣返し。

 現在の俺はグランドだ。何を言っても、後に被害を被ることはない。


「王子様~。側においてくださるのでしたら私、警察官なんてやめちゃいます~」

「あ、私も私も。いいですか~」

「むほほ。侍らす人数は、多ければ多いほど良いよね。はは!」


 だってそうだろ。これも大事な仕事と言われればそうだが、今日やったことと言えば、警視庁から要請のあった一日署長。

 警官がうじゃうじゃといる中で、誰が仕掛けてくるというのか。わざわざこちらの警察にまで喧嘩を売るような真似はしないだろう。

 俺は学園生だぞ。まだ始まって間もないというのに、今日だってその学園をサボらされ、ここにいる。

 このくらい本人がやれよ――

 出発する際、庭で優雅に寛いでいたグランドを思い出し、そう思った。


「さてと。冗談はそろそろ終わりにして、僕は帰らせていただきます。お世話になりました」

「え~! 冗談なんですか?」

「おおっと、すまない。では最後の仕事だ。君達を……王子をたぶらかした罪で逮捕するぅ」

「きゃ~!」


 ちょっとした意趣返し、だけではなく加えて自分へのご褒美。

 少しくらい、この状況を楽しんだって許されるはずだ――


 ……。


「私から離れたのを機に、随分と楽しんでいるみたいね。ソラ」

「そんな、滅相もございません」


 許されるはずないだろ。過去の自分を責める。

 目の前には、険のある表情をした姫乃と、ニヤニヤと嫌らしい笑みを向けてくる葵。

 葵はなぜか警察官の格好をしていた。そう、なぜか。


「そこにいるコスプレ女の妄想です! 虚言癖ですぅ! きっと真面目で優秀な僕を陥れるための――」


 逮捕状なんて必要ない。現行犯逮捕だぁ――

 葵の持ったボイスレコーダーから、調子のいい声が聞こえてくる。

 なるほど、証拠ならあると? なるほど、なるほど。

 眉間に皺を寄せ、わなわなと震えていた俺は、全てを諦め肩を落とした。


「刑事さん。僕です。僕が……やりました」

「誰が刑事さんよ」


 警察官の一人として紛れ込んでいた葵が、俺を見張っていたらしい。

 言い訳をさせてもらうと、ここ数日全ての公務をあんな風にやってきたわけではない。至って真面目に取り組んでいた。

 最後の最後、偶然にも葵が様子を見に来た時に限って、気が緩んだとでも言えばいいのか。

 しかしまあ、少しおちゃらけただけで大したことはしていない。

 どちらかと言えば、警察官になりすますというその行為の方が犯罪だろ、と俺は言いたかった。

 言える雰囲気でもないので、黙って姫乃のお叱りを待つことにする。

 しかし事態は、予想を外れた。

 この時はまだ、いつものように小言を言われて終わりだと思っていたのだ。

 叱られ、多少なりとも反省し、それで一件落着だと。


「はあ、もういいわ。もう知らない。あとはよろしくね、葵」

「お嬢様?」


 何を言うでもなく、溜め息を吐いた姫乃はリビングから去っていく。

 いつもとは少し様子の違う姫乃に、ニヤニヤとしていた葵も怪訝な表情を浮かべていた。


「――あ、そうだ。アンジェリカの相手を一人でするのは疲れるから、早く学園へ来いって風香ちゃんが文句を言ってたわよ。今度、お礼を言っときなさいよね」


 背を向けたまま、それだけを言った姫乃。

 今更だが、いくつか年下のアンジェリカは付属の方に体験入学している。

 事情を知っている風香に相手をしてもらい、いろいろと誤魔化せている部分があるのだが……と、今はそんなことどうでもいい。


「ひめ――」

「ちょっとソラ君」


 姫乃を呼び止めようとした俺に、葵が話しかけてくる。


「最近、お嬢様の機嫌が少し悪い……というのも違う気がするけど、何かおかしい気がするのよ。ソラ君なにかした?」

「いや、特には。今日のこととは関係なく、だよな?」

「うん。突然、お尻とか撫でてないよね?」

「するかよ」

「胸は?」

「揺らしてない」

「じゃあ触りはしたのね? ああ、なんてこと!」

「触ってもいねえよ! 今のは言葉の綾だ! というより、なぜ俺を疑う」

「そりゃあ、ねえ」

「何がそりゃあ、だ。お前も知ってるだろうが、ここ数日は朝から晩まで公務に公務。会話すらほとんどしてないぞ、俺は」

