科学世界28 凶悪犯、現る

 突如現れた、俺をどこかの王子だと勘違いする謎の金髪女。

 背は低く、椅子に座る俺より少し高いくらい。おそらく、三つから四つ年下だ。

 名前は分からない。が、聞く気はない。

 本人の見た目からしてそうだが、流暢に喋ってはいてもどこか辿々しく、グランドという名前が出てきたことからも、この国の生まれではなさそうだ。

 どこをどう見間違い、俺のことをグランド王子と勘違いしているのかは知らないが、それは間違いだと断言できる。

 学園生活は始まったばかりだし、エクスイコールの件もある。

 今はこれ以上、何かを背負い込むのはごめんだ。


「うまかったか?」


 一口だけでは飽き足らず、人の注文したパスタを全て平らげ、幸せそうな表情をしていた金髪女に俺は微笑む。

 一つ言っておくと、誰も食べていいとは言っていない。


「うん! とっても!」

「そうか、それは良かった。なら、ちょっと席を立ってくれ」


 うん? と疑問符を浮かべつつも、言われるがまま席から立ち上がる金髪女。

 両肩に手をのせ、くるりと半回転させると、そのままテーブルとは反対の方向へ押していき、しばらく歩かせたところで止まる。

 そして最後に、ぽんぽんと肩を叩いた。


「おままごとはここまでだ、ちびっこ。二度と俺の前に現れるなよ」

「え……」


 じゃあなと手を上げ、金髪女に背を向けた俺は皆のいるテーブルへと戻る。


「ふう。まだ、飯を食う時間くらいはあるよな?」


 誰も何も答えてはくれず、視線は俺と、俺の背後を行ったり来たり。

 ざり、という一歩踏み出した音に微かな吐息音。

 もちろん気づいてはいたが、気づいていないふりをし矢継ぎ早に言う。


「ちょっと、新しい料理もらってくるわ」

「あっ」


 視線を女に向けないよう努めつつ、俺はゆっくりと歩き出す。が、誰かのついてくるような足音が聞こえ少しペースを上げる。


 ――ちっ。


 心中で舌打ち。やはりついてきている。

 ここで止まるわけにはいかないと、注文カウンターを通り過ぎ食堂から出たところで走り出した。


「あ! 待って。待ってよ、グランド~」

「グランドじゃねえって言ってんだろうがぁ! ついてくんな!」


 俺は逃げ出した――




 =====




 料理を取りに行くと言ったソラと、その後ろをちょこちょこと追いかけていった少女。

 急な展開についてはいけず、二人を無言で見送った私達の中で、一番に口を開いたのは速水という男だった。


「……ん? マジで、知り合いでも何でもないのか?」


 独り言のように問いかけた速水君は、言った後で私と奈子の顔を伺う。聞きたいのは、ソラとあの少女の関係についてだろう。

 奈子が首を横に振るのを見たあと、私も同じように首を振る。


「そのように見えました。少なくとも、私と奈子は知りません」


 そうかと相槌を打ち、腕を組み思案顔をする速水君。

 そもそも私からすれば、ここにいる奈子以外の四人についても、あいつとどういう関係なのかは知らない。

 先程の少女のことも気になるが、個人的にはまず、この人達のことを知りたいと思っている。――ただのクラスメイトではないことは分かるが、一体……。


 私が話を切り出すより先に、落ち着いた雰囲気の女が口を開いた。

 確か名前は、三日月夜。


「あは。何が何だか分からないけど、彼がいると退屈しないね」


 それは良い事なのか、悪い事なのか。

 うちのソラが迷惑をかけてすみません、と内心謝っていた私に三日月さんが顔を向ける。


「突然だけど、これからは姫乃ちゃんって呼んでもいいかな?」

「あ、はい。構いません」


 慣れない呼ばれ方に反応が遅れ、そわそわと落ち着かない気持ちになる。

 悪く言えば有無を言わせない雰囲気があり、しかし彼女にそう呼ばれるのは自然な気がして、私はすんなりと受け入れていた。

 同じようなやり取りを奈子にも行った三日月さんは、私達に向かって微笑む。


