科学世界16 予期せぬ訪問者
足元には、縄で縛り上げた女。女を取り囲むようにして、立っている俺たち。
目の前に立つ姫乃は無表情だった。その姫乃が、口を開く。
「ソラは言ったわ。好みの女性がいたので声をかけてくると。あわよくば手篭めにしてやると。私は、あなたの発言を疑ったわ」
「そこまでは言ってない。勝手に付け足すな」
「ソラは飛び出して行った。驚いた。いつもの冗談かと思っていたの。そして、彼女の前に先回りし、恐怖に怯えた様子の彼女に話しかけ始めた」
「ああ、あれはこいつが逃げようとしたんでな。そもそも、悪いのは全てこいつであって、俺は何も悪くない」
姫乃の誤解を、俺は順番に解いていく。
口を塞がれ、涙目でうんうん唸る足元の女には無視をして、淡々と姫乃は続ける。
「ソラがこの女を強引に押し倒した時、血の気が引いたわ。声をかけるだけならまだしも、まさかそんなって思ったの」
「強引に押し倒したって表現はやめろ。この女は、お前を狙う刺客だった。実は、先に仕掛けてきたのもこいつなんだ」
「私の手は震えていた。お父様か警察、まずはどちらに連絡するべきか迷っていたの」
「すぐに警察を選ばないあたり、俺のことを庇う気はあったんだな。うんうん。順調に信頼を得られているようで、よかったよ」
聞けば、大いに迷ったあと、どこかに連絡しようとする姫乃を、葵がとめてくれたらしい。葵にも感謝だ。
連絡されたところで、俺は何も悪いことはしていない。むしろ褒められるべきことをしたのだが、大事にはならなくてよかったと思う。
「笑顔で女を持ち帰ったソラは言ったわ。縄を貸してくれと。私は、目の前が真っ白になった。夢であれ、と願った」
「はは。思っていたよりも楽勝だったからな。自然と笑みが溢れたんだ。全く、お前の命が狙われていたんだぞ。ちゃんと現実を見ろ」
俺の放った言葉に、姫乃の体が震え始める。
脅威は去った。もう安心だ、と姫乃に笑いかけた俺は再認識する。理由はまだ聞けていないが、こいつは、本当に狙われているのだと。
学園に通わせられないと言った、旦那様の気持ちが分かるというものだ。
「ソラは言ったわ。このままでは目立つ。どこか女を隠せるような部屋――」
「なあ、いつまで続くんだ? その話」
俺が肩をすくめていると、きっ、と鋭い視線を向けてきた姫乃は叫んだ。
「あなたが、ちゃんと説明をしなかったからいけないんでしょう!? ぼかす必要がどこにあったの? 何が好みの女よ! 何がすぐにおとしてくるよ! 遠回りせずに伝えなさいよ! バカ!」
長々と何を、とは思っていたが、どうやら姫乃はちくちくと俺を責めていたようだ。今更ながらに気付いた俺は、理由を正直に話すことにした。
「悪い悪い。ちょっと格好つけてみたかったんだ」
「バカ!」
俺は叱られる。気持ちは分かる。でも、俺の気持ちも分かってほしい。それっぽい仕事をすることになったのだし、それっぽい会話をしてみたかったのだ。
そう言うとまた怒られそうなので、黙って姫乃の話を聞く。
「あなたもよ、葵! どうせ気づいていて、黙っていたのでしょう!」
「ご無体な。私は、プレイボーイソラ君の言葉を鵜呑みにしただけですぅ」
自分には関係ない、とニヤニヤ笑っていた葵も、怒られていた。――誰がプレイボーイだ。
……。
あと数日もすれば、新しい学園生活が始まる。
長期休暇中の学生達は、迫りくるその日を出来る限り頭の隅に追いやり、最後の思い出作りに勤しんでいることだろう。もしくは、家でのんびりと過ごしているか。どちらにせよ、羨ましい限り。
そんな中、俺はと言うと、朝早くに起こされ庭の掃除をしていた。昨日、姫乃にまともな報告をしなかった件での罰らしい。
ちょっとしたお茶目な冗談だったのに、この仕打ちはひどいと思う。
「ミーコ、お前もそう思うだろ?」
一緒に掃除をしていたミーコに、俺は話しかける。
「う~ん。お嬢様のお命に関わることだし、報告はちゃんとすべきだと思う」
