科学世界12 甘くない

 私は、目を見開きます。男たちの後ろから現れたのは、私が助けを呼んでいた人。私が今最も会いたかった人。私が恋をしている人。ソラさんでした。

 着信音は、その彼の胸元から。胸の前、両手で包み込むように端末を握り、ソラさんにお姫様抱っこされた姫乃さんからでした。


「てめえ、何しにきやがった!」

「ん? ああ。お届け物でえす」

「ちょっと!?」


 ソラさんは、姫乃さんを男たちに差し出すように、地面へと降ろしました。暖かい気持ちでいっぱいだった私の胸に、小さな陰りがさします。

 もしかして、ソラさんもこの人たちの仲間なの。もしかして、姫乃さんは私と同じ。


「どうだ? 上玉だろ」

「何だ、そういうことかよ。悪いな」

「いいって、いいって……って、んなわけあるかぁ!」


 違いました。にやにやと笑いながら近づいてきた一人の男を、ソラさんは殴り飛ばしました。油断を誘うためとはいえ、自分の主人をそんな……。

 彼らしい機転に、私は自然と笑顔になっていました。


「ソラさん!」

「ソラ! あんたね!」

「大丈夫か? 奈子。すぐに終わらせてやるからな」


 ソラさんの言葉が、私の体に染み込んでいきます。震えは、いつの間にかとまっていました。

 そこで私は思い至ります。ソラさんが助けにきてくれたことは、嬉しい。でも、この数を相手にどうするのでしょう。見たところ、戦えそうなのはソラさん一人だけ。

 多勢に無勢。拳銃でも持っていれば話は違いますが、その様子もない。いくら腕が立とうと、一人の人間ができることには限りがあるのです。


「私は? 私の心配は!?」

「いや、お前は地面に降ろしただけじゃん」

「汚い男に触られそうになった!」


 しかし、じりじりと間合いを詰める男たちに対して、ソラさんには余裕がありました。側にいる姫乃さんもです。ソラさんが敗れれば、姫乃さんもただでは済まないはずなのに。

 もしかして、ソラさんは一人でこの数を相手に? そんなことって……。


「ひでえな、言い過ぎだろ」

「だって、そうだもん! いい、ソラ? 私に指一本触れさせてはだめだからね。あと、ついでに奈子にも」

「分かった、分かった」


 できるわよね? と念を押した姫乃さんに、ソラさんは笑顔で応えました。――ええ、できるのですか?


「最初から、そのつもりだ!」


 そこからは、圧巻でした。とは言いましても、私に見えたのはその断片だけ。分かったのは、彼の異常なまでの身体能力。


 まず始めに、男の一人が躓いていました。どうやら、飛びかかろうとした男のすぐ目の前まで移動していたソラさんが、足で引っ掛けていたのです。男は、自分が何に躓いたのかも、理解できていなかったように思います。

 男は倒れずに済んだものの、踏ん張るための足を地面に降ろしたときには、ソラさんの回し蹴りが眼前に迫っていました。


 その勢いのまま、次に迫っていた男の腕を避け、ソラさんは懐に入ります。懐に入ると同時に、鳩尾への一撃。男は小さく鈍い声を上げ、その場に倒れました。


「きゃあ!」


 私は悲鳴をあげてしまいました。私と同じく、自分たちの仲間が倒される一連の流れを見ていた人たちが、凶器を取り出したのです。薄暗い空間で、それらが鈍く光っていました。

 そのような状況だというのに、私の体に暖かい何かが流れ出すのを感じます。ソラさんは、悲鳴をあげた私を安心させるように、笑いかけてくれたのです。


「葵に比べると、全然だなこいつら」

「あなたが葵を怖がっていたって、あとで言っておいてあげる」

「その言い方には、悪意を感じる」


 折りたたみ式のナイフが、男の手から離れ宙を舞っていました。腕を弾かれた男がのけ反っている間に、ソラさんは別の二人を仕留めます。のけ反った男が尻もちをつくと、舞っていたナイフが落ち、カランという音を立てました。

 その音に反応した男がナイフに手を伸ばした瞬間、男の顔はソラさんに蹴飛ばされました。


 気づけば、最後の一人。冷や汗を垂らしていた男は、へへっと笑ったかと思うと、私の方へ向かって走り出しました。ぴくんと、体が震えます。声にもならない声が出ます。

 何も、問題はありませんでした。いつの間にやら、私の前には頼りがいのある背中が。男の伸ばした腕は、ソラさんに掴まれていました。男は、腕を引き抜こうと力を込めているようですが、動きません。

