科学世界21 鐘が鳴る
俺は報告をしていた。
間抜けなカップルを尾行し、ゲームセンターに応援が駆けつけるまでの一部始終を。
「武器も持たない子供が、男を何人も? そんなこと、できるものなの?」
「お嬢様。目の前に規格外の筆頭のような男がいるではないですか。そうです。そのへらへらと笑っている男です」
「ソラさん、小さい時のお写真はございませんか?」
「実際にいた。へらへらとはしてねえよ。ない」
俺は失敗していた。
何に? と問われれば、ゲームセンターで出会った謎多き子供、透を捕まえるということに。
勢い余って首の骨を折ってしまった、なんておぞましい話でもない。逃げられてしまっていた。
「そうね、その通りだわ。でもね、ソラ? いくら頑丈でも、無茶はやめてね。あなたがいなければ、その、私も困るのだし」
「お嬢様。ゴールデンエッグスなんていう者達も現れたことですし、一度ソラ君がどの程度まで耐えられるのか、実験をしておきませんか?」
「残念です……きっと、ものすごく可愛らしいお子さんだったのでしょうね」
「学園が始まるのは、明後日だっけ。その実験必要か? 嫌な予感しかしねえんだけど。ない」
そう、ゴールデンエッグス。調査は、姫乃の父親にでも任せておけばいいだろうが、気になっている点は他にある。
あの子供の力について、俺には心当たりがあった。しかしまだ、確証が持てないので言わないし、言えない。隠しているわけではなく、少し思うところがあるのだ。
「うん。だから、あとはお父様からの連絡を待ちましょう」
「必要よぉ。いつか、お嬢様に四トントラックが突っ込んでくるかもしれないでしょう? ソラ君には、壁になってもらわないと」
「嘘ばっかり。時にソラさん、過去に恋人がいらっしゃった経験は――」
「そうだな、そうしよう。分かりきった結果なので先に言っておくが、その時は俺も姫乃もぺしゃんこだ。……ない」
失敗した理由は二つ。
あの場に、行動の予測できない二人の男女がいたこと。もう一つは、非情に徹しきれなかったこと。
どちらの理由も、俺がボディガードとして未熟であったということに収束する。経験不足に、認識の甘さ。そして覚悟。
あの時、こうしてさえいれば。生きている限り、誰だって何度でも経験するその苦味。今回の一件は、少し尾を引く苦味だった――
「お兄さん、僕を騙してたんだね」
透の言葉に耳を傾けつつも、頭は別のことでいっぱいだった。
「騙してはいないだろ。言わなかっただけ」
透の体が、青白い光を帯びていく。俺はこの光に見覚えがあった。
あり得ない……。先程までは半信半疑だったが、もう一度見せられてしまうと、認めざるをえない。
同時に納得もする。人の域を超越した俊敏性は、これのおかげだったのだと。
だが、なぜだ? あり得ないんだよ、本当に。その光は、あってはいけないものなのだ。
「許さない。悪い大人は、皆僕達がやっつけてやる!」
「危ういな、お前……おっと!」
透の繰り出してきた蹴りを躱し、次の一撃に備える。
危ういのは、透の――いや、この分だとこいつの仲間も含めて――考え、思想とも呼ぶべきもの。誰に染められたのかは知らないが、柔軟性のない思考回路。
そして、不安定な心に分不相応な力。
「目で追うのがやっとってとこだね」
「暗いからな」
悪いのは、こいつの後ろにいる奴だということは分かっている。染まりやすい子供を利用して、裏で笑う何者か。透自身が、自ら考え動いているとは到底思えない。
「ちくしょう」
「今更謝っても、許してあげないからね」
「そうじゃねえよ」
言い訳、だな。俺は、何度目かの襲撃を躱したところで、腹を括る。
体の良い言い訳を探していただけだ。これからも、こういう事は起こり得るのだろう。何も知らない他人を利用して、子供さえも利用して。でも。
「避けてばかりじゃ僕には――」
こんな暗く狭い空間で、簡単に避けられている方を不思議に思え。――そんでもって、ごめんな。
「勝てな……あがっ!」
今度は避けようとせず、殴られたあとすぐ殴り返す。
いくら早く動こうと、その瞬間だけは動きが止まる。遅くなる。こんなのは、力の差がある相手にしか、通用しないが。
「へ? あ……痛い。痛いよ。血も、血だってほら」
