科学世界15 穏やかな時間 後

 本当に、俺なんかにできるのだろうか。下を向き唇を結んだ俺は、自問自答する。

 他に適役を思い浮かべてみる。いない。関係的にも、年齢的にも、俺がベストだ。葵だって、そう言っていた。

 心の中でう~ん、と唸る。


 目的地に近づいてきたところで、腹を括る。手に少し力が入り、持っていた箱に皺ができた。

 俺がやるしかない。本気でやり通すつもりだが、そこに気持ちを乗せると失敗する。かといって、中途半端は一番いけない。何事もバランスが重要だ。


 よし、と一言だけを発した俺に、葵はこくりと頷く。そして、俺を勇気づけるように小さく笑いかけ、側で見守っていてあげるからねと言った。

 緊張が緩和され、俺も少し笑顔を見せる。――大丈夫さ、きっと。


「お帰りなさいませ。お嬢様」


 標的の姿を捉える。時刻は十五時を回ったところ。

 仕事がちょうど一息つき、庭のベンチで休んでいたのだろう。姫乃の帰宅に立ち上がり、一礼を見せた彼女。

 武器の所持は確認できなかった。


 思っていたよりも早い邂逅に心を乱される。が、すぐに切り替える。

 いつ、どこでなんて最初から分からなかったはずだ。何をうろたえている。幸いにも、標的は一人。味方はいない。絶好の機会だ。


「葵様と、夢見君もお帰りなさい」

「ただいま」

「おーう」


 あどけない笑顔を見せた彼女に対して、俺は心中ほくそ笑む。

 余裕だな。だが、その笑顔をいつまで続けていられるかな。苦痛にゆがむのが楽しみだ。

 思っていることは表には出さず、俺は穏やかな笑顔で挨拶を返す。

 ここでやる。同時に、葵に視線で合図を送る。


「ああ、そうだミーコ。お前に土産を買ってきたんだった」


 一度、わざと標的の前を横切ったあと、数歩進んだところで思い出したかのように呟き、標的に向かって歩いて行く。

 意図を一瞬で読み取った葵は、俺が標的に話しかけ、意識が逸れたのと同時に姿を消していた。


「え、そんな。私ごときに、悪いです」

「葵に聞いた。俺の部屋の掃除は、お前が担当なんだろ? これからも世話になることだし、受け取ってくれよ」


 標的の名はミーコ。富豪家に仕える使用人の一人。

 新人である彼女はこの屋敷が初めての職場らしく、年齢も俺とさほど変わらない。そういった意味でも、同じ下っ端として、是非とも仲良くしていきたい関係者の一人だ。


「夢見君……うん。ありがとう」


 しかし、そのことと朝の件はまた別の話。お前に辱められたあいつの仇、今日この場でとらせてもらう。

 とりあえず座ろうぜ、と彼女が先程まで座っていたベンチを勧め、二人で座る。


「とは言っても、あまり大したものじゃないけどな。お腹、減ってる?」

「頂けるなら何でも嬉しいです。そう聞くってことは、食べ物ですか? 小腹は空きましたね」

「良かった。有名店の新作饅頭らしい。是非、食べてみてくれ」

「へえ、お饅頭ですか」


 俺はそこで、一つ失敗したことに気付く。ミーコは饅頭に興味を示しているし、外装も別の商品のものを被せ、入念にカモフラージュしている。そのあたりは抜かりない。

 ただ、この場所。庭のベンチという場所が悪い。テーブルは、最悪なくてもいいが、飲み物がないのはどうだろう。饅頭という食べ物の性質上、切っても切れない関係だ。

 このままでは、今この場所で食べてはくれないかもしれない。食べた時の反応を見られないかもしれない。俺が内心、焦っていると。


「あん! ソラ君発見~! まだこんなところにいたんだ」


 背後から、救いの声。


「今からお茶にしようと思うんだけど、ちょっと付き合ってよ。ミーコも一緒に、どう?」


 声の正体は葵だった。いや、もちろん葵だったと言っておこう。

 葵が指し示した場所には、大きなパラソルの下に丸テーブル。そのテーブルを囲むように椅子が四つ置いてあった。

 椅子の一つにはすでに姫乃が座り、優雅に湯気の立つカップを傾けている。


「え、私もですか?」

「お、いいね。ほら、ミーコも行くぞ。俺だけに、問題児二人の相手をさせる気か」

