科学世界19 嫌な予感

 迫る俺を見て、逃げ出そうとした怪しい男の前に、先回りしていたライオンが立ち塞がる。


「ラ、ライオン!?」


 なんでこんな所に? と、震える声で尻もちをついてしまった男。

 逃げ場をなくすように、俺たちは近づいていく。


「こいつはあれだ。うちで飼っている番犬……ああいや、番ライオンだ」

「え? ペット?」


 ライオンから視線を外すことはなかったが、ペットだと知り多少は落ち着きを取り戻した男に、俺は質問する。


「怪しい奴め、屋敷に何の用だ? 素直に答えないと……」

「ぐるる」


 俺の濁した言葉尻をライオンが補足してくれる。人の言葉が分かるというのは、中々やりやすい。

 びくっと体を強張らせた男は、震える声をふり絞り、こう言った。


「彼女を、僕の恋人を返せ!」

「お前の恋人? もしかして、あいつのことか」


 男の恋人と聞いて、一人思い当たる女がいた。

 姫乃や奈子、使用人たちを除き、返せと言われるような奴は、姫乃の命を狙っていた刺客の女しかいない。

 聞きたいことは、粗方聞いた。あとは姫乃の父親にでも連絡して、回収してもらおうと思ってはいたところだが、返せと言われるのは癪に障る。仕掛けてきたのは、あの女からなのだ。

 立ち上がり、興奮する様子の男に俺は笑いかける。


「あの女は、すでにガバガバだぞ」

「あ、え?」


 知っている情報を、全て話させたという意味で。

 男は目を見開き、俺の嫌らしい笑顔を呆然と眺める。


「もう、俺なしでは生きてはいけない体なんだ」


 縄で縛っているとはいえ、危険な女に変わりはない。いざという時の対処のため、飯を運搬しているのは俺なのだ。

 男は、力なく頭を垂れ下げる。


「そんな。じゃあ今、彼女は……」

「ん? いや、もうあいつの相手は飽きた。きゃんきゃんとうるさいだけなんで、処分したよ」

「は? 待て。処分?」


 最後にそう言うと、男の後ろで佇むライオンに視線で誘導する。

 まさか、と言った表情。男が振り向くと、にやりと笑ったライオンが爪をぺろりと舐め取った。


「嘘だ。嘘だぁ! うわあああああ!」


 返せと言われた意趣返しは済んだ。そして、頭に血が昇ったやつの処理は容易い。

 飛びかかってくる男の首根っこを掴んだ俺は、そのまま門に叩きつけた。


「怪しい男を一名、確保っと」

「くくく。おいソラ、ワイの完璧な演技はどやった?」


 そりゃあ、脅迫するだけならお前は天才だろ。与えられた顔と体格が、人間離れしている。というより、人ではないのだが。


「まあ……意図を汲んでくれるのは助かるかな」

「もっと褒めろや。つまらん男やで、ほんま――」

「あれ? もうお戻りになられたのですか。おかえりなさい」


 庭で待っていたのか、門の側での喧騒に気付いた奈子がやってきて、俺に話しかける。

 今どなたかと、お話されていませんでした? と、怪訝な表情をする奈子。

 俺は何も言わず、ライオンの方を見る。――自分のケツは自分で拭け。


「が……わ、ワオーン!」


 ライオンは、必死に取り繕っていた。



 ……。



 大した情報も実力も持っていなかった二人の男女。その二人を捕まえたことから、事態は進行したといえる。

 それは俺の狙い通りとも言えるのだが、望んでいたことではなかった。

 放っておけば、渇いたかもしれない泥沼。すでに片足が沈みかけていることには、まだ気づいていない。


「嫌な予感ってのは、よく当たるんだよな」


 嫌な予感というのは、自身を取り巻く今の環境から、察知して導き出したもの。もしくは経験則。決して、いい加減に思い浮かべたことではない。だから、よく当たるのかもしれないな。

 と、心底どうでもいいことを考えつつ、解放した二人の刺客を俺は尾行していた――


「――優しい人たちで良かったね」

「ふんっ」


 門の前で見つけた怪しい男は、全てを語った。女が隠していたことまで事細かく。

 姫乃を誘拐、もしくは命を奪うよう依頼を受けたこと。依頼者の顔も名前も知らないこと。ただ、直接会った男は一度、僕達と口を滑らしたらしい。

 つまり、依頼してきたのは個人ではなくグループ。さらに提示された金額は、目が丸くなるような額だった。

 怪しげな依頼に最初は警戒した二人だったが、裏世界で名をあげられていないこと。生活が苦しかったこと。前金だけでも、十分魅力的だったこと。

 それらの理由から、最後には依頼を受けることを決断したという。


「この度は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今後一切、あなた達の前に姿を現さないと誓います。ほら、君も」


