科学世界23 エクスイコール

 雷斗と風香。意識を失った二人を両腕に抱えた速水は、背を向ける。


「――駅の近くに、ユークリッドという名のバーがある。分かるか?」

「ああ。大丈夫」


 見たことはある。というよりも、俺達が住んでいる屋敷からそう遠くない。警護の関係上電車は使わなくなったが、最寄り駅だったはずだ。


「二十時にその場所へ来い。ただし、来ていいのはお前一人だけだ」

「分かった」


 俺が情報の交換を持ちかけると、速水は応じてくれた。罠の可能性も考慮したが、行かないという選択肢はない。

 速水たちのこと、青い光のこと。今は、知りたい情報が多すぎるのだ。

 去っていく速水を目で追っていた俺に、ミーコが言う。


「危険だよ、夢見君」

「でも、このままってわけにはいかないだろ」


 加えてもう一つ。個人的な好奇心は抜きにしても、俺達はすでに目をつけられてしまったのだ。

 富豪家は敵ではないと速水は言ったが、それは現時点での話。何がまわり巡って考えが変わるかなんて分からないし、正直敵にしたくない相手だ。

 それなら、危険であろうと敵対視されていない今のうちに、情報を集めておくべきだ。俺の考えをミーコにも伝える。


「それなら、私達が富豪家から離れれば……」


 速水が所属するグループの規模、出方次第ではあり得る選択肢。だが、まだ早い。状況をもう少し見極めてからでも、遅くはないと思う。それに――


「そっか。私はともかく、夢見君がいなくなっちゃうとお嬢様が」

「あいつ、楽しみにしてたからなぁ。ま、この先どうなるかなんて分からないし、今は気軽に考えておこうぜ」

「うん。でも、そのことは抜きにしても、心配です」


 どうやらミーコは、俺のことも心配してくれているようだった。不安げな表情で見上げてくるミーコの肩に、手を乗せ言う。


「今まで黙っていたんだが、処世術には自信がある。うまくやるさ」

「ああ、心配です」


 外国人のような自然で爽やかなウインクを見せた俺だが、ミーコの表情はより曇り、小さな溜め息まで吐かれてしまう。


「あれ、おかしいな」

「もう……。夢見君? 早く帰ってきてね。お嬢様の、ためにも」

「任せろ」


 屋敷で、お待ちしております。最後にそう締めくくったミーコは、微笑を浮かべていた。

 その後は、駆けつけてくれた富豪家の援軍に、速水達のこと省いた簡単な説明だけをすると、後処理を任せ夜に備える。


 そしてその夜、姫乃や葵にも行き先は告げず、俺は一人速水の指定したバーへ向かった。



 ……。



 CLOSED。扉に掛けてある看板の文字を眺める。

 約束していた二十時よりも、三十分ほど早い到着。来る前に調べておいた休業日とも一致はせず、店を閉めるには早すぎる時間帯だ。

 ということは、店長も速水たちの仲間、もしくは協力者と思っておいた方がいいだろう。そしてもう一つ、中で何かが起こったとしても、大事にはならないということ。ありがたいような、ありがたくないような。


