LEVEL4 光と影

科学世界26 至高学園

 長い夢が終わった。時間にして、数分の出来事。

 閉じていた目をすうっと開けると、俺は一つあくびをした。


「荒んでるなぁ」


 人気のない廊下で、小さく呟く。

 何が、一匹でも多くの竜を殺せるだろだ。荒みすぎだろ、向こうの俺。

 同時に、気持ちは分からなくもないけど、と自分自身を憂う。

 あんなことがあったのだ。体と心、その両方に受けた苦痛は、計り知れないものがある。

 感情も、感覚も共有はできないが、想像するだけでも悲惨で、凄惨な災禍だった。

 災禍。向こうの俺にとって、そんな言葉一つでは、到底割り切れるものではないだろうが。


「遅えな」


 預けていた壁から背中を浮かせ、姫乃の入っていったトイレの扉に視線を向ける。

 誰かが通りかかれば、即座に目を覚ますくらいには浅かったとはいえ、寝ていた護衛に言える台詞ではない。が、遅いものは遅い。

 身だしなみを確認するだけだと本人は言ったが、一体何分待たせれば気が済むのか。――まあ、理由は何となく察しがつくけどよ。


「ごめんなさい。待たせたわね」


 そのまたさらに数分後、窓の外に広がる景色をぼんやりと眺めていた俺は、トイレから出てきた姫乃と共に、長い廊下を歩きだす。

 ふと視線を向ければ、やる気を漲らせつつも、ぴりぴりと緊張した様子の姫乃。

 短い溜め息を吐いた俺は、その姫乃に話しかける。


「かたいな。こんなのは適当でいいんだ。適当で」

「あなたは、普段と何も変わらないのね」


 羨ましい。皮肉とも取れるような言い方で、姫乃は続けて言う。

 俺から言わせれば、姫乃が気負い過ぎているだけなのだが。


 至高学園。通称、至学。

 金に物を言わせた設備に、金に物を言わせた教育。あからさまな学園名に少々思うところはあるが、選ばれし金持ちだけが通うことのできる名門校だ。

 本日より、晴れてその学園に在籍することになった俺達は、所属する予定のクラスへと向かっていた。


「クラスに早く溶け込むためには、初めが肝心だって言ったのはあなたじゃない」

「それは、その通りなんだがな」


 そして、どこへ行こうとも最初にやることは決まっている。挨拶だ。

 転入生である俺達は、この後クラスの皆の前で挨拶をする事になっている。が、意外にも姫乃は緊張しているようだ。


 奇抜な挨拶や、おかしなキャラクター作り。早くに溶け込むというそれのみを目的とするなら、やりようはある。

 ただ、最初から普段通りの自分を出しておいた方が、後々のことを考えると楽なのは確か。

 無理に作った人格は、いずれ自分自身を苦しめるからだ。

 俺がそう伝えると。


「普段通り、ね。それで皆は、私のことをちゃんと覚えてくれるのかな」


 急ぐ必要はない。少しずつ、お前に興味を持った奴らに覚えていってもらえばいい。そんな真面目な返答をしようかと思ったがやめる。

 主人が印象を残したいというのであれば、頼りがいのある従者はその意思を尊重すべきだ。

 それにきっと、その方が俺にとって面白いことになる。


「そういうことであれば、問題解決に定評のある俺から一つ案がある」

「定評? ……まあ、うん。続けて」


 何だよ。あるだろ? 定評。


「まず名前を言います」

「うん」

「その後で、すぐにこう言えばいい。『それが富豪家の一人娘である私の話を聞く態度なのかしら? 跪きなさい、愚民ども!』」

「……馬鹿」


 誰の印象にもばっちりと残るであろう俺の意見は、一言で切り捨てられる。後のフォロー次第ではあるが、案外悪くない切り出しだと思うのだが。

 他に良い案はないかと模索していた俺だが、姫乃を見たあと考えるのをやめた。


「ちょっとは体の力、抜けたか?」

「本当、馬鹿なんだから」


 ほんの少しではあるが表情に余裕がでてきた姫乃。

 肩をすくめた俺は、また隣を歩き出した。


「お、来たか。僕の名前は、橘慶次たちばな けいじ。二人とも、これからよろしくね」


 教室の前まで行くと、教師らしき男が待っており、俺達に挨拶をする。

 男らしい顔立ちに、整えられた顎髭。年齢は、三十台前半といったところだろうか。

 嫌味のない笑顔が、眩しく光る。


「皆には、すでに君達が来ることを伝えてあるんだ。入ってくれ」


 堅苦しくない性格。同性にも異性にも人気のありそうな教師だな、等と思いつつも、俺と姫乃はその教師の後に続き、教室の中へと入っていく。

 広い空間に生徒が三十人ほど。座席の配置は、大学なんかでよくあるような階段状になっている。

 詰めれば三人は座れるであろう長机に一人、もしくは二人で座っているが、空いている席が散見されるところを見るに、仲の良い友人同士で隣り合い座っているのだろう。