覚悟を決めたとはいえ、本気で殴ることは出来なかった。悲痛で、かつ子供らしい声に、胸が締め付けられる。
透は外へ逃げ出そうとしていた。体をふらつかせ、扉に一度ぶつかり、弱々しくも立ち上がる。
「逃がすかよ」
「逃してあげて!」
「それ以上は、可哀想です!」
「ああ?」
ぐだぐだと思い悩んでいたことが、ここにきて足を引っ張った。その言葉通り、突如飛びついてきたバカップルに、俺の両足首は掴まれてしまっていた。
走り出そうと勢いが乗り始めていた俺の体は、床に張り付くようにびたんと倒れる。
「何してんの、お前ら?」
「あ、つい」
「ごめんなさい」
俺が立ち上がった時、透の姿は消えていた。
その後、駆けつけてくれた応援の者達に、バカップルと倒れた男たちを回収してもらうと、帰路へと着く。
何だか、もやもやとした気分を抱えていた。
姫乃を狙う者達の尻尾を掴み、成果は上々。一番大きな謎は残ってしまったが、それも追々。
おそらく俺は、透を逃してしまったことを後悔していない自分に、もやもやとしていた。
「――甘いわね。子供の暗殺者なんて、たくさんいるわよ」
全てを話し終えたあと、姫乃はそう言った。隣で笑みを浮かべている葵も、どこか厳しい目を俺に向ける。
分かっては、いるさ。口に出しては言えなかった。
「私は、そんな甘さを含めてのソラさんが、素敵だと思います」
奈子が言う。肯定されているようで、この時の俺には責められているように感じた。
奈子は、優しさ等といった言葉ではなく、甘さという言葉を選んだのだ。基本的にはおっとりとしているお嬢様ではあるが、やはり俺とは生きてきた世界が違う。改めて、そう思わされる。
姫乃の直接的な言葉よりも、奈子のように間接的に感じさせられる言葉の方が、こんなときは重く響く。
「まあ、いいけどね」
俺の失敗を特に気にしてはいない様子の姫乃が、口を開く。
個人的には思うところがあったが、小さく首を振り気持ちを切り替えた。
「それにしても、鐘のおじさんってなんだろうね」
出てきたもう一つの手がかり、鐘のおじさん。
俺の足首を掴み、助けを乞うてきた男から聞き出したもの。いつだったか、男たちに会いに来たゴールデンエッグスの一人が言っていたのだという。
「お金の、おじさんって意味かもな」
「何それ?」
「そりゃあ、お金をくれるおじさんがいるのだろう」
「何それ……」
なぜか、お金をくれるおじさんだよ。
あれ? それだとただのいい人じゃん。と、あほな妄想をしていた俺だが、実は大間違いというわけでもなかった。
その場にいたのは偶然だ。替えの飲み物を持ってきたミーコが、鐘のおじさんという単語に反応したのだ。
「鐘のおじさんですか。懐かしいですね」
全員の視線が一斉に集まり、驚いたミーコは注いでいたコーヒーをこぼす。
「うわちゃあ!」
「わわ! ごめんなさい、夢見君!」
話に関係はないが、こぼされたのはもちろん俺だと言っておこう。
股間に近い部分の染み抜きをするミーコにそわそわとしつつも、俺は問いかける。
「ミ、ミーコ。もう少し上の方も拭いてくれないか?」
「え、はい。この辺りでしょうか?」
「もうちょっと、上かな」
「あのでも、これ以上は……」
「お金、お金を渡すからさ。お前の新しい金のおじさんに、俺はなりたい」
ミーコを始め、葵と姫乃にも無言で頭を引っ叩かれる。
「鐘のおじさんは、そんな人じゃありません」
違ったらしい。
「鐘のおじさんっていうのはですね――」
長期戦すら覚悟していたところに、新たな情報。姫乃の父親に追加の連絡だけを入れると、この日俺たちは寝た。
そして、次の日。
「ミーコ、お前は屋敷で待ってろよ。危ないかもしれないぞ」
「うん。でも、気になるんだ」
児童養護施設。古い言い方をすれば孤児院。親のいない子供や孤児を収容し、養護するための施設。俺とミーコは、その施設へと向かっていた。
屋敷を出発して一つ、二つ離れた街。街を見下ろせるような高台に、大きな鐘のある建物が見えてくる。その建物が、富豪家で働き始める前のミーコが暮らしていた施設であり、鐘のおじさんがいるであろう場所。
施設の責任者である男のことを、そこで暮らす子供たちは鐘のおじさんと呼んでいるらしい。
「綺麗な音がするものだから、皆して鳴らそうとするんです。でも、子供の力では大きな鐘は鳴らせなくて。おじさんにお願いするの」