 一応、試してみるか――

 少し考えたあと、俺はドアノブに手をかけた。


「お邪魔します」

「あら、もしかしてお客さん?」

「はい。いい雰囲気のお店だったので、ふらっと寄っちゃいました」


 黙って立ち尽くしていると、予想通り勘違いをしてくれたので乗っかる。人相は、割れていないようだな。等と考えつつも、まずは店内を見渡してみる。

 出入り口は、今俺が入ってきた一か所だけ。トイレの他には、カウンターの奥に扉が一つ。当たり前だが、閉まっていて中を見ることはできない。


「あちゃあ、看板ひっくり返すの忘れてたかも……。ごめんなさい。本日の営業は、すでに終了していまして」


 営業終了のはずだというのに、店内には人が残っていた。

 カウンター席に、坊主頭の筋肉質な男が一人。奥のテーブル席に、前髪が切り揃えられた人形のような女と、長い髪をウェーブさせた女が二人で座っている。

 前髪ぱっつん女は、無表情な顔でじっと俺の方を見ており、長髪ウェーブ女は、ストローで必死に何かの飲み物を啜っていた。

 そして最後に、話しかけてきた店員のお姉さん。速水の姿は確認できない。


「そうでしたか。残念、また来ますね」


 速水はまだ来ていないのか。まあ、いれば俺が客でないことはばれていたがな。そう思いつつも、店内から一旦立ち去ろうと踵を返す。

 うまくいったと、不敵な笑みを浮かべる。椅子や机の配置に、人数や人相。事前の細かい状況把握が、いざという時に明暗を分けるのだ。

 これが一流と二流の差。俺も、中々様になってきた。プロの仕事とは、こういうことを言うのだろう――


「お客さん、もう帰っちゃうのか? せっかくだから、ゆっくりしていけよ」


 俯き加減だった俺が顔を上げると、入り口を塞ぐように速水が立っていた。その後ろには、顎に絆創膏を貼った雷斗と風香。俺の口角は下がる。

 速水はにやにやと笑ってはいるが、風香は今にも飛びかかってきそうな形相で、俺を睨んでいた。雷斗は、特に興味もなさそうにぼーっと前を見ている。


「お前がいないから、店を間違ったかと思ったんだ」


 中にいる奴らと速水達で完全に挟まれてしまった形だが、プロはいつでも冷静沈着。ちょっとした企みが失敗して、悔しいだなんて思ってもいない。


「全く、嫌らしい立ち回りしやがって。お~い、皆。こいつが昼間に話した例の奴だ。歓迎してやってくれ」

「いや~、申し遅れました。夢見ソラです。争う気はありませんので、手荒い歓迎はやめてくださいね」


 なるようになれ。あとは流れに身を任せよう。

 腹を括った俺が店内に向き直り、笑顔で自己紹介を済ませるも、誰も反応してはくれなかった。それどころか、返事の代わりに俺の尻を蹴ったやつが一人。

 笑顔を崩さないまま、再度振り返る。


「今、謝るなら許してやらんこともない。俺のプリティな尻を蹴ったのは、誰だ?」

「わ、私を見ながら言うな! 勝手に決めつけるな!」


 風香が速水の背中に隠れつつ、吠える。

 いやいや、位置的にも表情的にも、お前しかいないだろ。


「俊。このお兄さんの目、なんだかエッチだよ~。やっつけて~」

「はは。早めに謝っとけよ、風香」


 謝る素振りも見せない風香。一流で、かつ心優しく、しかし根に持つタイプの俺は、現況を考え胸に刻むだけに留める。――いずれだ。いずれ、この借りは返させてもらう。


「プリケツの男、お一人様ご案内ってな」

「ううん。すっごく硬かったよ?」


 やっぱりお前じゃねえか。


 ……。


 出鼻を挫かれはしたものの、何らかの罠や店内を荒らすような事態、想像していたようなことは何一つ起きなかった。

 理由は二つ。一つは、俺と同様速水たちにもその気がなく対話を望んでいたこと。もう一つは、グループ内に知り合いがいたからだ。


「改めまして、夢見ソラと申します」

「ん。ソラ?」


 速水に勧められた席につきもう一度名を名乗ると、今度は反応があり、声のした方へ顔を向ける。

 俺が店内に入って来た時も興味を示さず、目の前にある飲み物に夢中になっていた長髪ウェーブの女。その女が、両手でコップを持ったまま眠た気な視線を向けていた。


「おお、誰かと思えばバイト君じゃないか。久しぶり~」

「嘘だろ。てんちょうぅぅぅ!」

「うるさい」


 店長だった。俺が姫乃に雇われる前に働いていた、アルバイト先の古本屋店主。常に目の下の隈が消えず、自称霊感が強いとうそぶくあの店長だ。ちなみに、名前は覚えていない。

 思い返せば、ここ最近の慌ただしい毎日は全て、この店長が俺を売っぱらったことから始まるような気がする。さりとて、恨んではいないが。


「うるさいとはなんですか。こっちは、あれから色々と大変だったんですよ。てんちょうぅぅぅ!」

「うるさい。声の振動で、飲み物がこぼれたらどうする」

「こぼれねえよ!」


 俺の働いていた時と、態度が変わらない店長。張り詰めていた緊張感がほぐれ、心中安堵の息を吐く。

 店長がいるのであれば、酷いことにはならないだろう。何かあった時には、きっと庇ってくれる。そう……庇ってくれる、はずだ。

 安心したのも束の間、一度裏切られたことを思い出し、その自信は尻すぼみに消えていった。


「なんだソラ、きりさんと知り合いだったのか」


 霧さんって誰だよ。と、一瞬考えてしまったが、話の流れ上店長のことだろう。名前を覚えていないというより、初めて聞いたような感覚だった。

 そして、安心感を覚えていたのは俺だけではなかった。俺と店長の会話を聞いた速水たちの表情も、どこか和らいでいるように見える。


「そうか。なら、変に探り合うのはやめにして、話を進めちまってもいいかな」

「いいのか? 俺は助かるが」

「霧さんの知り合いなら信頼できる。彼女の、人を見極める力は本物だからな」


 それは、あの胡散臭い霊感のことを言っているのだろうか。

 古本屋で楽しくやっていたあの頃とは立場も違う上に、俺はその力とやらについては全く信用していないが、店長がいたことで話が早く進んだのは間違いなさそうだった。

 数瞬の沈黙のあと、速水が前髪ぱっつん女に視線を向けたので、俺も追う。


「ふうん、なるほど。俊輔は、また面白い男を連れてきたものだね」

「ってことは、こいつは本当に……」


 薄っすらと微笑んだその女が落ち着いた口調で言うと、速水は苦笑いをする。

 何の話かは分からないが、俺は面白い男らしい。この場合、面白いという言葉は良い意味としても、悪い意味としても取ることができそうだが、前者であることを祈りたい。


「うん。君が言った通り、彼は『エクス』を使えないね」

「まじかよ」

「嘘!? あり得ないってば!」


 速水の頬はさらに引きつり、風香が驚きの声を上げる。

 完全に置いてけぼりにされてしまっている俺だが、それでは寂しいので誇らしげな顔をしておく。

 風香の慌てようを考えると、この反応で正しいはずだ。


「お兄さん、エクスって何か知ってる?」

「くくく、エクスとはなんだ。早く教えろ」

「知らないのに、そんな顔してたの!? ああ! こいつむかつくぅ!」


 ばんばんとテーブルを叩く風香を見て満足した俺は、話の続きを促す。

 こくりと頷いた前髪ぱっつん女は、まずは自己紹介からかな? と、切り出した。


「私が『エクスイコール』のリーダーを務める、三日月夜みかづき よるだ。よろしくね」


 エクスイコールというのがこの組織の名で、リーダーが三日月。覚悟していたとはいえ、新たな情報が多い。

 頭の中で反芻していると、三日月が予想外の言葉を口にした。


「さて、他のメンバーの紹介と本題に移る前に、君に尋ねたい」

「ちょっと待て。うん。よし、いいぞ」

「ソラ、私達の仲間になる気はないか?」


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