魔法世界7 抱える闇と興味の心

 魔法を撃つ暇も与えてはくれなかった。恐怖心は、判断能力を鈍らせる。

 冒険者、さらには橙色の私にとって、普段通りであればと言うのは言い訳にしかならない。


 ぶつかったというよりは、網に飛び込んだ感覚。

 網と違うのは、体の自由が一切効かないこと。粘着性の何かが手足に張り付き、抗うことができない。――そうか。他の冒険者もこれで。

 その事に気づいた時には、同じ粘着性の糸のようなものが体にぐるぐると巻き付き、口も覆われていた。


 ――んん!


 続けて勢い良く宙に浮き始めた体は、地面から十メートル程上がった所で、ピタリと止まる。

 左右に揺れているという感覚。偶然にも目の位置には隙間があり、目の前に広がる景色を見渡すことができた。

 私がそこで見たものは、おびただしい数の繭。

 繭から一本の糸が伸び、それが高い木の枝へと続いている。

 おそらく今の私は、あれらと同じような状態にある。宙吊りにされているのだ。


 初めに思いついたのは、蜘蛛。

 網のようなものに捕らえられ、現在のこの形。そして捕らえられる寸前、私の横を並走していた怪物は確かに……。


 いえ、と私は否定する。

 蜘蛛だと言われれば、蜘蛛のような頭を持っていた気はするが、首より下は爬虫類のような見た目をしていた。――それにそうだ、あの足音。

 人のものとは明らかに違っていたが、蜘蛛のものとも思えない。


 だからと言って、何なのか。蜘蛛であろうとなかろうと、私が絶体絶命の危機に陥っていることは間違いない。

 必死に否定していたのは、私が蜘蛛を嫌っているからだ。

 多い足。薄っすらと生えた体毛。さらには、獲物を溶かして食べるですって!? ――やだやだやだ! 本当、大嫌い!

 死に方を選ぶとするならば、私の中では最悪に近い死に方だ。


 ――こうなったら。


 私は考える。

 魔法で、自身の身体に巻き付く糸を焼いてしまおうか。あわせて身体強化もしておけば、この高さから落ちたとしても大怪我をすることはないだろう。


 ――う~ん。


 でもな、と私は躊躇する。懸念点は、この糸の耐久性について。

 もしもこれが火に強い糸であれば、私は脱出することも叶わず、この繭の中で自分の出した炎で焼け死ぬ場合だってある。

 生きたまま食われるよりは余程良いが、そんな窯焼きのような死に方もごめんだ。


 ――ひえぇ。


 悩んでいた私の目の前で、恐れていたことの一つが行われる。

 頭は蜘蛛で体が爬虫類の怪物。その怪物が太い枝を伝い、一つの繭に近づいたかと思うと、繭に飛びつき頭を突っ込んだのだ。


「ぎぃいいぃい!」


 辺りに響く、何かの魔獣の悲鳴。チラと見えた食い破られた腹に、口元をべっとりと血で染める怪物。

 捕食されたのが、一緒に来ていた冒険者達でなくてよかった。と、思うと同時に私はひどく狼狽する。

 今行われたあれが、いつ自分のところで行われるかなんて分からないのだ。


 ――新鮮だから。私と、あとついでに冒険者達はまだ新鮮だから。その中でも、私が捕まったのは最後だから!


 決めた。もう決めた。あんな死に方は絶対に嫌。糸を焼いて脱出してみよう。

 そう決心したところで、さらに事態は悪化する。


 ――そんな。


 ぞろぞろと、周辺から這い出てくる怪物共。怪物は、一匹ではなかったのである。

 耳をすませば、自分の足元にも数匹の足音。

 放とうとしていた魔法は、しゅんと手の内で消えていく。


 ――もう、駄目だぁ。やだぁぁ。


 泣き言を言っている暇はないが、泣き言だって出てくるというもの。

 こんな田舎の山奥で、天才魔術師の自分が誰にも看取られることなく、ひっそりと死ぬことになるなんて。


「アァ、アアアァアァァ」

「アアアァァ」


 目の前にある繭に飛びつく怪物たち。

 ついに、自分の繭がぶら下がる木にも怪物が登ってくる足音。

 頭がどうにかなってしまいそうな状況の中、躊躇なんてしていられないと、特大の魔法を放つための準備を始める。


 ――もう、後先なんて考えていられない! どうにでもなれぇ!


