魔法世界6 霧の中の怪物

 駄目なものは駄目です。規則ですから――


 竜討伐の依頼を受けさせろと食い下がるスカイに、冒険者ギルドの受付嬢はきっぱりとそう言った。


「ここもかよ。意外と、教育は行き届いてんだな……」

「私共は、あなたのためを思って言っているのです」


  仕方ねえなと呟き、ギルドから出ていこうとする生意気な男スカイ。

 受付嬢の言っていることは正しい。駆け出しの彼には、竜討伐なんて早すぎる。

 口ぶりからするに、別の街にある他のギルドでも同じように断られたのだろうが、当然だ。

 そのための冒険者ギルド。そのためのランク制度。


 肩を落とす彼を見て、連れて行ってあげてもいいよと、声をかけようかとも思ったがやめる。

 藍色ランクの冒険者なんて、死ににいくようなもの。来ない方が、本人のためなのだ。


「私には、教えてくれるわよね? 受付さん」

「あ、はい。ただいま!」


 ギルドから出ていったばかりの彼にも聞こえるような大きな声で、そう切り出す。

 慌てて説明を始めた受付嬢を見て、私は薄く微笑んだ。

 ふふ、これが私とあなたの差。理解はできた? 駆け出し冒険者さん――


 そして現在、私は竜の目撃情報があったという山頂を目指して、山道を登っていた。

 何も話さず、ただ黙々と歩いていた私が気になったのだろう。近くにいた冒険者の一人が、口を開く。


「何か考え事ですか? ミラさん」

「ええ。先程の藍色さんについて、ちょっと」

「あの小僧ですか。俺はてっきり、ミラさんについて行きたいとでも言うのかと思っていましたけどね」


 そう。私がギルドを出た時、彼の姿はもうなかった。


 ――ずっと竜喰いに憧れていたんだ。邪魔になるようなら見捨ててくれても構わない。俺も一緒に連れて行ってくれ!

 ――憧れるだなんて、嬉しいわ。ありがとう。でも私はきっと、憧れていると言ってくれた可愛い後輩を見捨てることなんて出来ない。だから今回は、ここでおとなしく待っていて。ね?

 ――ミ、ミラさん! はい、分かりました!