「ありがとう。じゃあ、私のことも名前で呼んでね。二人とも同じクラスなんだし、せっかくこうやって知り合えたのだから」

「はい。分かりました、夜ちゃん」

「うん。夜……さん」

「姫乃ちゃんは、まだちょっとかたいね。まあ、仕方ない。呼び捨てでも何でも、徐々に慣れていってくれると嬉しいかな」


 ソラが素の態度をとっていることからも、最低限の信用は置けるはず。その判断は抜きにしても、悪い人たちではない。そう思った。

 そして自分でも単純だと思うが、夜の言葉に、胸の中がほんのりと暖かくなるのを私は感じていたのだ。


「それでね、二人に頼みたいことがあるんだ」


 しばしの雑談を挟み、改まって夜は言う。

 ソラはまだ帰ってこない。

 私と奈子は一度顔を合わせると、夜の話に耳を傾けた――


 ……。


「私は、構いませんよ」


 夜の頼み事というのは、なんら難しいことではなかった。

 しかし私は、奈子が快諾するのを横で聞きつつも少し悩む。


「とは言っても、姫乃さん次第ですけどね。悔しいですが、彼の主人は私ではありませんので」

「あのさ。なんだか、あまり隠してないようだから聞くけどよ。もしかして大和ってあいつのこと――」

「……はい! そうです!」

「嘘? 嘘だと言って、大和先輩!」


 速水君の質問に勢いよく答える奈子に、飲み物を吹き出し、わなわなと震える風香ちゃん。

 奈子の恋心は知っている。隠す気がないことには素直に驚いたが、私にとっては今更だ。

 ソラは、奈子の危機を救った。思い返せば、その前から気に入られていたような気もするが、そのあたりのことは知らない。

 でも、決め手は間違いなくあの一件だろう。


「本人は、そのことを?」

「それは……」

「駄目だって! 言ったらあいつ、絶対調子に乗るよ? 嫌らしい顔が目に浮かぶよ? だからお願い先輩! 後戻りできなくなる前に、目を覚まし――」

「私の気持ちは、すでにお伝えしてあります」

「そんな! やだぁ!」


 事情を知らない人は普通驚くよね。奈子のような娘が、あんな奴にって。

 そう、あんな奴。認めたくないと叫ぶ風香ちゃんを見て、私は小さく笑ってしまう。

 おとなしくて可愛い娘だなと思っていたけれど、聞いていればソラへの罵詈雑言がひどい。

 年下の娘にここまで言わせるなんて、あいつは本当駄目なやつね。

 ごめんね風香ちゃん。ソラが何をやったかなんて知らないけど、悪いのはきっとあいつの方。本当にごめん。


「ふふ。あと三年もすれば、風香ちゃんも彼の魅力に気づくかもしれません。でも、気づかなくてもいいです。ライバルは、少ない方が良いので」


 奈子の言葉に、口を開けたまま固まる風香ちゃん。

 にこにことした表情はいつも通りだが、奈子の口調が普段より刺々しい気がする。

 もしかしたら、あいつを馬鹿にされて少し怒っているのかもしれない。


「何か弱みでも……もしくは騙されて」

「ありがとうございます。でも、ご心配には及びません。これは私とソラさんの問題で、風香ちゃんが頭を悩ませる必要はありませんから」

「あうぅ」


 やはり、奈子は怒っているようだ。いつもの朗らかな笑顔も今はどこか怖い。

 目の前で行われている会話が気になりつつも、私の意識は半分、別のことに割かれていた。

 素直に言える奈子が羨ましい。それに比べて私は……私は、どうしたいのかな。


「夜さん、もう少し考える時間をいただけませんか」

「うん。無理強いはしないよ。良い返事を待ってる」


 夜の提案。断る理由なんて、なかったはずなのに。

 悩んだ挙げ句、私はそう答えていた。


「――あ。ソラからです」


 そして、昼休憩も半分を過ぎたところで、話題に上がっていた男からの一報が届く。

 ご飯を取りに行くと言ってから、すでに十分以上は経っている。

 私達はもう食べ終えたというのに、どこで何をやっていたのやら。


「よんどころない事情により、俺は戻れなくなった。午後の授業も出られないかもしれないが、放課後までには戻る……だ、そうです」

「初日から、何やってんだあいつ」