 竜が出るという噂に加え、気味の悪い怪物共。

 誰もいるはずのない山の中、気が狂いそうな私の耳に届いたのは、人の声だった。


「……そこか。おい! 魔法は撃つな!」


 ――え、今のは。


「少し、じっとしていろ」


 聞き間違いではない。男の声。

 思考能力は、すでにないも同然だった。その力強い声を聞いた私は、言われた通り魔力を抑える。


「今、助ける」


 手足の自由が効かない繭の中、涙目になっていた私はうんうんと頷く。

 ざざざ、と怪物の木を這い登る音がすぐ近くまで迫ってはきているが、私はその声の主の言うことに従うことにしたのだ。


 過去、王国魔術師を勤め上げていた頃。

 顔立ちは整い、才能にも恵まれていた私には、身の程知らずの男共が数多く言い寄ってきた。

 自身の長所を懸命にアピールするところから始まり、歯の浮くような甘い台詞。言うだけなら自由だ。それは構わない。

 しかし私は、その全てを玉砕してきた。


 理由は簡単。その中に、私よりも優れた者がいなかったから。私には、釣り合わないと思ったから。

 中には、本気だった者もいるかもしれない。でも、ぐいぐいと実力を伸ばしていた当時の私にとっては、何もかもが薄っぺらく感じたのだ。

 結局、私が認められるような男はいなかった。私に、関心を示させるような言葉を口にした者はいなかった。

 それは、王国魔術師を辞め、冒険者に鞍替えした現在でもまだ続いている。


 それが、たったの一言。今、助ける――

 状況が状況だし、男は別に、私に言い寄ってきたというわけでもない。それでもその男の声は、私の胸に重く響いた。

 こんなにも感動を覚えた言葉を聞いたのは、初めての経験だった。

 恐怖心と、そしてもう一つ。私の胸は、どきどきと高鳴る。


「よっと。火は駄目だ。その糸は、水で溶ける」


 男の投げた武器が、私の吊るされた木に登っていた怪物の頭を貫き、釘付けにしていた。

 周りにある木を使い、ぴょんぴょんと身軽に登ってきた男は、自分の投げたその武器の上に立つと、同じ高さにいる私に話しかける。

 所々見えはしなかったが、音を聞く限りそのような手順。


 ――水? 私に、魔法を使えって言ってるの?


「大丈夫だ。俺を信じろ」


 私にはもう、抗いようがなかった。はい、分かりました。と、心の中で呟くと魔法を展開する。

 少しずつ溶けるものかと思いきや、途端に消え去る足場。元々足場なんてないのが、心の準備ができていなかった。

 驚いた私は何もできず、自身の放出した水と共に地上へと落下していく。

 地上には、うろうろと徘徊し、落ちてくる私を見上げる怪物共。


「あんっ」


 心配することなんてなかった。男は、信じろと言ったからだ。

 木から木へと飛び移った男が、私を空中で拾い上げ、そのまま別の木へと移動していく。

 怪物共から距離を取った木の上、その枝に座らされた私は、そこで初めて男の顔を見る。


「あなたは」


 偶然山に来たランクレッド冒険者? それとも、美人で将来有望な私を死なせまいとする、神の遣い?

 違った。絶体絶命の危機を救ってくれた私の王子様は、竜喰いに憧れる駆け出し冒険者、スカイだった。


「お前かよ。また会ったな、性格ぶさいく」

「あの、ありが……え?」


 このタイミングで男も、私のことだと気づいたようだ。しかし、注目すべきはそこではない。――この男、今ぶさいくって言わなかった? 言ったよね?

