魔法世界4 復讐と逆転の序曲
赤黒い空、崖の淵に立ち首を振る竜、俺の視界にあるのはそれだけ。体を、強い衝撃が襲った。
嫌な音がした。硬いものと柔らかいもの、そのどちらもが潰れ、ひしゃげる音だ。
その音は、聞きたくなかった。聞かずにすんだ音だった。強い衝撃を感じたということは、俺が死んでいないということだ。
意識があった。やはり、俺は死んでいない。死ななかったのか、この高さで。意識があるということは、痛みがある。
「くあぁ……」
感覚が、脳に追いついた。脂汗が吹き出し、俺は呻く。
確かに痛い。でも、体の痛みよりも、心の痛みが勝った。竜への憎しみ、そして、もうあいつに会えないという寂しさ、悲しみ。
何もできないし、何もない。空っぽだ。俺には何も残っていない。痛みだけが体を支配する。その痛みさえ、心地いいとさえ感じていた。
生きてはいたが、死ぬ。それは間違いない。試しに、体の各部位に力を入れてみる。死んでいた。
正確には、ほとんど死んでいた。動かせるのは、右腕だけ。動かせたことに、少しだけ喜びを感じる。初めて感覚を得たかのように、俺は面白がって右腕を動かす。無造作に、何の理由もなく。
指先に、粘り気のある、大きな何かが触れた。顔をしかめる。引き寄せてみると、それは竜の目玉だった。俺が引っこ抜いたものだ。
一緒に、落ちてきたのか。そう思った瞬間、ふと思いつく。あれほどの強さの竜、その目玉。この目玉を食べれば、俺はレベルアップできるのでは、と。もしかしたら、助かるかもしれないと。
必要ない。生きる理由なんて、もうない。なくなった。
空を見上げていた俺の視界に、片目を失った黒竜が映った。大きな翼を振り、どこかへと飛び去っていく。
「悠々と、飛んでやがる……」
唇を思い切り噛んだ。血が滴る。今更、気にするほどの痛みではない。もっと多くの血が、たった今も地面に吸い込まれている。
「ちくしょう」
生命力が高いと言われる竜。目玉をえぐり取ったくらいでは、致命傷にはなり得ない。視力が戻ることはないだろうが、しばらくして傷は塞がるだろう。
あいつが、皆が、死んだ。俺だけならば、理解も納得もできた。お前の子を殺したのは俺だからだ。だというのに、何でお前は生きているんだ。何で、お前の大事なものを奪った俺と、俺の大事なものを奪ったお前が。不公平だろ。
不意に、生きる力が湧いてきた。どうして、なんて分かりきっている。俺に生きる気力を与えたのは憎悪だ。身を焦がすような憎しみの心。それでいて、かつ純粋な気持ち。不公平さに憤る子供のような言い分。
「生きる、理由か」
同時に、もう一つの世界での記憶を呼び起こし、手繰り寄せる。それは、落下しているときには、すでに持ち合わせていたもの。気遣う余裕がなかっただけだ。
俺が今、ここでこうしているということは、気を失ったのか。断言はできないが、死んではいないと思う。なんとなくだが、そう感じた。
まずいな。でも、まだ間に合う。俺が、彼女たちが、心身ともに重大な傷を負わされていたとしてもだ。心臓が動いている限り、あとでなんとでもなる。今の俺なら、そう思える。
「ついでだ。力を貸してやるよ」
目的のついでに、生きようとしてみてやる。自分自身に対して、感謝しろよと笑う。
彼女たちは、感情の追いつかない俺にとってはただの他人だ。だが、向こうに生きる俺が必死なことは分かっている。応援したい。
それが叶わなかった時のことを思うと、身が張り裂けそうな気持ちになる。だってそれは、今まさに俺が感じているものと似たような気持ちのはずだからだ。――つらいよ、それは本当に。
俺は、一縷の望みにかけ竜の目玉にかぶりついた。ぷしゅっと何らかの液体が口の中に流れ込み、充満する。吐き出しそうになった。一度吐いた。
一心不乱にかぶりつく。味よりも、痛みを感じた。今にも機能を停止させようとしていた俺の体。これ以上はないと思っていた。死ぬ痛みよりも、さらにひどい痛み。
いや、そう思ったのは、生への希望を感じ取ってしまったからではないだろうか。
骨が、筋肉が、内臓が、変質していくのを実感する。子龍のときとは比べ物にならないほどの、痛みと変質。
曲がりくねった足の骨を矯正、変質。潰れた内臓を再構築、変質。そのままでは、変な方向に曲がったままになるかもしれない。そう思った俺は、曲がりくねった腕や足を強引に叩き折り、一度、それらしく真っ直ぐに戻した。
レベルが上がれば、身体能力が向上する。身体能力と大きく一括りにしているが、筋肉や骨、心臓等、実際は細かく分類されることとなる。遡れば、細胞単位での話になってくるかもしれないが、俺自身は人体についてそこまで詳しくない。
何がどう体に作用するのかは知らないが、その中には自然治癒力の向上も含まれている。自然治癒力とは、動物が生まれながらにして持っている怪我や病気を治す力、体を健康な状態に維持しようとする力のことだ。
つまり、レベルが上がることで、俺の体は急激に治されていると言い換えることもできる。細胞の成長や成熟、その延長線上にあるもの。
レベルアップで命が救われるかもしれない。そう思ったのは、このあたりが理由だ。
一日目。夜が明けるまで。激痛の中、復讐することだけを考えていた。今までの人生で、一番長く感じた夜だ。
二日目。朝方になり、崖の上で燃え盛っていたはずの火の気配が消える。痛みは一向に消えてくれない。
にわかに騒がしい声が聞こえはじめ、近くの街の住人か、王国軍辺りが、村の異常に気付き、やって来たのだと思った。
高い崖の下で苦しむ俺には気づかない。
三日目。声にもならない声を上げ、殺してくれと叫んでいた。とにかく殺してくれ、楽にしてくれと。一度舌を噛むも、血は止まる。じんじんとする痛みだけが尾を引いた。
出来る限り、その苦しみ以外のことを考えようとした。竜を憎んだ。憎しみ続けた。空っぽの俺には、それしか残されていなかったからだ。
そして、夜。その憎しみの心さえも、感じられなくなっていた。消えたのではない。考える余裕なんてなかった。何も考えられないくらいに、衰弱していた。
夜が明ける頃には、心が砕け散っているだろう。体ではなく、心が。頭の片隅で、そんなことを思っていたような気がする。しかし、それもいいかと。
「はは」
目を開ける。涙が流れた。気づけば、体の痛みは消え去り、俺は満天の星空を見つめていた。静寂が辺りを支配し、風に揺れる草の音と、虫のさざめきだけが聞こえる。
「それもいいか、か……」
俺は、守ることができなかったよ。でも、ちゃんと守ってやれ。お前は、いや俺は、まだ間に合うのだから――
「腹、減ったな。喉も乾いた」
以前とは比べ物にならない、羽のように軽くなった俺の体は、安々と高い崖を登った。
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