 それでも、元々俺が通っていた学園に比べると随分と贅沢な座り方。そして、自由だ。


「先程説明した通り、今日からこの学園に転入することになった富豪姫乃さんと、夢見ソラ君だ」

「あの、初めまして。富豪姫乃と申します――」


 壇上に立った俺は、隣で挨拶を始めた姫乃の声を聞きつつ、まばらに座る生徒の顔をざっと見回す。

 おおよそ歓迎するような雰囲気に、姫乃の話を聞く姿勢からも育ちの良さが伺える。


 庶民の代表ともいえる俺は、こんな世界があったのだなと感心すると同時に、一抹の不安を覚えていた。

 そびえ立つ校舎を見て、職員室へ行って、学園内を少し歩いて。すでに十分分かり始めていたことだが、場違い感が甚だしい。

 初めての学園生活を送る、姫乃のフォローをしてやりたいところだが……これは。

 一言で言うなら、俺は圧倒されていた。


 ――お?


 誰もがお行儀よく話を聞いている中、視界の端で何かが動くのを捉え視線を向ける。

 奈子だった。胸の前で小さく手を振る奈子を発見し、心中安堵の息を吐いた俺は小さく微笑み返す。


 ――やれやれ。あいつが一緒なら、何とかなり……くそ。


 心の清涼剤。可愛く手を振る奈子をもう一度見ようとすると、その後方、三つほど離れた席にいる見たくもなかった奴らが視界に飛び込んできた。

 俺と目が合い、ぱちっと片目を閉じた三日月と、にやにやと笑いつつ親指を立てる速水。

 喜びと、悲しみが半分ずつ。何の冗談か、知り合いは全て同じクラスだったのだ。


「さて、富豪さんへの質問はもういいかな? ……よし。次、夢見君」


 結局、無難な挨拶を終えた姫乃のあと、俺の番がまわってくる。かと言って、何かをやらかそうって気はない。

 いつも通り、普段通りの自分を心がける。

 姫乃にも言ったことだ。自分自身を偽って生きるのは、辛くなるだけなのだから。


「僕の名前は、夢見ソラと申します。趣味は読書。先程、隣にいるお嬢様からも少しありましたように、富豪家のボディガードをお引き受けさせていただいてます」


 よっしゃ。やってしまったぞ。

 いつも通りで良いのだ、という脳からの命令に従わなかった口が、さっそく偽りの自分を作り出していた。

 姫乃に対する進言は、自分自身に言い聞かせるためでもあったのだが、やはり長年に渡って染み付いた癖というのは中々直らないものらしい。

 チラと隣を見れば、私にはああ言っておいて、あなたはそれなの? と、呆れの混じる視線を飛ばされていた。


「夢見君は、なぜ富豪さんのボディガードになったのでしょうか?」

「あの、それは……秘密とさせてください」


 しかし、こうなってしまったものは仕方がない。

 このまま突き進んでやろう。と開き直った俺は、クラスメイトからの質問に答え、さらに嘘を塗り固めていく。


「もしかして夢見君は、富豪さんのことが好きなのでしょうか?」


 そしてなんだ、この質問。

 富豪さんには恐れ多くて聞けないけど、部下である夢見君にだったらいいじゃないってこと?


「はい。あ、いえ! 尊敬すべき主人として、という意味です!」

「きゃ~!」

「そわそわしちゃって、怪しいわ!」


 色めき立つクラスメイト。

 じとっとした視線を送ってくる姫乃に、俺は心の中で謝った。

 すまん。だがもう、止められないのだ。


「大変なお仕事だと思います。やめようと思ったことはありませんか?」


 いくつかの質問に答え、最後に真面目な質問。

 一度目を瞑り間をおいた後、俺はニコリと微笑んだ。


「普段は澄ました顔のお嬢様ですが、時にとっても愛くるしく、花のような笑顔を見せてくれることがあります。僕はその笑顔を見る度に、これからも頑張ろう。絶対に守り抜いて見せる。と、心に刻まされるのです。……だから、その質問にはこう答えましょう。いいえ、そんな風に考えたことなど、たったの一度もございません。と」


 今壇上で語っている男は、一体誰なのか。自分で自分が、分からなくなってくる。

 目を細め、さらに呆れた様子の姫乃を一瞥した後、何も言わず俺はまた正面に顔を戻す。――お前の言いたいことは分かる。が、何も言わないでくれ。


「あらあら~」

「それってやっぱり、好きってことなんじゃ!」

「いやもう、ほとんど言ってるよね?」

「あ、テレビで見た人だ」


 様々な反応がある中、俺はうやむやに自己紹介を終わらせる。

 ご主人様大好きボディガード君は、こうして誕生したのだった。


「……誰?」


 茶化されつつも空いている席に向かう俺。

 速水がそうぽつりと呟いていたのが、耳に残った。


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