「そっか。そうだよね。私は信じてたよ」

「なら今の一連の質問はおかしいだろ」


 う~ん、と二人で考え込む。

 先程の俺が叱られる場を用意したのも、姫乃に元気を出してほしいという想いからだったと葵は言う。


「逆効果だったんじゃねえか? 普通に、怒らせただけだろ」

「そんなことは」

「口には出さないが、案外ローエンが何かやらかしてたりしてな。……ないか」

「あは、ないない! 劣等感を感じるのは仕方ないけど、もっと現実を見て? ソラ君」

「感じてねえよ!」


 失礼な葵。

 俺が叱られることで姫乃の元気が出るとは、それもまた失礼で迷惑な話だが、あれで多少の手応えを感じたらしい。

 葵の言葉を鵜呑みにするなら、あれで……あんな様子で、まだ良い方だってことか?

 だとするなら、最近のあいつは――


「……ソラ君、とりあえず何とかして」

「とりあえずって何だよ。何をだよ」

「ぜーんぶ! 理由は簡単。お嬢様はお嬢様で、お嬢様はあなたの主人だから。例えお嬢様の方が悪くても、切り出すのはあなたからであってほしい。それに反応を見る限り、ソラ君が関わっていることは間違いなさそうだしね」


 しばらく悩んでいた様子の葵が何かに思い至ったのか、そんな提案をしてくる。

 実際、俺から切り出すこと自体は構わない。

 自分で言うのもなんだが小さなことにはこだわらないタイプだし、変なプライドや羞恥心も持ち合わせていない。最後のは、場合によって良し悪しあるが。

 しかし、何とかしてってなんだ。人任せか。もっと具体的な何かはないのか?

 葵の言うように、仮に原因が俺にあるとして……いや。

 なにをどうしようとも、さらに悪化するのが目に見える。


「明日から、ちょうどいいのがあるしね。行くんでしょう? 船」

「あれか。というか俺は仕事で……って、あれ? あいつも来るのか?」

「お嬢様にも招待状が届いてね。でも、悩んでた。ソラ君が行くって言ったら、行くかもね」

「ん? ちょっと待て。もしかしてあいつ、俺が同じ場所へ行くことを知らないのか?」

「うん。ローエン様が伝えているかは分からないけど、おそらく」

「そうなのか……よし。ならその件は、黙っておいてくれ」

「どうして?」

「お前が今言った逆。もしも行くって言って来なかったら、可哀想じゃねえか。俺が」

「情けないわね、ソラ君。でもそれでこそソラ君よ。いい感じ」

「何がいい感じ、だ」


 とは言っても、姫乃と一番長く過ごしてきたのは葵だ。彼女のことを一番分かっているのも葵。

 普段はふざけ倒してくる女だが、姫乃のことに関してだけは常に真剣。

 その葵が、俺になんとかしろと言うのであれば。


「じゃあ明日、お願いね」


 片目を瞑りそう締めくくった葵に、俺は力無く頷いた。





 =====





 部屋に戻ってきた私は、顔からベッドに倒れ込んだ。

 服に皺が寄っちゃうかなと思ったけど、もういいやと諦め枕を引き寄せる。

 あんな態度を、取るつもりなんてなかったんだけどな。胸中で小さく呟いた。


 ――お嬢様! ついに奴が本性を現しましたよ! 葵ちゃんってば、超お手柄!


 学園から帰ってくると、奇妙な格好をした葵が嬉しそうに駆け寄ってきた。

 話を聞き、深い溜め息を一つ吐いた。

 ここ数日、あいつはとても忙しそうにしていた。朝は早く、夜も遅い。

 話す機会さえほとんどなかったけど、仕事のためなら仕方ないと納得していたのに、それがあんな……。


 ――王子の名を騙り悪行三昧。お嬢様、ビシッと言ってやってください。

 ――そうねぇ。


 葵に同意しつつも、それほど怒りの感情はなかった。

 あの男がどう言い訳をしてくるのか、どのような反応を見せるのかという面白半分な気持ち。

 私が我慢をしている中、あんたは……と、少しムッとはしたが大げさにするほどのことでもなかったしね。

 まだ数日しか経っていないというのに、なんだかそういうやり取りも久々だな等と考えていた。

 いろいろと聞き出してやらないと。


 ――お嬢様、ローエン様からお電話です。切りますか?

 ――うん。って、なんでよ!


