科学世界18 ライオンの秘密

「ま~た、いいところで邪魔しやがって! 今度という今度は、もう許さん!」

「グルァ!」


 奈子が屋敷へ来た次の日。

 俺と奈子が楽しくお喋りをしていると、そいつは俺に噛み付いた。

 昨日から数えてもう何度目になるかもわからないが、それはすでに日常の一コマとなりつつあった。


 ぶん、と風を切るような鋭い一撃を片腕で受け止めたあと、大きく開いていた口、その鼻先をぶん殴る。

 少しよろめいたところを見逃さず飛びつき、太い首に抱きつくように両腕を回す。

 飛びついた勢いのまま、共にごろごろと庭を転がっていく俺とライオン。転がりきった先で、互いにまた殴る、蹴る、引っ掻く。もみくちゃとなっていく。


「ああ……もうソラ! なんであなたは、ソラさんに噛み付くのぉ!」


 間延びした声で、ソラを叱る奈子。

 鈴の鳴るような奈子の声は、俺にやすらぎをもたらし、怒っている表情もそれはそれで可愛い。

 飼い主の気を引こうといたずらをする小動物に対して、微笑みつつも躾をする。まるでそんな、平和なひとときを絵にしたような――


「うおああ! こいつめ! こいつめ!」

「ガルァ!」


 なんて、言っている場合ではない。俺とじゃれ合っているのは子猫ではない。ライオンなのだ。

 何も知らない人がこの光景を見たならば、通報ものである。


「よくよく考えればおかしいわよね。この絵面」

「そこよ、ソラ! やっちゃえ、ソラ!」


 姫乃と葵。幸いにも、見られていたのはこの屋敷の住人だけ。

 そうなんだよ。おかしいんだよ。だから姫乃? 早く庭に大きめの檻でも買ってくれ。

 葵……は、もういいや。どうせ言っても、私はソラ君の応援をしていました、とでも言うつもりだろう。


「駄目だったら! 早くソラさんから離れて」

「きゅ~ん」


 奈子がソラに抱きついたことで、ようやく解放される俺。

 何がきゅ~ん、だ。似合ってないんだよ、ちくしょう。

 名前も一緒で分かりにくいし、俺だけ噛んでくるし、本当に何なんだこいつは。いつか動物園にでも引き取ってもらおう。


 俺がそう思いつつも立ち上がり、服についた芝生を払っていると、奈子にきつく怒られたのか、申し訳なさそうな表情をしたライオンが、のそのそと近づいてくる。


「何だよ」

「がるぁ……ぐるる?」


 警戒する俺の尻を前足でぽんぽんと叩き、ちょっと散歩にでも行こうぜ? と、前足のもう一方で門を示すライオン。


「わぁ。ソラは、ソラさんと仲直りしたいんだね? よかったぁ」

「いや、いろいろとおかしいだろ。全然よくねえよ。誰も見てないところで食う気だって、絶対」

「ぐるぁ……」


 今度はがばっと起き上がり、俺と肩を組んでくるライオン。こうやって見ると、やっぱりでかいな! って、違う違う。


「あとは男の子同士でってやつですね。ふふ。いってらっしゃい」

「お嬢様、ソラ君のお部屋はどういたしましょう。短い間でしたけど、彼の思い出がたくさん詰まった――」

「……姫乃。頭がお花畑なやつと、すでに俺を亡き者にしているやつには頼めないことだ。二十分経っても俺が戻ってこなければ、すぐに警察と救急車を呼んでくれ」

「あ、うん。そうね。わかったわ」


 俺が目元に手をあて、肩をおとして歩きだすと、その肩を優しく叩くライオンがいた。


 ……。


「はっは~。今日も絶好の散歩日和だな! 道行く野郎ども! 俺様のジョンは猛犬だから気をつけな!」

「ワンワンワンワン! ワっ! くぅ~ん」

「どうしたんだジョン! いつもはもっと……ああ、お前は何も悪くないぞ、ジョン」


 俺がライオンを散歩させていると、道端で犬を抱きしめる男とすれ違う。

 目が合った俺たちは、互いに会釈をして通り過ぎた。


「あんな所で抱きしめたりなんかして……あいつ、飼い犬のことが大好きなんだろうな。俺とは違って」

「ワイも、お前のことは嫌いやけどな」


 うちで飼っているのは犬じゃねえけどな、と心の中で笑っていると、どこからか渋く低い声が聞こえてきた。

 俺は、人気のない周囲を見渡す。


「こっちや、ワイが喋ったんや」


 再度、声の聞こえてきた方を俺は見る。

 そこには、ライオンがいた。ライオンしかいなかった。


「なんでやねん」

「なんでやねんって、なんでやねん。ここらへん、他に人の気配はないやろが」


 なんでやねんって、なんでやねんって、なんでやねん。なんでライオンのお前が喋るんだよ。俺、熱でもあるのか?