「へえ」
「おじさんはね、そこでいつも言うの。この鐘を鳴らせるようになれば、大人だって。それにはある理由があったのだけど、夢見君分かる?」
ミーコの問いかけに、俺はしばし考える。
素直に答えるなら、力が足りないか、背が足りないかってところだろうが、それだと男女や個人で差があるかもしれないし、わざわざクイズにするほどのことでもない。
「あ! 先に言っておくけど、エッチな答えじゃないからね」
「お前は、俺を何だと思っているんだ?」
ミーコの余計な一言が思考の邪魔をする。
大体、エッチな答えってなんだよ。今のところ何も想像できてないわ。もはやクイズの答えより、お前が想像したことの方を俺は知りたい。
集中力を削がれ、無難に身長と答える。
「はずれー。夢見君はずれー」
「あ、分かった分かった。今分かった。結婚してウエディングベルを鳴らすとか、そういう比喩的な話だな!」
「えへ。夢見君ってば、ロマンチックさんなんだから」
「あ?」
この女、馬鹿にしてんのか? ロマンチックさんってなんだ。今この場所で、揉みしだいてやろうか? いつもとは違い私服のミーコの一部を見て、ないわけではなかったんだな。と感心する。
俺の視線に気づいたミーコが、いやんと自身の体を抱きしめたあと、言う。
「鐘はね、人力ではなく機械仕掛けだったの。ある特定の時間にしか鳴らないような、ね。今にして思うと、おじさんは日に何回かしか鳴らしてくれなかったんだ」
「ああ、そういう」
取り立てて、驚くような答えがあるわけではなかった。が、面白い話だとは思う。
機械の動かし方というより、そこに気づけるかどうかが重要なのだろう。
「私、こう見えても皆のお姉さんしてたんだから」
「屋敷では葵の妹みたいになってるよな」
「うんうん。葵様には、やっぱり憧れちゃいます」
憧れるのはやめておけ。意地が悪くなるだけだ。そう言おうとしたが、葵と俺であれば、ミーコが味方するのは葵だろう。俺は、思いとどまる。
「でも、今もあの頃と似たようなものかなぁ」
「何がだ?」
「子供のお世話をしているって意味。とっても生意気な、大きな子供がいるんです」
明らかに、俺に視線を向け話していたミーコがくすりと笑う。
舐められたままでは引き下がれない俺は、さっとスカートを捲ってやった。
「きゃっ! もう!」
「俺、子供みたいなんで」
……。
姫乃の父親から、部下を向かわせると聞いたのは今朝のこと。その報告から少し遅れ、ゆっくりと目的地を目指した俺たち。
どう転がろうと、すでに事は終わっている。そう思っていた。
そんな理由もあって、ミーコがついてくるのも止めなかったが、考えが甘かった。事態は、予想のさらに斜め上をいく。
「止まれ、ミーコ」
「夢見君……」
高台にある、目的地へと続く道。なだらかな坂になっているその場所には、先に向かったはずの富豪家の者達が倒れていた。
視界は良好。周囲にそれらしき奴がいないことを確認すると、ミーコを側に引き寄せ、倒れている一人の男に近づく。
死んではいない。気絶させられているだけ。他の者達にも大きな傷がないことだけを確かめると、俺たちは建物の方へと進む。
「夢見君、葵様への連絡は済ませました」
「俺から離れるなよ」
小声で話しかけてきたミーコに念押しすると、頷くのが横目で分かった。
さらに先へ進み、正面扉の前へ。開け放たれた片側の扉、半身を出した俺が、中を覗き込もうとした時。
鐘が鳴った――
お世辞にも綺麗とは言えない音が、鳴り響く。不安定で、歪な音。
肩に軽く触れられる感覚がしたあと、ミーコに袖を引かれ振り向く。目を見開いていたミーコは、俺の顔ではなくその少し横を見ているようだった。
俺は、自身の肩に視線を移す。
――なんだこれ。血?
ミーコに触れられたと感じた場所には、赤い染みができていた。
直後、パタタと降り注ぐ赤い水滴。その水滴の一つが頬を伝うのと同時に、俺は頭上を仰ぎ見る。
「ぐ、見るなミーコ!」
俺が声を出した時には、すでに遅かった。
「あっ……いやぁ!」
正面扉の上、高い屋根の横に設置されていた大きな鐘の内側。
ぶら下げ、外身にぶつからせることで音を出す
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