科学世界7 耐える痛み

「ソラ君。第一試験突破おめでとう」

「ええまあ、誰にでも解けるような問題でしたからね」

「それでも私は、満点なんて取れなかったけどなぁ。結構自信はあったんだけど」

「ええまあ、葵さんはそうですよね。全体的に、あと一歩足りない感じですよね」

「そうなのよ~。いつも私は……ん? ソラ君、それってどういう意味?」


 俺は、第一の試験である筆記試験を突破していた。なぜかは分からない。でも、突破していた。それも満点で。

 富豪家の力が裏で働いたのか、と最初は思ったが、姫乃の様子を見る限りそういうわけでもなさそうだ。本人は非常に嬉しそうな顔をして、るんるん気分だ。

 そこまで合格を喜ばれると、俺も少し気恥ずかしいのだが。


「それ、僕にも見せてくださいよ」

「んふふ。だーめ。あなたは満点で合格しているのは確か。それだけ分かればいいでしょう?」


 俺が言ったそれというのは、第一試験の結果通知。主人である姫乃が受け取ってきたのだが、俺の合格と点数を言い渡したあとは、ずっとこんな調子だ。俺が見ても問題はないはずだが、見せる気はないらしい。

 一体、何が書かれているのだろうか。思えば、俺が試験を突破したという事実よりも、あの通知に、姫乃の機嫌がよくなった理由がある気がする。


 まあいい。合格したということであれば、今はそれで。おかしな解答ばかりを記入したような気もするが、無意識のうちに修正していたのだろう。きっとそうだ。――やるじゃん、俺。


「第二試験は身体能力を測るのでしたっけ?」

「そうよ。そんなに難しいものでもないけど、ソラ君なら楽勝ね。なんたって、私のナイフがかすりもしなかったのだから」


 あの列車での戦いが合否判定だったことを考えれば、むしろ当てる気だったのかと問いたい。ニコリと笑ったあと、薄っすらと目を開け下唇を舐める葵。

 怖い。何だ? 何か怒らすようなことでも言ったっけ?


「ええ。それなら、何とかなりそうです」

「そうよね~。全体的に足りているソラ君なら、そうよね~」


 なるほど、そのことか。違うんだ。馬鹿にするつもりなんてなかった。葵は有能で、さらに美人だ。スタイルもいい。ちゃんとそう思っている。何もかも高得点だ。

 ただあと一歩、百点ではないというだけ。それもあくまで、個人の感想なので。


 しかしまあ、体を動かす試験であれば、眠気に襲われるような心配はないだろう。その点は助かる。ただ、どういった試験が実施されるのか。

 魔法世界のレベルアップに伴う、俺の非常識な身体能力については、周囲に隠している。一番の理由は他にあるが、銃弾を受け止めるような身体を持つ男――あれも実は、腹の固い筋肉だったからこそ、だったのだが――明るみに出れば、大変な騒ぎになってしまう。マッドサイエンティストはびこる実験施設なんかに、送られること間違いなしだ。


 思いつく限り、知っているのは姫乃とその父親くらいだろうか。姫乃には、初めて出会った時に口止めはしてある。約束は守ってくれているようだ。

 そして父親の方だが、あの人にはどうしても伝えておかなければいけなかった。俺を撃った張本人である、二人組の後処理を任せたからだ。

 何をどう処理するかは、俺には聞けなかった。聞く必要がないと判断した。大丈夫、大丈夫と言い張る姫乃の父親は、とても良い笑顔だったから。


「それでは、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「頑張るのよ!」


 胸の前でぐっと両手を握る姫乃に、俺は言う。


「ほどほどに、頑張りまーす」

「全力! 全力でやるのよ! 期待して待っているからね!」


 だから、それじゃあ多分駄目なんだよ。俺はぎこちない笑みを残して、試験会場へ向かった。


 試験内容によっては、と悪い想像もしていたが、想像していたようなことは何もなく、試験は順調に進み、終了した。

 持久走や筋力測定。最後には、試験官との簡単な立ち合い。どれも自身の力を自ら制御できるような試験だった。

 最初は、合格ラインぎりぎりを目指そうと思っていたが、試験前の微笑ましい姿の姫乃を思い出し、俺は少し張り切ってしまった。これが良くも悪くも、後に影響してくることになるのだが、今はまだ。


 とにかく第二試験を終わらせた俺は、姫乃たちと合流し、試験結果を待った。結果は、全行程で一位を独占。若かった。やりすぎたとも思う。しかし、他人より優れた力を持ってしまえば、どうしても誇示したくなるもの。

 人の域にはぎりぎり納まっている。期待のスーパールーキー現るくらいで、何とかなるはずだ。


「ソラ君、オリンピックいこう。競技は……大体なんでもいけそうね」

「僕、人前に出るのはちょっと」


 世間には、輝くはずだったたくさんの才能が埋もれている。世界で賞賛されているような人達は、運がよかった人達。もちろん、そこには並々ならぬ努力があっただろうし、自身の才能を見つけ伸ばすのも、また才能だ。


「僕は、そう思います」

「いや、それでもこの数値はおかしいでしょ。君って人間? あなたの通っていた学園で、いい加減な噂をばらまいたのは私だけどさ。本当に宇宙人と結婚でもした? どこか改造されてない?」


 ぎりぎり、納まってもいなかったようだ。調整失敗。

 それはそうと、あのアホみたいな噂を作った犯人、お前かよ。そもそも、ばらまく必要なんてなかった。理由のない退学じゃ駄目だったのか?


