科学世界8 秘密の共有

 俺の姿を見つけた姫乃が、声を上げる。


「あ! 帰ってきた!」

「すみません。遅くなりました」


 それほど、時間は経っていなかった。最終試験に間に合わないかとも思ったが、まだ数十分の余裕はある。俺の時間感覚が狂っていただけだ。


「ソラ? 何だか、元気がないわね」

「え、そうですか?」

「お嬢様、お伝えしておかなければならないことがございます」


 姫乃はこれで、なかなか鋭いところがある。俺は小さく首を振ると、無理矢理に笑顔を作り出す。


 耐えろ、忘れろ、考えるな。すべきことだけを成せ。たまたま直接聞いてしまっただけで、そんなことは世界中、どこにでも起こっていることなのだ。それをお前は、全て助けるつもりか。助けられるつもりなのか。

 無理だ。不可能なんだよ。精神的にも、物理的にも。誰かが飢えに苦しむ中、誰かは食べもせずに捨てる。それがこの世界だ。どうしようもない現実なんだ。


「な、何よ。急にかしこまっちゃって」

「実はですね……」


 だから、皆自分を大切にする。友情、愛情、温情、なんだっていいが、それらを自身に与えてくれる者を守ろうとする。

 赤の他人を死んでも守りたい、なんて言うやつがいたら、そいつは正義のヒーローか、頭がおかしいと言い切ってもいい。ひねくれた考えとも思わない。

 他人がどうとかじゃない、それが、俺の見ている視点だからだ。


「え、そんな。でもソラは」

「彼の優しさ、いえ、気遣いです」


 頭を整理し直した俺は、二人の会話に加わった。


「葵さん、そこは優しさでいいでしょう。何でわざわざ言い直したんですか」

「ソラ君にポイントを稼がれるのも、なんだかなって」

「なんですか、それ……」

「ソラ! ごめんなさい!」


 俺に勢い良く謝る姫乃。葵が、弁当の件について言ってくれたようだった。あの、いろいろな意味で、まずい弁当のことを。――どうせ言うつもりだったのなら、俺が食べる前に言えよ。


「いえ、お気持ちは嬉しかったです。今度は、味見くらいはしておいてくださいね」

「うん。え? 今度?」

「おっしゃったではないですか。また、作っていただけるのでしょう?」

「ソラ……うん!」


 どうだ。俺はフォローのできる男。初めてだったのだ、あれくらいは大目に見ようじゃないか。

 一度や二度の失敗でくじけるなんて、こいつには似合わない。きっといつか、料理の一つや二つ。

 とはいえ、俺は全く――


「期待していないけどな! と、ソラ君は今、考えています」

「そうなの!?」

「はい。あの顔は、間違いありません」

「ソラ!?」


 考えていたことを読まれる俺。いや、そうだったんだけどさ。せっかくいい雰囲気だったのに、なんでそういうこと言うのこいつ。


 ……。


 葵の余計な一言のせいで、微妙な空気感を保ちつつも、最終試験会場に辿り着いた俺たち。中にいたのは、五十人ほど。俺と同じ、最終試験に残った奴らだろう。


 会場とは言っても、試験を行うのはここではない。ここはただの説明が行われる場所で、試験の舞台は外。街だ。

 第一、第二とは違い、試験は最もボディガードらしい内容だ。自分の主人、もしくはその代理人と、街の各所にあるチェックポイントを通り、またこの会場へ戻ってくる。

 求められるのは、時間と安全性。クライアントを、目的の場所へ予定通りに連れて行くという、基本的だが実際によくある仕事に則った試験だ。


 大方の説明を受けたあと、地図を渡された俺は、なるほどと思う。試験会場のあるこの街は、広くはないが狭いともいえない。一人ひとりに監視でもつけるのかと思ったが、制限時間とチェックポイントがある以上、大体のルートは限られてくる。