 こんな展開を予想して、周囲の評価を上げるために用意していた私の言葉は、無駄になる。

 小さな街、出発するまでの間に少しうろついてみたけど、そのどこにも彼はいなかった。


「無茶とか、していなければいいのだけど」

「ミラさんは、優しいなぁ」

「ミラさんが気にかけるようなことじゃないですよ。放っとけばいいのです」

「う~ん。でも……」


 心にも思っていないことを言った私に、冒険者達は励ますような声をかけてくる。

 不安げな表情を表に出しつつも、内心ではにやにやと笑っていた。――ああ。私ってば、なんて思いやりのある良い娘。


「噂に聞いた竜喰いってのは、もっと冷たいイメージだったが」

「俺もだ。誰も寄せ付けないような雰囲気を持った奴を、勝手に想像していた。でもその正体が、これほど心優しくも、可憐な女だったとは」

「もう。おだてても何も出てきませんからね!」


 今日から始まる、私の竜喰い伝説。

 さらに良い印象を周囲に植え付けた私は、花のような笑顔でお礼を言うと、また先へ進みだした。


 ……。


 山頂に近づくにつれ、私は疑いを持ち始めていた。

 疑っていたのは、竜が本当にこの山にいるのかということ。

 休憩を取りつつも、時間にして三時間は登っている。が、辺りは静けさに満ち、竜のいる気配なんて全くしないのだ。


 目撃情報だけであれば、それほど大きな竜ではない。そもそも、大きな竜ならこの面子で討伐することは難しいのだけれど……。

 それでも、竜は竜だ。鳴き声や足跡、食い捨てられた魔獣の死骸。

 そういったものの形跡が、一つもないのはおかしい。


「この山は、通り過ぎただけだったのかもしれないわね」


 目撃したのは、地元住人。報告がもたらされてからはすぐに、付近一帯への立入禁止と討伐依頼が出された。

 相手が相手。いませんでしたと、確認報告だけでも最低限の報酬はもらえるが、それでは私にとって来た意味がない。


「視界が悪くなってきたな。ミラさん、こいつは」

「そうね。そろそろ――」


 竜喰いだと勘違いされ、竜を討伐する証人までいる。

 おあつらえ向きに盛り上がっていた私の竜討伐デビューだが、これ以上確証もないのに進むのは危険だ。


 霧が出てきてしまった。

 今はまだ、互いの姿がはっきりと見えるくらい薄い霧だが、これが濃くなってくると、弱い魔獣にさえ気を配らなくてはいけなくなってしまう。

 鼻や耳、各感覚が基本的に魔獣よりも劣る人にとって、視界不良というのは非常に厄介なのだ。


 竜がいなかったのは残念だが、仕方ない。

 これでも私は、橙色冒険者。引き際は分かっているつもりだ。

 あと数十分も歩けば山頂だろうが、ここまで来て何も得られないのであれば、竜はいないと判断していい。

 ギルドには、そう報告するしかない。


「ぐおおおぉぉ!」


 引き返しましょう。そう言おうとした私は、口を噤む。

 聞こえてきたのは、竜のものと思われる大きな咆哮。体の芯まで響いてきそうな轟音に、びくりと体が硬直する。

 まさかいるとは……上だ。近い。それならば。

 数秒悩んだ後、声を張り上げる。


「行くわよ、皆!」

「おうよ!」


 私たちは、走り出した。走れば、霧が濃くなる前には辿り着けるはず。

 薄っすらと笑みが溢れる。ついに、この時がやってきた。

 竜討伐。栄光へと繋がる道。伝説の始まり、その一ページ目。


「がぁぁ!」


 霧は深まり、竜の声が大きくなる。先程まで静かだったのが嘘なほど、断続的に声を上げる竜。

 両隣を走る二人に、視線を移す。

 あの迫力のある咆哮を聞いても、怖気ずについてきてくれる冒険者達。

 思ったよりも勇敢、いや、私を竜喰いだと信じているからか。――ふふ、まあ見てなさい。


 さらに霧は濃くなっていく。思っていたよりも早い。

 十メートル程先の景色は、もう何も見えないほど。

 木々に囲まれていない山頂に辿り着けさえすれば、幾分かマシにはなるだろうか。


「……あれ」


 違和に気づく。

 竜の唸り声、そして自分の出す足音で分かりずらいが、周囲にいたはずの味方の数が足りない気がする。

 十名近くいたはずだけど、置いてきちゃったのかしら。


 こんな状況だ。仕方ない。私は止まりはせずに、先を目指す。

 元々一人でもやるつもりではあったのだ。はぐれてしまった者は、後で回収するとしよう。


「ねえ、いる?」

「ああ」

「いるぞ」


 走りつつも問いかける。――やはり、何か変だ。

 両隣と背後。ぼんやりとではあるが、何名かの姿は確認できたので、ほっと息を吐く。

 だが、安心したのも束の間、いつの間にか背後で走る者の気配も消えていた。

 はぐれただけとは考えにくい。

 多少姿が見えなくとも、背後の者は前を走る者の足音に、ついていけばいいのだから。


「ねえ、いる?」

「ああ……」

「大丈夫、いる」


 私は再び問いかける。

 返答はあったものの、両隣の二人も異変に気づいたのか、どこか声に覇気がない。

 少しずつ湧き上がってくる恐怖心を、私は否定する。

 竜と戦おうとしている自分が、これくらいのことで……なんとも情けないではないか。

 やはり最初から一人で来ていればよかった。と、後悔もする。

 そうであったなら、私がこんな恐怖を感じることもなかったはずだと。


「ちょっと走っただけで、はぐれちゃうなんてね」


 恐怖心を抑えるため何かを話していようと思ったが、私の口から出てきたのはそんな言葉。

 不気味な何かが起こっている気はするが、認めたくなかったのだ。


「そうですね」

「あいつら、全く」


 会話は続かず、沈黙。聞こえるのは、三人の走る音だけ。

 声を掛け合う方が精神上楽になることは分かっているが、それよりも周囲に意識を向けてしまう。

 二人も同じ気持ちだったのか、一言相槌を打ったあとは押し黙るばかり。


「ねえ、いる?」

「ああ」

「おわっ」


 なに!?


「悪い、少しつまずいただけだ。いるぞ」


 驚かせないでよ、と怒る気分にもなれない。怖がっているのではないかと、疑われるのが嫌だった。

 すでに何かが起こっているのは間違いないが、事この期に及んで変なプライドが邪魔をする。

 また沈黙。


「ね、ねえ……いるの?」

「ああ」


 恐れていた事態。今度の問いかけには、一人しか応えてはくれなかった。

 すぐ右隣を走っていた気配が、一瞬のうちに消え去ったのだ。

 震えだす体を抑えるため、唇をぎゅっと結ぶ。


「一度止まって、皆を待とうか?」

「そう、ですね。それがいいと思います」


 言ったにも関わらず、私達二人は足を止めない。足を止めてしまうのが怖いからだ。

 口には出さないがおそらく、互いにそう思っていた。


「ねえ、いる?」

「ああ」


 いつからだろうか。前方から聞こえていたはずの、竜の声が聞こえなくなったのは。


「ねえ、いる?」

「あっ」


 いつからだろうか。最後に残った男から聞こえる足音、その歩幅が変わってしまったのは。


「ねえ、いるのよね?」

「ア、アァ」


 いつからだろうか。いえ、私は知っている。

 隣を並走するのが、人ではないこと。

 応えてくれたような声が、人のものではなかったこと。

 顔を向けられない。私は、前を向いて走ることしかできない。


「いるって言ってよ。ねえ。やめてよ、やめ――」


 満ちていた霧が、ほんの少しだけ薄くなる。

 不格好だとか、そんなことを考える余裕もなくなっていた。

 涙で滲み始めていた私の目は、嫌でも隣を走る怪物を捉える。


「アアアァァ!」


 怪物は私の方を向いていた。

 目と目が合ったその瞬間、私の体の自由は効かなくなっていた。


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