 ギルドでの一件、思い当たる節がないわけではないが、私に限ってそんな。あり得ないわ。

 目を瞑り、首を横に振ると、今のは幻聴だったと自分に言い聞かせる。


「スカイ、あなたは――」

「さあ、来るぞ」


 なぜこんな所に。何をしていたの。そう問いかけようとした私の言葉は流され、スカイは前方を睨む。

 辺りを照らす魔法を使えるか、とだけ問われ、私は頷いたあと魔法を展開する。

 魔法名、一握りの太陽。簡単に言えば、少しの間持続する光源。

 このような初級魔法、誰にだって使える。使えない奴の方が少ないくらいだ。


「アアァァ! アアァァァァアァア!」


 馬鹿にしないで。と、口に出そうとしたができなかった。

 目に見える範囲だけでも数十匹はいる怪物共が、私達のいる木に向かって走ってきていたのだ。

 目を見開き、口をぱくぱくとする私に、スカイは簡単に説明をする。


「蜘蛛の頭に爬虫類の体、蜘蛛竜スパイダードラゴンってやつだな。あんななりをしちゃいるが、あいつらも竜の一種。そんで、魔力を感知して襲ってくる習性がある」


 なるほど、それで。

 先程、繭にされてしまった私を助ける際。スカイが魔法を使うなと言ったのは、敵を集めてしまうから。


「あれ?」


 すぐに一つのおかしな点に気づき、疑問に思う。

 それでは、なぜ今私に魔法を使うように言ったの? スカイは、あの蜘蛛竜共が魔力を感知して襲ってくると知っていたのに。

 もっと言えば、繭から抜け出すために仕方なくと考えれば自然だが、あの場で私が魔法を使わされたのはなぜだろうと。

 とても藍色冒険者とは思えないスカイの身のこなし。彼であれば、繭のままの私を担いで逃げた方が、なにかと都合がよかったはずなのだ。


「何で私、今、魔法……」

「うまく釣れたな」


 途切れ途切れに呟く私の隣で、スカイは嬉しそうな声色で言う。

 釣れた? 何を言って――


 先程までと、なんら変わらない口調。そうするのが当たり前かのような、スカイの言い分。

 生きているかどうかは不明だが、私と一緒に来ていた冒険者達から、あいつらの意識を向けるためと言われれば納得もできた。しかしスカイは、私が彼らと一緒に来ていたことは知らないはず。

 ゆっくりとスカイの方へ振り向いた私は、彼の横顔を見て、背筋がゾクリと震える。

 彼の目に、私は写ってなんていなかった。私を餌にしたことなんて、露ほども気にかけてはいないだろう。


「さて、お前はどうする?」


 男の顔から目を逸らし、一度深呼吸をする。心を落ち着けていると、少しずつ怒りの感情が湧いてきた。

 お前はどうする? 一度命を助けられたのは事実だけど、私を餌にしておいて、なんて無責任な。

 何とかしないと、と焦る私は、思いついたままを言ってみる。


「良い事を思いついたわ」

「ん?」

「魔法を使えば、繭から抜けられると叫びながら、私たちは走る」

「どうなるんだ?」

「私と一緒に来た冒険者共が食われている間に、こっちは逃げられるじゃない」


 数瞬の沈黙のあと、スカイはぼそりと呟く。


「やっぱお前、性格わる……」

「あなたが私にやろうとしていることよ!」


 男の顔は引きつっていた。非常に、納得がいかない。

 頬を膨らませていた私に、武器を抜いたスカイは言う。


「違う、違う。俺は、お前に戦う意思があるのかどうか一応聞いただけだ。無理に何かしろとは言わない。それにな――」


 それに? 何なのよ?