 ソラさんは、男の腕を手前に引きました。前のめりとなり、重心が前に傾いたはずの男の体は、数瞬後、鈍い音と共に背中から地面に着地しました。

 辺りは、静まり返りました。


「ふう。奈子、大丈夫か?」

「ソラさん」

「やるじゃない! ソラ!」


 どくんどくんと、心臓が脈をうちます。たたっと駆け寄る姫乃さんの声に、私の小さな声は遮られました。

 あ……と、小さく吐息が溢れます。姫乃さんの方へ顔を向けた、ソラさんの背中をじっと見ていた私は、立ち上がると同時に、ソラさんの背中へ抱きついていました。


「大丈夫、ではございません。もうだめなんです、私。……好きです、ソラさん」

「ん?」

「奈子!? 何言ってるの、あなた!」





 =====





 背中に抱きついている奈子。目を丸くする姫乃。俺は周囲を見渡してみる。

 よし、ここにはもう敵はいない。一件落着だ。


「ソ~ラさん、すりすり」

「え、ちょっと奈子……とりあえず、一度ソラから離れてみて!」

「嫌です」


 一体、何が起こっているというのか。いや、俺は分かっている。この距離だ。全部聞こえていた。というより、今も体全体で表現してもらっている。

 俺は、そのままの状態で顔だけを背中へ向ける。


「助けていただき、ありがとうございます。ソラさん」


 俺が首を回した方向に、顔をぴょこんと出してきた奈子がそう言った。


「うん、どういたしまして」

「ふふ。好き」


 頬をほんのりと染める奈子。なんということだ、こんな……え、いいの? こんなに可愛い娘が、俺なんかを。

 俺は腰に回されていた奈子の腕を解くと、振り向いた。


「奈子」

「はい、ソラさん」

「その、突然すぎてどう言えばいいのか……もしよかったら――」

「きゃっ!」


 何だよ! いいところだったのに!

 あと少しで、俺に可愛い恋人ができるかもしれない。そんなタイミングで、俺の声を遮るように悲鳴が上がっていた。悲鳴を上げた声の主は、姫乃だった。

 何が起こったのかは分かっていた。その悲鳴の前に、大きな銃声が鳴り響いていたからだ。


「あはぁ。こいつら全員、君一人でやったのかい。凄いね」


 ねっとりとした、聞き覚えのある声色。

 すぐさま駆け寄ってきた姫乃も背中に隠し、俺は声のする方を睨む。暗い路地の先から現れたのは、狐の面を被った男。その手には、拳銃が握られていた。


「集団食中毒だ」

「殴られたような痕があるけど、これは?」

「腹を抑えて苦しそうにするこいつらを、俺が楽にしてやったんだ」

「ひどいことするね」


 近づいてくる男と会話しつつ、ちらりと銃弾の当たった地面を見て、舌打ちをする。あの銃は本物。どうする。


「ソラ」

「ソラさん」


 二人の不安げな声が、背中から聞こえてくる。心配するなと言ってやりたいが、相手の持つ得物が得物。そう簡単には言えない。

 とはいえ、この状況で何もしないわけにもいかない。今度こそ守りきると決めた。俺の過去を知り、その上で受け入れてくれた姫乃を。こんな俺なんかに、好きだといってくれた奈子を。

 二人共だ。どちらか一方ではなく、ここで俺は、二人どちらも守らないといけない。そうでなければ先へ進めない。


「おっと、動くなよ」


 ほんの少しとはいえ、距離を詰めたのを見逃さず、男は釘をさしてくる。相手は、思いの外慎重。俺が一息で踏み込める距離、それを何となくでも測ったようだ。

 さすがは業界の先輩。指折りの令嬢である奈子のボディガードを務めていただけはある。戦い慣れもしていそうだ。――その力があって、なんで。


「しかし、改めて驚くよ。お前のその悔しそうな表情……多めに見積もったつもりだったが、この距離でもぎりぎりなのか?」

「何を言っているのか、さっぱりだ。日本語でどうぞ」

「僕は外国の言葉を喋れない。……くく、とぼけるなよ。分かってんだぜぇ、こっちは」


 面を被っているとはいえ、ニヤニヤとした嫌らしい表情が透けて見える。だが、こいつの言っていることは事実。これだけの距離があれば、さすがに銃の引き金を引く時間は与えてしまう。

 俺だけならいい。当たりどころによっては即死だが、外れることを期待して、飛び込む賭けにだって出られる。

 しかし、今はだめなのだ。背中には、俺の守るべき二人がいる。もしも流れ弾なんかが当たったらと考えると、とてもそんな危険な真似はできない。


「お前は、俺を甘く見すぎている。今なら見逃してやるから、とっとと消えろ」

「一つ、忠告をしてやろう。人間の体では、どうあがいても銃には勝てない」

「そんなことはない。映画とか見ないのか? 刀で銃弾を真っ二つにしてやるさ。そのあと、お前も真っ二つだ」

「でもお前、刀持ってないじゃん。どうすんの?」

「手刀で」


 ひとまず、話を繋いで打開策を探ろうと思ったが、うまくはいかなかった。

 ははっと鼻で笑った男は、動揺を見せることなく拳銃の安全装置を外す。


「おいおい、余裕のない男はモテないぞ」

「今現在、余裕がないのは、僕かお前か」


 男は甘くない。有利な状況に、油断する気配もない。今にも銃弾が放たれそうな空気に、俺は唇を噛む。


「じゃあな」


 たった一言、別れの挨拶。それは死の宣告。

 危険でもやるしかない。他の案が浮かばない以上、二人に当たらないことを期待するしかない。俺が覚悟を決め、一歩を踏み出した瞬間だった。


「ソラ!」


 その声が聞こえたときには、俺は空の景色を見ていた。薄暗いこの場所とは違い、澄み渡った綺麗な空だ。


 引き金は、なんの躊躇もなく引かれた。頭だけは守ろうと、腕を顔の前に出したことまでは覚えている。

 放たれた銃弾は、俺の手を貫通し額に当たった。

 貫通こそしたものの、銃弾の勢いは随分と落ちていたのか、頭を吹き飛ばすようなことはなかった。しかし、その衝撃は俺の重心を後ろに引っぱり、頭の中を揺さぶっていた。


 撃たれたのが、俺でよかった。そう思ったのを最後に、俺は意識を失った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る