真面目な回答、どうもありがとう。この優等生め。
俺はあからさまな舌打ちをする。
「む。夢見君、そういう態度はいけないと思うな」
「ごめんごめん。寝起きで少し気が立っててさ。報告は大事だよな。分かってるよ」
「もう」
「ミーコ、今日のパンツの色は?」
「ピン……え」
「ピンクか。分かった」
「夢見君!?」
「報告は、大事だよな」
報告の重要性。それを俺は、今日この瞬間完全に理解したのである。
「うう。エッチ」
何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない。顔を真っ赤に染め上げ、上目遣いで睨んでくるミーコに、俺は笑いかけた。
日常から、非日常。そのスイッチはどこにあるのか。
人それぞれ。それは最終的に、個人の経験や性格で決まるのだと思う。小さなことで一喜一憂する者もいれば、並大抵のことでは動じない者もいる。
起こり得る可能性の全てを排除した外、そこに、その個人にとっての非日常がある。
庭の掃除もそこそこに、からかいがいのあるミーコで俺が遊んでいると、そいつはやってきた。
「バカ、バカ! 夢見君のバカ」
「だから謝ってんじゃん。……ん? ミーコ、お客さんだぞ」
門の前に、一台の高級車が止まる。誰だ? と俺が視線を送るも、ミーコも首を傾げていた。
基本的にこの屋敷を訪ねる奴らは、事前にアポイントメントを取る場合が多い。使用人であるミーコが知らないとなると、今日この時間に来る予定のなかったお客さんということだ。
「こんな朝早くに、誰だ?」
「旦那様でしょうか」
予期せぬ客という意味では、昨日捕まえたような、姫乃を狙う刺客であることも考えられる。しかし、あのようなピカピカの高級車に乗って、正面からくるとは考えにくい。
時間と状況からするに、姫乃の父親あたりだろう。俺も、そう思っていたのだが。
「あれ、あいつは……」
「夢見君のお知り合いですか? お嬢様くらい、綺麗なお方ですね」
「おいおい、ミーコ。あいつを姫乃と一緒にするなよ。あいつはな――」
ミーコに説明しようとして、やめる。
「と、それはいいや。じゃあミーコ、あとは任せた。手厚い歓迎を頼む」
「え? ちょっと、夢見君」
その場を急いで離れようとした俺の、服の裾を掴むミーコ。
不自然な退場であることは認めるが、きっと俺はここにいない方が良いのだ。
「離して、離して」
「あのお方がどなたかくらい、説明してからにしてください」
目立ちたくなかった俺は、小さな声で離してくれと言い、やんわりとミーコの手を外そうとする。
しかし、全ては遅かった。
「あっ」
ゆったりと歩いていた女は、声を上げる。そして、たたっと駆け寄る足音。
姫乃に用があると思ったが、この様子だと俺にも話しかけてくれるようだ。こんな、俺なんかにも。
こめかみを人差し指で掻いたあと、振り返る。
「よう、久しぶりだな。奈――」
「ソラさん!」
女は、振り返った俺の胸に飛び込んできた。飛び込んできたのは、奈子だった。
目を見開き、口を半開きにしたミーコが固まる前で、奈子は俺の背中に腕を回したまま、顔を上げる。
「考えました。いえ、考える時間なんて、ほとんど必要ありませんでした。ああ、ソラさん。会いたかったです」
「え、ええええ!?」
ミーコの驚く声が、庭中に響く。俺も、驚いた。まさか、こんなことになるなんて。
奈子が現れ、俺に会いたかったと言ったことにも驚いたが、実は本当に驚いたのはこの先だった。
日常から、非日常へのスイッチ。大抵のことには動揺しないと自負する俺が、ふらふらと浮かせていた手をゆっくりと奈子に近づける。
そして、奈子の肩に触れようとした瞬間だった。
「がるる」
「あ、え?」
俺は、ライオンに手を噛まれていた。
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