「ソラ君は、私達のことをそんな風に思っているんだね」


 変なところで突っかかってくる葵。

 違います。これは作戦の一つです。ミーコに気負わせないための、演出です。葵さんなら、分かってくれますよね。

 満面の笑みを向ける葵とは目を合わせず、俺はミーコを引き連れテーブルに向かった。


「失礼します、お嬢様」

「あなたも大変ね、ミーコ。この二人があなたに――」

「ソラ君とミーコは何にする?」

「俺、コーヒー」

「あ、紅茶で……って、私がやりますよ。葵様」

「いいの、いいの。座ってなさい」


 敵が一人混ざっていることに、俺は小さく舌打ちをする。葵が大きな声で姫乃の言葉を遮ってくれたが、状況は芳しくない。

 俺と葵にじとっとした目を向け、何かを言いたそうにしている姫乃。急ぐ必要があると判断した俺は、さっそく饅頭を取り出す。


「ちょうどいいものがあるんだ。ミーコ、ここで開けちまってもいいか?」

「ええ、はい。どうぞ」

「ミーコ、それはね」

「わぁ! 美味しそうなお饅頭。気が利くじゃない、ソラ君」

「おーいおい! 知ってたくせによぉ。俺を茶に誘ったのも、これが目的だろう?」


 姫乃につけ入る隙を与えない俺と葵。


「ほれ、ミーコ。まずは一つ」

「あの、お嬢様からどうぞ」


 状況は優勢。ただ、あと一歩足りないか。俺は、予定していた最終手段を行使することにした。

 失敗すれば、俺は更なる辱めをこの身に受ける。下半身を晒した上に、勘違いの痛い奴だ。

 だが、後には退けない。覚悟はとうに決まっている。


「ミーコ、これはお前のために買ってきたものなんだ」

「夢見君?」


 少し体を乗り出した俺は、隣に座るミーコを正面から見つめる。


「だから、最初に食べるのはお前だ」


 顔を近付け、真剣な口調で言った俺に対し、ミーコは視線を彷徨わせ、頬をほんのりと赤く染める。

 あれ? 思っていたよりいけそうかも。もうひと押し、いってみるか? そう思った俺は意を決し、テーブルに載せていたミーコの手に、自分の手を重ねる。


「あ……」

「違うな。食べてほしいんだ、ミーコに。一番最初に」


 何これ、誰これ。すでに自分ではない自分を演じていることに嫌気がさし始めていたが、俺は最後まで続けることにする。

 姫乃からは呆れた視線を感じ、葵は握りしめた両手で口を隠し、期待感に満ちた表情でわくわくと、いや、ニヤニヤしている。

 外野なんて関係ない。俺とミーコは、すでに二人の世界に入っている。しばらく見つめ合った後、最後に嫌みのない笑みを向けた俺に、ミーコは俯き言った。


「夢見君、私……はい。いただきます」


 俺たちの勝利が、確定した瞬間だった。


「ん、んんー!?」


 落ち着きはらった表情で、コーヒーを一度啜る。カップを優雅にテーブルへと戻し隣を見ると、それ以上は咀嚼できないと頬を膨らませたままのミーコが、涙目で俺を見ていた。

 ニコリと、俺はもう一度微笑む。


「辛いか? からいとつらいって、似ているよな。俺もあれを晒したのは、非常に辛かったんだ」


 意味が分からない。そんな表情でぶんぶんと首を横に振ったミーコは、饅頭を口にいれたまま、俺の肩をぽかぽかと叩いていた。


 ……。


「なあ、ミーコ。機嫌直せよ」

「ふーん、だ」


 楽しかった一休憩も終わり、解散した俺たち。姫乃や葵が好き勝手に散っていく中、庭の掃除を始めたミーコに俺は謝っていた。


「ちょっと辛かっただけじゃん」

「すっごく、辛かったです」


 決して、目を合わせようとしないミーコ。意外と、根に持つタイプのようだ。

 しばらくは謝り続けていた俺だが、ミーコの変わらない態度に作戦を変えることにする。


「ああ、そうかよ。確かにあの饅頭は、辛かったかもしれないな」

「あ、え、夢見君?」


 俺の雰囲気が変わったのを察したのか、そこで初めて、ミーコは俺の顔を見た。


「結果として、それはお前が苦手なものだった。でもな、俺がお前に土産を買ってきたのは事実だ。お前は、土産物が不味かった、自分が嫌いなものだったという理由で、それをくれた相手を責めるんだな?」