 しかしその前に、邪魔が入った。

 葵の自然で、かつ他愛ない冗談につい乗っかってしまいそうになったあと、慌てて電話を取る。

 内容は、明日のこと。あまり乗り気でなかったこともあり、私の気分は沈む。

 電話を切ったあと、また思案した。

 我慢に邪魔、か。先程自分で思ってしまったこと。内心苦笑する。

 思っていたより私は、人の好き嫌いがはっきりとしていたのかもしれないわね、と。


 ――もういいわ。もう知らない。


 結局、まともな会話もできないまま、それだけを言って席を立った。

 寸前まで考え事をしていた。些細なことだと自分でも分かっていたことのはずなのに。

 本人の顔を見て、本人と直接話しだすと、その小さな火種が燃え上がった。

 あ、と気づいた時には背を向けていた。これではまるで、私が本当に怒っているみたいだ。

 取り繕うため、冷静さを装うため、全然関係のない話が口をついて出た。

 言い方と態度を間違えた。

 余計にそう思わせてしまったかもしれないと、言った後で後悔した。


 息苦しくなってきたので、埋めていた顔を逸し枕から顔を出す。

 すぐ隣で、ボスっという音。

 私のベッドで、私と同じような体勢で、葵が私の枕に顔を埋めていた。

 怖い。部屋の侵入に気づかないほど悩んでいた自分も、少し怖い。


「何してるのよ。出てって」

「や~ん。もっとお嬢様の匂いに包まれる~」


 変態チックなことを言う葵をぐいぐいと押すも、ジタバタと抵抗される。


「やっぱりね。私に対しては、特にいつも通りですね。お嬢様」

「何それ」


 枕に顔を埋めていた葵が、同じように私の方に顔を向ける。互いに、顔だけが向き合うような形。


「私が取られちゃってもいいの、くらい言ってもいいのですよ。お嬢様」


 知ったような口ぶり。でもまあ、的を外れてもいない。

 無気力だった私は、否定する気も起きなかった。


「あり得ないわね」


 奈子のように、ソラじゃないと嫌だと言いたいわけではない。……多分。

 ただあの男が、私には合わない気がする。


 ――刑事さん。僕です。僕が……やりました。


 バカなことをやっていたバカの言ったことを思い出し、小さく笑う。葵がにこりと笑った気がしたので、すぐに引っ込めた。

 あいつのあれこれは許していってしまうけど――慣れていくの方が正しいかもしれないが――あの男については逆だ。

 段々、嫌になっていく。

 変に自信満々なところも、少し強引なところも二人は似ている。でも何かが違う。

 相対的にあいつの評価が上がった気がするが、それも勘違いだろう。

 あの男が合わなかっただけで、あいつだって頭を悩ませる種であることは間違いない。

 うん。きっとそう。


「そうですか」


 あり得ないと口に出した否定は、また別のものに対する否定。

 笑う葵。葵には、それが伝わったようだ。

 いつも変わりなく側にいてくれる一番の理解者。私は、彼女が側にいる時が最も安心できる。

 しかしいつも余計な一言を言うのも、変わりない。


「私はあのお方についてよく知りませんが、お嬢様が気に入っているのはあっちの方なんですね……ふふ、ちょっと面白い」

「もう、早く出ていって。ここは私の部屋。私のベッドよ」


 今度は本気で追い出しにかかる。

 やだやだとまた暴れだした葵は、押し出そうと伸ばした私の手を取ると、最後に優しい口調で言った。


「心配いりませんって。私も、お嬢様と同じ意見ですから。それに――」


 それに?


「いえ、なんでも」


 葵がベッドから出ていく。

 はぐらかした彼女に対して頬を膨らませた私は、枕を頭から被った。

 立ち去ろうとする気配。小さな声で、聞いてみる。


「ねえ葵。私、誰かと喧嘩したのって初めてかも。……あいつ、何か言ってた? 怒ってない?」

「ソラ君は、大抵のことでは怒らな……って、え? あんなのが、けん――」


 葵が顔を歪ませたのが分かった。直接見なくても、伝わってくる。

 私はもう何も聞きたくないとばかりに、枕の両端を折り曲げ耳を塞ぐ。


「お嬢様! 彼すっごく怒ってましたよ! 悪いのは俺だったかもしれないが、あの態度はないだろうって! しかも多分、根に持つタイプだと思います!」


 葵が大声で何かを言っている。が、こう言う時の葵の言葉は聞きたくない。

 別のことを考える。明日は、学園もお休みか……はあ。

 また大きな溜め息。ぐだぐだぐだぐだと、私は一体どうしてしまったのだろう。

 なんだか、おかしいよ。


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