 呆れる速水君たちを横目に、私はもう一度文面に目を通す。

 口に出して読まなかった最後の一文、そこにはこう書かれていた。


 『問題ないとは思うが、何か起こった時は速水の近くにいろ。俺程とはいかないだろうが、あいつなら多少は何とかしてくれるはずだ』


「……もう」


 問題ないって何? 何かが起きるかもしれないの? 何の説明もない内容に、私は小さく口を尖らせる。

 現状、速水君を信用できるのは分かったけど、それよりも先に言っておくことがあるでしょうに。


「行くよー、姫乃ちゃん」

「はい。すぐに追いつきます」


 側にいない男よりは、余程頼りになるでしょうね。そう返信した私は、先に歩き始めていた夜達に追いつき、一緒になって午後の授業が行われる建物へと向かう。


「何ですと? はい、はい。分かりました。ありがとうございます!」


 食堂から出てすぐのところで、大きな声が聞こえてきた。

 立ち止まった私達は、その声がした方へと顔を向ける。


「金髪で愛くるしく、ふわふわの人形のような少女を見ませんでしたか?」


 分かりやすいようで、いい加減な説明。

 執事風の格好をした老年の男と、黒いスーツに身を包んだ男二人が通り掛かる生徒に焦った様子で何かを尋ねていた。

 金髪の少女? まさかね、とは思いつつも黙って成り行きを見守る。


「よし、情報をまとめる! 食べ物に釣られた金髪の少女が、ある男についていった。何でもその男は、嫌らしい手つきで少女の体をべたべたと触っていたとか」

「パ、パナロさん。これはまさか?」

「ああ、間違いない……誘拐だ。姫様は、誘拐されてしまったんだ!」


 バタバタと走って行った三人の背中を、私達は眺める。

 姫様、加えて誘拐という過激な単語。どうかあの馬鹿が関わっていませんようにと、私は祈る。


「姫乃さん、大丈夫ですよ。ソラさんに限ってそんな。それに、もしそうだとしても彼らは勘違いをしていらっしゃいます。近くで見ていた私達が、証言すれば済む話ではないですか」

「そうね。そう、よね」


 同じ考えに思い至っていた奈子の優しい言葉。深呼吸を一つすると、私達はまた歩き出す。

 雑談に花を咲かせつつも、私は一人、先程のソラからの連絡が頭に引っかかっていた。

 あんな奴だが、私はあいつのことをそれなりに信頼している。問題ないとも書かれていた。でも――


「奈子、一応あなたにも伝えておくわ。何か起こった時は、速水君を頼るようにって、ソラが」

「それって……」


 気になったのは、何かが起こるかもしれないと書かれていたこと。

 すでに雲行きは怪しいが、それは私に対する何かではない。もしも身の危険を感じるようなことが、これから起こるのだとすれば……。

 悪い予感は当たるもの。事件は起こった。いや、起こっていたのだ。


「あれは横のクラスにきた転入生よ! 私、はっきりと見たんだから!」

「私もです!」


 校舎に近づくにつれ、聞こえてきたのは憤る女の子達の声。

 夜や奈子と一度顔を合わせると、私達はその騒ぎの中心に駆け寄る。


「もう、最悪! 覗きよ、覗き! 女子更衣室を覗く男がいたのよ!」

「第二校舎では、下着も何枚か盗まれたみたいよ。外見の特徴からして、こっちと同じ奴だと思うわ」


 起こった事件。それは、私が想像していたようなものではなかった。

 しかし、ある意味で最悪ともいえる状況に体から力が抜け始める。


「まだこの辺りにいるはずよ。授業が始まる前に、とっ捕まえてやるんだから!」

「行きましょう!」


 大きな学園。転入生は、私達だけではない。

 信じている。私は、信じているからね? ソラ……。

 頭が真っ白になり、死んだような顔をする私の隣で夜と速水君が呟く。


「私達が目を離した少しの間に、やるねぇ」

「なんでこうなるんだ? 凄いなあいつ」


 信じていいのよね? ソラ!?

 自信は尻すぼみに消えていった。


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