 手は出さない。顔も出さない。さらには、裏稼業も辞めると言った二人。窘めるように謝罪を促した男を無視して、女は外に向かって歩きだす。

 会ったときに比べれば、目つきも態度も変わってしまった女。清楚な雰囲気だった頃の彼女は、もういない。正確には、こちらが本来の彼女なのだが。


「あの、お元気で」


 成り行きを見守っていた奈子が、微笑を浮かべ、小さく頭を下げる。奈子に悪気はない。本当にただそう思っただけか、目でも合ったのだろう。

 しかし、立ち去ろうとする女が奈子の側を横切る際、舌打ちをしたかと思うと、肩をぶつけていた。


 よろける奈子。すぐに反応した俺は奈子を支え、声をかける。


「おい」


 にやにやと汚い笑みを浮かべ、去っていく女が視界に入ってくる。だが、俺が見ていたのも、声をかけた相手もその女ではない。


「ひっ!」


 前に振り返った女の、短い悲鳴。門の前には、通せんぼをするようにライオンのソラが待っていた。

 低く、威嚇するような唸り声。ジリジリと迫る猛獣相手に、芝生にすとんと座り込んでしまった女の顔は、見る見るうちに青ざめていく。


「道を、開けてやってくれ」


 今にも噛みつかれそうな女の側まで歩いていた俺は、手を差し伸べる。


「余計なことをするなって、さっきあれほど言っただろうが」

「ごめ、ごめんなさい。謝るから、そこのライオンを――」


 体から力の抜けていた女を、少し強めに引っ張る俺。

 バランスを崩した女を受け止める形で、両肩を持った俺は、静かな口調で素早く言った。


「……次はない」


 固まってしまった女の両肩を、笑顔の俺が二度ほど叩くと、女はふらふらと歩いていき、その後を何度も頭を下げる男が追っていく。

 同じく二人の後ろ姿を横目で見ていたライオンに、俺は小声で話しかける。


「よく我慢したな、お前。ひやひやしたぜ」

「ふん。もう十分や。あの女は、ここへは来うへん。……お前が一瞬垂れ流した殺気、ワイが気付かんとでも思たんか」

「野生動物の勘ってやつか」


 殺気なんてものが出ていたのか。と、心の中では感心していた。出来る限り、凄んだだけだが。

 鼻から息を吐き出したライオンは、爪を舐めつつ続ける。


「それはそうと、あいつらを逃してよかったんか? あんなもん、ただの口八丁手八丁やろ」

「そうかもな」


 今日限りで、足を洗うといった男女。男は本気でそう考えていたように見えたが、女の方はどうだろうか。俺だって、それは疑っている。

 再犯の可能性はもちろん、一度裏の世界に入り込んだ者が、簡単に抜けだせるものなのだろうか。あいつらが個人でやっていたことならまだしも、今回は依頼を受けて、と言っていた。

 失敗した者への制裁。そういったことだって、頭をよぎる。


「姫乃と葵には、すでに伝えてある。俺がいない間、屋敷の平和を守ってくれよ。百獣の王」

「ああ、そういうこと。ええで、任しとき」


 残り少ない休暇。俺は、賭けに出ることにしたのだ。

 それほど害にはならなそうな、二人の小物。彼らを逃がすことで、何か動きが起きないかと。二人が依頼者へ報告をしにいくかもしれないし、依頼者の方から二人に接触してくる可能性もある。

 犯罪者を世に放つことも、二人を囮のような形で使うことも、非人道的な行為であることは分かってはいる。が、今回俺は目を瞑る。

 これ以上、後手にはまわりたくないのだ。姫乃を狙う不届き者が、少なくとも今、一集団は存在していて、屋敷の場所まで知られている。俺としては、見過ごせない状況だ。


「なんてこと。ソラ君がまた、ライオンちゃんとお喋りしてる……」


 ライオンに一声かけた俺は、背中から聞こえた声に舌打ちをしたあと、門を出て二人を追い始めた――



「――やっぱり、やめておこうよ。危険だって」

「だったら、この先どうするの? 今更、私達が真っ当な仕事に就けると思う? 大丈夫だってば」


 道中。男と女が数度言い合っているのが聞こえてきたが、結局二人はこの場所へ来た。

 郊外にある、潰れたゲームセンター。窓は割れ、壁の至る所にスプレーで落書きをされている。

 外よりも気味の悪いその建物に、二人が入っていくのが見え、茂みに隠れていた俺は腰を浮かす。


「さて、どうするかな」


 俺は考える。応援を呼ぶか、このまま突入するか。

 前者は安全だが、時間がかかる。最悪、手がかりを見つけられないまま、逃げられてしまう可能性だってある。

 後者は、言わずもがな危険がつきまとう。俺であれば多少は問題ないとは思うが、過信は禁物だ。


 応援を呼び、その上で出入り口を見張る。それが正解だろう。しかし――


「嫌な予感しかしねえ」


 先程も、一度は考えていたこと。裏世界での仕事の失敗が、何をもたらすかなんて分かりきっている。

 ただ、追い返されただけならまだしも、あいつらは俺達に捕まったのだ。口を割ったと思われるのが、当然だ。


「馬鹿共が」


 素直に、どこかへ逃げておけよ。俺が心の中で舌打ちをした瞬間、それは起こった。


「きゃああああ!」


 甲高い女の悲鳴。俺は、葵に電話をかける。そして、コール音が鳴るのを確認すると、すぐに切った。

 これで、五分もすれば応援がくる。端末のGPS機能があれば、現在地の特定は容易い。


「しゃあねえな……」


 迷ったのは数秒。俺は、廃墟とかしたゲームセンターに、単身足を踏み入れた。


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