「あ、ちがうの、それは……」

「もういい、分かった。お前はそういう奴だって、俺は認識しておく。悪かったな? 変な気まぐれで、下手な土産なんて買ってきて」


 言い切った俺は、ミーコに背を向け歩きだす。なんて嫌な奴なのだろうと、自分でやっておいて思った。

 ミーコは焦ったように俺の隣に並ぶと、小走りで追いかけてきた。


「あ、あのあの! ごめんなさい、私……夢見君がお土産を買ってきてくれたことは、すごく嬉しかったです。本当です」

「へーん、だ」

「その、私が怒っていたのは、そのことなんかじゃなくて。夢見君が」

「俺が?」


 立ち止まり、下を向いていたミーコを俺は眺める。ちらりと、上目遣いで俺を一瞥したミーコは、すぐに視線を逸した。


「俺が、何?」

「夢見君が、その」

「何だよ。早く言えよ。俺に文句があるなら聞いてやる」


 威圧するように、俺はミーコに迫っていく。ミーコは胸の前で両手を組み、一歩後ずさりをした。


「夢見君が、私のことをあんな風に……あ」


 少し怯えた様子のミーコが視線を上げると、そこには嫌らしい笑みを浮かべる、俺がいた。


「くく、冗談だから」

「もう! 夢見君!」


 顔を真っ赤にしたミーコは、饅頭を口に入れていた時よりも頬を膨らませる。


「お~い、続き聞かせてくれ。何て言おうとしたんだ?」

「知らない!」


 暇だった俺は、ぷんすかと怒る彼女にしばらくつきまとっていた。


「ミーコってばぁ」

「仕事中です。ついてこないでください」

「そう、つんつんするなよ。俺たち、新人仲間じゃん。……っと」


 庭をぐるぐるとまわっていた俺は、足を止める。俺が視線を向けた先には、散歩中の女がいた。朝も見かけた、ワンピース姿の綺麗な女だ。

 俺の視線に気付いた女は、薄っすらと微笑み会釈をする。


「ミーコ? ちょっと聞きたいことがある」

「そうなんですか。夢見君は、ああいう人が好みなんですねぇ」


 だから、なんでそうなる。女から意識はそらさず、いつの間にか隣に立っていたミーコに、俺は視線だけを向ける。

 ああいった清楚なワンピースは、あまり女受けがよくないと聞いたことがある。だが、実は男受けが抜群に良いことを、世の女性たちは分かっているのだろうか。そして、それは今関係ない。

 俺はミーコに尋ねる。


「あの女、よくこの辺りを通るのか?」

「まさか夢見君……」


 こいつ、何か変なことを考えているな? 違うから。

 表情を変えず黙ったままの俺に、真面目な顔に戻ったミーコが答える。


「今日の朝にも、見かけたような気がします。私、今週は庭掃除担当でして」

「それは、何時頃だ?」

「えと、七時くらいだったかな。ごめんなさい。正確な時間までは、ちょっと」

「いや、十分だ」


 ありがとう。ミーコに一言お礼を言った俺は、屋敷の方へ歩いて行く。玄関を開け、中へ。

 そこには偶然、俺の探していた二人がいた。姫乃と葵。こんな時間から、どこかへ出かけるのだろうか。

 少し迷った後、俺は葵の方へ顔を向ける。


「葵、俺好みの綺麗な女性がいた。ちょっと声かけてくる」

「え」

「あなた、何言ってるの?」


 馬鹿なやつを見る目を姫乃に向けられるが、俺は無視をして続ける。


「姫乃に邪魔をされないよう、見張っててくれ」


 なるほど、と察した表情。葵が、俺に微笑む。


「大丈夫?」

「問題ない。すぐにおとしてくる」

「あなた、何言ってるの?」


 同じセリフを言った姫乃は、頭がおかしくなったのね、とでも言いたげな目をしていた。悲しい。そして、失礼なやつ。


「ミーコ、掃除はもういいそうだ。姫乃から話があるみたいだから、今すぐ向かってくれ」

「はい、分かりました」


 念のためミーコを遠ざけ、早足に庭を横切り門を出る。何食わぬ顔で、女の後ろを歩いて行く俺。

 ゆったりと歩いていたワンピース姿の女が、少し足を早めた気がした。口元に微笑を携えたまま、顔だけを横に向ける。

 景色を見ているように、振る舞っているのだ。意識は背後。俺だ。


「ふんふふ~ん」


 鼻歌をうたいつつ、距離を詰める。

 今ので確信した。分かりやすいやつ。

 であれば、それほど厄介な敵というわけではなさそうだ。――いくか。


「……やっ! あの、何でしょう?」

「お姉さん、俺のタイプなんだ。ちょっと話そうよ」


 走り出そうとした女の前に、俺は回り込んでいた。走り出してはいない。だから、走り出そうとした。


 笑顔で問いかけてきた女に、俺も笑みを返す。

 それが、まだまだだと言っている。俺だって、この業界では素人同然なので、あまり偉そうには言えないが……突然目の前に現れた男に対して、その対応はないだろ。今のは、驚くか、怖がるところだ。


「そんな、急に。あなたは確か、あの大きなお屋敷にお住まいの方ですよね?」

「そうだな」

「ふふ。楽しそうにお話しているのを、いつも遠くから眺めておりました。羨ましいなあって」

「いつも? 俺たちが住み始めたのは、つい最近のことなんだがな」

「え? ええ。いつも、というのは語弊がありましたね。私、この辺りをよく散歩しているものでして……それで」


 一筋の汗が、女の頬を伝っていく。俺が歯を見せて笑うと、焦っていた様子の女も、安心したような顔をみせる。

 そこで急に、真面目な表情に戻した俺は言う。


「一日に何度散歩する気だ? とぼけるな。お前は、俺たちの敵なんだろう?」

「ちょっと、何」


 俺は何も言わず、女に鋭い視線を向ける。

 女は、たどたどしい口調から一転、最後にはそれを認めた。


「敵って、私が? 一体何を……まあ、そうですね!」


 ワンピースの裾を捲りあげた女の腕を、俺は瞬時に握る。


「あっ、くう!」

「綺麗な太股だな。ありがとう。でも、その太股に括り付けたものは、いただけないな」


 俺は、悔しそうな表情をする女の体を、地面に組み伏せた。


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