「この方が、一匹でも多く竜を殺せるだろ」


 いつの間にか、霧は随分と薄くなっていた。

 私は、木から飛び降りたスカイの背中を無言で見つめる。


「光はそのままな。暇だったら、手伝ってくれても構わない。……この木には、近づけさせないからよ」


 スカイはそれだけを言うと、雪崩込んできた蜘蛛竜と戦い始めた。

 圧巻だった。身体強化の魔法だけではとても説明できない身のこなしと、馬鹿にされていた切れ味のないナイフで、すんなりと蜘蛛竜を屠っていく。


 このくらいがちょうどいい。スカイの言っていた意味がやっと分かった。

 基本的には、固い鱗を持つ竜。蜘蛛竜が固いかどうかは分からない。が、その代わりと言ってはなんだが、数が多い。

 彼は切れ味を心配するよりも、刃こぼれや折れる方を嫌っていた。武器が使えなくなるという状況を嫌っていたのだ。

 綺麗に斬るというよりも、ぶった斬るという戦い方。しかしそれは、並外れた身体能力を持つ彼だけに許された戦い方。


 私は、ただただその戦闘に目を奪われていた。

 手伝う気なんて起きなかった。だって彼は最初から、私の助けなんて必要とはしていなかったからだ。

 お前はどうする? と、彼が先程問うた質問の意図は分からない。しかし。


 殺したい竜がいるか――


 思い出すあの言葉。あの問いかけには、きっと彼の……。

 暗く深い、憎悪を宿したスカイの目。私はスカイから視線を外し、俯くと、下唇を丸めきゅっと結ぶ。

 確証なんてない。でも……。


 ――おそらく、この男が竜喰いだ。



 ……。



 結果的に、私達があの場に蜘蛛竜を引きつけたことで、数名の冒険者は無事だった。

 スカイと別れ、生き残っていた冒険者達と共に、私は山頂へと辿り着く。


「おいおい。ミラさん、まさか一人でこいつを?」


 私は何も言わない。普段であれば、自分の手柄にしたところだろうが、あの戦いを見た後では気が引ける。それに、相手が相手だった。

 目の前にいたのは血溜まりに沈んだ大きな竜。


霧竜ミストドラゴン


 喜び、歓声を上げる冒険者達の声は耳に入ってこない。

 私は、去り際の彼との会話を思い出していた。


「うわぁ、べとべと。ということで、俺はもう帰るから」

「え? ちょっと」


 全身の至るところに蜘蛛竜の返り血を浴びた男は、あっけらかんとそう言った。


「上にいる奴は好きにしていい。依頼だって受けられなかったし、それに」

「上? 一体」

「俺の探しているやつじゃなかったからな」


 この時の私には、何のことだかよく分かっていなかった。それがまさか、霧竜のことだったなんて。

 霧竜。その名の通り、霧を排出することのできる竜。

 顎の下には霧を作り出すための専用の袋があり、口を通して外に排出することができる。つまり、人が便宜的に霧と呼んでいるだけで、実際は霧なんかではないのだろうが。

 山頂から私達が聞いていた咆哮。そして、ランクオレンジの私までもが不覚をとる原因となった、辺り一面を覆った霧は、スカイが戦闘中だったからだ。


「ねえ、待ってよ。待ってったら! せめて、捕まった人達を助けるのを手伝ってくれない?」

「知るか。敵もいないんだし、お前一人でやれるだろ。大体、俺は魔法が苦手だ」


 竜喰いとも呼ばれる男は、なんと魔法が苦手だった。冒険者ギルドで語っていた話は、本当のことだったのだ。


「あの、あのあの! だったら、街で待ってて。話したいことがあるの」

「俺にはない。というかお前……えっと」


 まさかこいつ、と口を半開きにしたまま固まってしまう。

 私が他人の名前を忘れることはあっても、私の名前を忘れられていたことなんてなかったのに。

 しばらく黙り込んで様子を見るが、男はそんな私を見て、口の端を歪めただけだった。――嘘でしょう!?


「ミラよ。ミラ・フレイムウォール!」

「ああ、そうだった。いつも俺のパソコンを守ってくれてありがとう」

「え?」

「通じないよな。しかもちょっと違う上に、実は俺も知識だけで馴染みはない。忘れてくれ」


 竜喰いとも呼ばれる男は、おかしなことを口走る男でもあった。

 いや、本当に竜喰いなのだろうか。私が勝手にそう思っただけで、違うのかも。


「うん。あ、そうだ。私がギルドにも口利きしてあげるからさ。あなたの実力で、藍色なんてあり得ない……だから! 絶対に待ってて!」


 竜喰い。彼がそうであればより良いのだが、竜喰いであろうとなかろうと、私にはそれほど関係はなかった。

 彼の何かに惹かれ、もっと話し合いたいと思っていた。

 その力のこと。なぜ竜を追っているのか。歳はいくつで、恋人はいるのか。

 最後のは、あくまでも参考のため。


「へぇ。そいつはありがたい。じゃあ、またな」

「後でね!」


 話したいことなら、山ほどあった。彼と関われば、何かが変わる気がした。だってスカイは、私が初めて関心を示した男なのだから。

 口元を緩め手を振る彼に、私は笑顔で振り返す。


 街に戻ると、彼の姿はどこにもなかった――


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