「アイム、ア、ヒューマン」


 他の受験者には順位しか見ることができないが、姫乃と葵にだけは、俺が試験で残した正確なデータが見られてしまっていた。姫乃は分かっているからいいのだが、驚きを隠せない葵に対して、必死にお茶を濁す。


「やった! やった! やるじゃない、ソラ!」


 葵の見ている具体的な数値なんて見ずとも、合格、そして一位という順位に、体いっぱい使って喜んでくれる姫乃。俺はそんな姿の姫乃を見て俯いた後、意味もなく鼻の頭を掻いた。


 少し悩んではいたが、頑張っておいてよかった。ありがとう、姫乃――


 ……。


「ああ……ありがとう、ございます」


 つい先程、心の中で言ったありがとうと、口に出して言ったありがとう。相手に伝わるのは後者だが、感謝の大きさは前者のほうが上。

 少し遅い昼食。俺の目の前には、得体の知れないお弁当らしきものがあった。


「お嬢様の手作りですからね」


 手作りらしい。分かるよ。見た目で。


「一位を取ることができたら、渡そうと思っていたの。無駄にならなくてよかったわ」


 一位にならなければよかった。無駄になればよかった。この後スタッフが美味しくいただきました、になればよかったのに。


「引っ越しを手伝ってくれたお礼も兼ねてね」

「そんな健気なお嬢様の作った、初の料理です。嬉しいでしょう? 全部食べていいからね」


 しかも、全部食べないといけないらしい。食べていいと葵は言ったが、その言葉の裏には、食べろ、がにじみ出ている。

 大丈夫、大丈夫。心配するな。俺がそんなに信用出来ないか? まずは、と俺は天に弁当箱を掲げた。


「ソラ君。何? それは?」

「周囲へ自慢している。どうだ、羨ましいだろうって」


 駄目だったか。昔これをやった知人が、急降下してきたカラスに持っていた菓子パンを奪われたのだが。

 ばさばさと、木に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたき、どこかへ飛んでいく。――ああ、俺を置いて行かないで。


「もう、ソラ。そんなに嬉しいなら、また作ってあげるわよ。だから早く食べて」

「いただきま~す」


 少しはずんだ姫乃の声。これ以上の抵抗は、俺には無理だった。


「おいしい?」

「天にも昇る気持ちです」


 天に昇らされそうな味だ。予想してはいたことだが、味見とかしていないんだろうな……うぐ。


「お手洗いに行ってきます」

「え、うん」


 一位という順位は、やはりどうしても注目を浴びてしまう。俺だけであればよかった。なんとでもなった。何も起こらなかったとも言える。

 しかし、隣で飛び跳ねていた姫乃も、一緒に注目を浴びてしまっていた。目をつけられたというべきか。


 偶然にも聞いてしまう。一位をとったことにより、姫乃にご褒美をもらい、そして腹の調子を悪くした俺は、トイレの個室に立てこもっていた。おかしな流れだが、どこもおかしくはない。


「そっちはどうだい?」

「今日は厳しそうかな。また今度」


 初めは、ただの雑談に聞こえた。遊びに行く予定でも立てているのかと。


「お前のところ、ガードが固いよな。過保護過ぎだろ」

「まあね。でも、それでちょうどいいくらいだよ。悪い奴らってのは、どこにでもいるんだからさぁ」

「あはは。悪い奴らって誰のことだよ」


 違った。そのような楽しい話ではない。それは、最低最悪な相談。それは、俺が最も嫌悪感を抱く行為。頭に血が昇っていく。


「いいのか? お前のところも相当過保護だったが……やっとかよ。待ちわびたぜ」

「待たせたな。間違いなく、今日の護衛は俺だけだ。例年通りなら、最終試験の最中が狙い目かな」

「今回もまた、ライセンスは見送りかぁ。ま、いいけど!」


 こいつらは、女を襲う計画を立てていた。それも、知らない相手ではなく、自分たちの守るべき主人を。

 誰であろうと許される行為ではない。が、こいつらはボディガードなのだ。主人を守る存在。いざという時、主人が最も頼る存在。場合によっては、恋人よりも多い時間を共にする存在。素人の俺にだって、そのくらいは分かる。


「そういえば、あいつにも声かけてみねえ?」

「ん。誰?」

「ほら。第二試験で一位を取ってた奴。あいつの隣にいた姫乃っていう女、すげえ可愛かったぜ?」


 しんと、辺りが静まりかえる。扉を開けようとしていた手を力なくおろした。何も聞こえない。あいつらの声も、遠くを走る車やバイクの音も。俺の体は、固まっていた。


 どのくらい、ここでこうしていたのだろう。周囲にはもう誰の気配もしなかった。個室から出て念入りに手を洗った後、顔にも水をかける。


 怒りに身を任せ、飛び出す寸前だった。だが、姫乃の名前がでてきたことで、俺の中に冷たいものが流れた。暴れようとする自分を抑え、痛みを我慢した。

 一人立ち尽くしていた俺の頭で渦巻いていたものは、保身、後悔、そして過去。一時の感情に身を任せ、ここで変に騒ぎ立てると、きっとよくない方へ向かってしまう。そう、思った。


 ハンカチで水気を拭った俺は、鏡を見る。臆病で情けない男が一人、こちらを見つめていた。――嫌なんだよ。もう、あんなことになるのだけは、嫌なんだ。

 気付いた時には、腹の痛みは消えていた。


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