 試験官は――試験である以上、何らかの妨害をしてくるであろう者も含めて――そのルートに配置されているのだろう。そうでなければ、この数はとてもさばききれない。


 つまり大きく道を外れれば、誰の監視もなくなり、そこにいるのは自分と主人の二人だけ……。


「――ラ。ソラ!」


 地図を睨み、いつの間にか唇を強く噛んでいた俺は、姫乃の呼びかけに顔を上げる。声を発した本人を見ると、目を細め、顎の先で何かを示していた。


「また、お会いしましたね。ソラさん」


 それは何かではなく、誰かだった。


「お会いできた、の方がよろしいでしょうか。ふふ。ソラさんがまだ、生きていらっしゃって良かったです」

「奈子……様。僕が、この数時間の間に何度眠るとお思いで?」

「焦っておられたようですし、次が最後の一回かと思いまして。あら?」


 目の前にいたのは奈子だった。その奈子は、俺に何か違和感を覚えたのだろう、首をくてんと横に倒す。


「様? ソラさん、その口調……」

「奈子様! ご機嫌麗しゅう存じ上げます! 本日はお日柄もよく、最高の晴天日和ですね!」


 慌てて、奈子の声を遮る俺。慌てすぎて、天気のことを二度も話していた。

 奈子の背中にいる姫乃にちらりと視線を向けると、奈子はそれで察したのか、くすりと笑った後、俺の耳元に顔を近付ける。


「隠しているのですか? それとも、そういった命令を受けて?」

「前者だ」

「素のあなたと話した後ですと、非常に不気味に思います」

「ほっとけ……じゃない。放っておいてください」

「ふふ。もう、やめられては? 私は、魅力的だと思いましたけど」

「どちらが?」

「前者です」

「世の中には、そう思わない人の方が多いのです。出る杭は打たれます」


 そこまで話したところで、奈子は俺から一歩離れ、顔だけを姫乃の方へ向け、また戻す。そして、いたずらな笑みを浮かべると口を開いた。


「ソラさん、秘密にしておいてあげます。それは、私とあなただけの秘密です」

「そう、ですか。いや、助かります」

「ふふ。私、一歩リードしちゃいました」

「何がです?」

「それも、秘密です」


 指を一本立て、片目を瞑る奈子。

 気づいてはいた。だが、奈子のペースにはまった俺は、やめどきを見つけられなかった。

 おいおい~、あはは~と、他の者を無視して談笑していた俺たちに、しびれをきらした奴がいた。


「ソラ! その娘は誰なのよ! 早く紹介しなさいよね!」


 姫乃だ。俺がその声にびくりと肩を震わせる一方で、くるりと体の向きを変えた奈子は、スカートをちょんと持ち上げ優雅に挨拶を始めていた。


「申し遅れました。大和奈子と申します。以後、ご贔屓に」


 奈子の所作に、俺は思う。ちょっと、やりすぎな気も……いや、まさにこれが!


「僕が先程言っていた、超お嬢様です。どうですか?」

「どうですかって、何? 私はあなたの中で、どういう扱いなのよ!」


 お嬢様だよ。本物の。ただ、お前と奈子の間には一枚の壁がある。その点は、ちゃんと考慮しないとな。


「富豪姫乃よ、よろしく。あれ? 大和って」

「富豪家のお方、でしたか。むう。これは、なかなか手強そうです」

「手強い? あなたの家だって、ほとんど変わらないじゃない」

「あら? もしかして姫乃さん……。ということは、へへ、やった」

「何? 私、何かおかしなことでも言った?」


 やった、と小さく喜んでいた奈子に対して、姫乃が訝しげな目を向ける。

 これは、戦いだ。無知な俺はどちらの家も知らなかったが、おそらく上流階級同士の、水面下での引っ叩き合い。一般家庭でさえも、旦那の収入がどうとかで争っている奥様たちがいるのだ。お嬢様同士も色々あるに違いない。


「あ、ごめんなさい。本当に、なんでもありませんの。失言でした。今言ったことはお忘れください」

「何なの?」

 

 そうそう、お目にかかれるものではない。見ものだぞ、と成り行きを見守っていた俺の肩に、誰かの手の感触がして、振り向く。

 俺の肩を叩いたのは、前髪を綺麗になでつけた男。奈子のボディガードだった。


「お嬢様同士で盛り上がっているみたいだし、僕と少し話そうよ」

「ええ、構いませんよ」


 爽やかで、優秀そうな男。見たところ、体もそこそこ鍛えている。白く輝く歯を大きく見せて笑う顔は、どこか好感が持てた。


「ソラは、確か第二試験で一位を取っていたよね。もう、合格確定なんじゃないの」

「僕なんてまだまだです。実戦は、まだ一度も経験していませんからね」

「そうなのか? じゃあ、先輩の僕がいろいろと教えてあげるね」

「お願いします」


 雑談を交わす俺たち。


「なるほど。ためになります。……そういえば、奈子様とは普段どのようなお話をされているのですか?」


 奈子が呟いていたこと。少し気になっていた俺は、何気なく問いかける。


「んー。彼女とは、そこそこ長い付き合いになるのだけど、実はまだうまく話せていなくてね。さっきのやり取りを見る限り、君の方が奈子様とはうまくやっていけそうだよ。でも」

「そうでしたか。でも?」

「うん。めったにない、貴重な二人きりになれる時間だからね。このあと、試験中にでも腹を割って話そうかと思っているんだ。やっぱり、ぎこちない関係のままでは、この先ね」

「それだと、試験の方は」

「合格は二の次。落ちたら、来年またくるよ!」


 俺はあっけらかんと言った男を見て、安心感のようなものを感じていた。やはり、大丈夫だったよ奈子。

 詳しいことは知らない。でも、そのままでよくないことは、互いに分かっているんだ。それなら、後はきっかけさえあれば。


「そうだ。僕からも質問なんだけど、君と姫乃様に手伝ってほしいことがあると言ったら、手伝ってくれるかい?」


 君にとって悪い話ではないのだけど、と続ける男。奈子様も、君に興味があるようだし、喜ぶと思うけどな、とも言った。――奈子が? そういうことであれば、俺もやぶさかではないが。


「奈子様が、ですか。僕だけなら構いませんけど、姫乃様も?」

「ああいや、特に意味はないよ」

「そうですか。でも、それは難しそうですね。姫乃様も、言えば手伝ってくれそうなのですが、一緒に来ている者がうるさくて。何を言われるか」


 俺は、少し遠くに立っていた葵を、視線で示す。


「彼女も、姫乃様の……。ごめんごめん。そう深く考えなくていい。手伝って欲しい時がくればの話だよ。今は何もない。大丈夫」


 ニコリと笑った男。俺も笑顔を返すと、ちょうどそこで姫乃と奈子も話を終えたらしく、俺たちの方へ向かって歩いてくる。


「お互い、頑張りましょうね」


 俺は、こくりと頷いた。


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