 とは思いつつも、こいつはやはり人の言葉を分かっていたのだ。と、冷静に分析する俺がいた。動物らしからぬ仕草で俺を散歩に誘ったのも、何か話したいことがあったのだろう。

 バクバクとする心臓を抑え込み、会話を試みる。


「お前、人の言葉を話せたのか」

「当たり前やろ。ワイが何年、人間界で生きとる思うてんねん」


 何年生きていようが、普通は喋れないけどな。

 なんで関西弁なんだよ、という言葉は辛うじて飲み込む。


「ま、それは冗談や。ワイはな、この世界とは違う世界でも生きとるんや。そこで話せるようになった、とだけ。お前にはどうせ分からん。これ以上は聞くな」


 もしかしてこいつ、俺と同じ……。

 分かるかもしれないと言いかけて、その言葉も飲み込む。そんな話に花を咲かせても、特に先はない。また別の世界だなんて言われた日には、壮大すぎて頭が追いつかなくなる。

 また、暇な時にでも聞いてみよう。そう考えた俺は、先を促す。


「初めに言っておく。ワイが喋れることを、お嬢らには言うな」


 俺は首を縦に振る。


「はあ。んで、お前にワイのことを明かした訳やけどな……」


 ライオンのくせに溜息を吐き、ライオンのくせにしみじみとした口調で言う。


「お前はワイと同じ、お嬢を守るボデガや」

「ボデガ? ああ、ボディガードか。業界人みたいに言うなよ」

「うるさいやっちゃな、そんなんどうでもええやろ。でな、あまり言いとうなかったけど、ワイはお前の強さは認めとる。正直、人という種族をなめとったわ」


 人っていうか、生身であれば俺ぐらいだな。多分……。


 しかし、こうなると気になるのは、世界中探せば俺たちのような奴らが他にいるかもしれないということだ。それは、良くも悪くも。

 会って話をしてみたいと思う反面、会いたくないという思いもある。そしておそらく、会わない方が幸せなのだろうとも。


「へえ、それじゃあ何だ。奈子が言った通り、これからは仲良くしていきましょうってことか?」

「協力と言え、協力と。ワイの姿はどうしても目立つ。本当は、学園言う所にもついていきたかったけど」

「やめとけ。学園中大パニックで、最後は射殺される未来が見える。奈子が泣くぞ」


 せやろな。ライオンは、悲しそうにそう呟いた。


「お嬢を悲しませたくないんや。ワイはな、お嬢に死んでも忘れられへん恩がある。先日、お嬢を襲おうとした男がいたと聞いた時は、腸が煮えくり返ったで」


 その節はほんま助かったで。ライオンは前足の一つを上げ、ニッと笑う。

 笑顔が怖い。俺は何も言えず、乾いた笑いを返した。


「この先どうしたもんかと思うてたんやけど、そんな時現れたのがお前や。お前は姫乃様のボデガやけど、お嬢のことも見てくれんのやろ?」


 姫乃様ってなんだよ。ちょこちょこと気になる単語は飛び出すが、言っていることは間違いではない。

 どこまでできるか自分でも分からないが、俺はそのつもりだ。

 ライオンの質問に、肯定の返事を返す。


「そうか。それだけや、ワイが聞きたかったんはな。帰るで」


 ライオンは、言うだけ言って歩きだす。

 怒涛の展開に面食らっていた俺だが、先に歩き出したライオンの後姿を眺めつつも、今言われたことを反芻する。

 しばらく目を閉じていた俺は薄っすらと微笑むと、追いかけ、その大きな尻を叩きつつ言った。


「ま! これからは仲良くやろうぜ! もしかしたら俺は、奈子の恋人になるかもしれない男――」


 言い切る前に、俺の腕にはライオンが噛み付いていた。



 ……。



 俺とライオンは帰路についていた。

 早すぎる帰宅だが、始めから散歩が目的ではない。反りの合わない俺たちが、これ以上一緒にいる理由はないのだ。


「あん? ちょっと止まれ」

「なんや。ワイに指図すんなや」


 普通に喋っているけど、大丈夫かこいつ。いつかボロが出そうだな。頭の片隅でそう思いつつも、屋敷の外、門にしがみつき中の様子を伺う怪しい男を、俺は指差す。

 足を止めたライオンは、首を少し傾ける。


「あからさまに怪しいやっちゃな。どうすんねん?」

「刺客か? それにしては……まあいい。俺が正面からいくから、お前は逃げ道を塞げ」

「あんなん絶対敵やろ。挨拶と同時に引き裂いたったらええねん」

「これだから、脳が筋肉で出来ているようなやつは困る。あの男が敵だとしても、捕まえられるようなら捕まえた方がいいだろうが」


 俺は、正直驚いていた。なめていたとも言える。

 あの男が姫乃、もしくは奈子を狙う刺客だとすると、今の状況は非常にまずい。

 一週間だぞ? まだ一週間も経たないうちに、何人が仕掛けてくるというのか。一月に一度でも多いくらいだろうと、個人的には思う。


 このままでは、まともな学園生活なんて送れるわけがない。

 あいつを雇ったやつがいるはず、そして出来る限り話を聞き出し、その大元から根絶する必要があると、俺は考えた。

 それにはもちろん、長い時間がかかるかもしれない。変に藪をつついて、俺には処理が難しい大物が出てくるかもしれない。

 だが、何か起こってからでは遅いのだ。やれることはやっておくべきだ。そのことをライオンに伝える。


「そうやなぁ。しかし」

「お前の大好きな奈子のためでもある。念のためだ」

「ちっ……しゃーないのう」


 意思統一をした俺たちは、走り出した。


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