魔法世界3 生死強弱の挽歌

 最初に変だと感じたのは、明るさ。月が綺麗な夜というわけではない。街灯からこぼれ出る、魔力光のせいでもない。それは不安を掻き立てられるような、嫌な色。心がざわついた。


 次に感じたのは、暑さ。近づくにつれて、生暖かい空気が身を覆っていく。空気が重くなった気がして、不快な気分になった。科学的に考えるのであれば、暖かい空気の方が軽いはずなのに。俺の足取りは重い。


 嫌な気持ちが膨らんでいく。そうであってほしくないと思うのだが、頭の片隅では理解し始めていた。見たくないと思っているのに、歩く速度は上がっていく。いつの間にか、走り出していた。


 頼む、頼む、頼む。どうか、間違いであってくれ。勘違いで終わらせてくれ。今の俺にできるのは、祈ることだけだった。


 村が、燃えていた。祈りなんてものは届かない。俺は一度立ち止まった後、また走り始める。

 最悪だ。いや、最悪ではない。すぐに思い直した。何が起こったのか、何も分からないが、まだ、まだ。


 走る。家屋の一部が崩れ、音を立てた。パチっと火の粉が舞い、俺の服にも穴を開ける。気にはならない。走る、走る。燃えさかる家々の間を駆けていく。


 不意に、視界がぼやけた。まず、頭に浮かんだのは一酸化炭素中毒。科学世界の知識は、魔法という一点を除き、こちらの世界でも役に立つことが多い。

 違った。俺は、涙を流していたのだ。自分でも気がつかないうちに。視覚、嗅覚、聴覚、あらゆる感覚で捉えてしまっていた。嫌でも認識させられていた。


 燃えさかる炎の中にいたのは、人。俺の大切な人達。服も、髪も、皮膚さえも焼け、中には原型を留めていない者までいた。それでも、何となく分かる。分かるさ。ずっと一緒に生きてきたんだ。分からないなんてことが、あるはずない。


 とめどなく、涙が溢れてくる。息が苦しいのは、煙のせいなんかじゃない。

 俺は、止まらなかった。振り返りもせずに駆け抜ける。心の中だけで謝った。放っておいてごめん。そして、どうか彼女だけでもと考えてしまう、自分がいることを。


「体は、もう平気なの?」


 間に合った。彼女は生きていた。


「そう。よかった」


 腕の中で、彼女は心底ほっとした笑みを見せ、そう言った。俺の顔は歪む。

 何もよくない。こんなの間に合ったとは言わない。彼女の両足は変な方向に曲がり、体の中心には瓦礫の破片が深く刺さっていた。


 何で、お前が俺の心配をするんだよ? 何でお前は、笑ってなんていられるんだ? 俺は、こんなにも……。

 彼女の傷をどうにかしようとして、どうにもならなくて。何とかしようとして、何もできなくて。それでも何かできることはないかと、考えを張り巡らせていた俺の頬に、彼女の手がそっと触れ、我に返る。


「私、幸せだった」


 これからだろうが。俺達は、これから始まるんだろうが。俺だって幸せだったさ。間違いなく。きっと、お前と同じくらい、俺だってそう思っていた。でも、結局俺は、お前に好きの一言さえも……。



 ……。



 まただ。俺はまた、同じことを繰り返している。こんなことばかり続くのが、生きるということなら、もう。


 また? 違う。それは俺ではあるが、俺ではない。だが、自身であることに変わりはない。

 記憶だけでは、全てを理解することはできない。改めて思うよ。でも今、やっと分かった。やっと共有できた。あの時の俺の気持ち、行動、全てに納得がいく。俺の気持ちが分かるのは、やはり俺だけだ。


 俺は歩いていく。隣には、誰もいない。隣を歩いてくれる人は、もういない。あの時は、どうやって乗り越えたんだっけ。今もずっと抱えているのは知っている。自分のことだ。わからないはずがない。でも、こんな気持ちを、俺はどうやって……。


「教えてくれよ。なあ?」


 自身に問いかけてみるも、答えは出ない。そして、目の前にいる理不尽を睨みつつ、俺はナイフを構えた。

 どうなるかなんて、分からない。でも、これが俺の出した答えだ。違うか。今の俺には、これしかできることがなかった。思いつかなかった。思いつく気もなかった。


「お前を、殺す」


 付き合ってくれるよな? 俺ならさ。


「ガアア!」


 小高い丘の上に、そいつはいた。俺を見つけたそいつは、威嚇するような唸り声を放つ。

 そいつに名なんてない。あるかもしれないが、人間の俺が知るわけもない。目の前にいたそいつは竜。全身真っ黒な色をした竜。俺が昼間に狩ったやつよりも、一回りも二回りも大きな竜。そして、俺の大事なものを、全て奪っていった憎き敵。


 俺は、そいつの目の前まで歩き、語りかけていた。言葉なんて通じないのは分かっている。何も言わず襲いかかれば、俺にとって望ましい状況が作り出せたかもしれないのも、分かっている。それでも、俺は語りかけていた。


「確かに、俺はお前の子を食った」


 瞳孔の開いた爬虫類のような目が、俺を睨みつける。似ている。俺が狩った昼間の竜に。所々違う部分もあるが、それはまだ成長途中だったからか、それとも、どこかにいるもう一匹の親からの遺伝だったのか。分からない。

 ただ、こいつはきっと仇を取りにきたのだ。それは分かる。だって、お前の目は、今の俺と同じような目をしているから。

 憎いのだろう。怒りを、抑えきれないのだろう。気持ちは分かる。痛いほどに。今、この世界でお前と同じくらい感情を燃やしているのは、俺くらいではないだろうか。


「でも、お前も俺の大事な人達を殺した」


 気持ちは分かるが、分かりあえはしない。分かり合うつもりもない。お前だってそうだろう? 俺もお前も、その感情の矛先を向ける相手は、目の前にいるのだから。

 弱肉強食。この世界は、向こうよりも甘くない。理解しているさ。実感した。仕方のないことだよな。ただ、到底割り切れるものではない。


「さあ、決着をつけよう」


 自分でも驚くほど、優しい声がでていた。

 大気が震えるほどの咆哮を合図に、俺たちは激突した。



 ……。



 以前の俺に比べると、驚異的な速度だった。少しずつであれば微々たるものだが、このくらい一気に上がるとさすがにな。レベルアップでの身体能力向上を実感する。


「お前の子を食ったのは俺だ。俺が狩った。俺が捌いた。美味かったぜ?」


 噛み付いてきた竜の頭。横に躱し、首と交差した際に切りつけてみる。固い。痛みなんて、ちっとも感じていなさそうだ。

 それなら、と俺はそのまま竜の懐に走っていき、体を支える足の指と爪の間に、ナイフを突き刺した。敏感な部分だ。これならどうだ?


「ギイィ!」


 おー、効いてる効いてる。そう思った矢先、勢い良く飛ばされる俺の体。竜はその場でぐるりと一回転し、尾で俺を吹き飛ばしていた。

 折れたナイフ、折れた骨。血を吐き出す。どうやら、今の一撃で内臓もやられてしまったらしい。


「やっぱ……つええな」


 今ので死ななかったのが奇跡。子竜を倒した分のレベルアップがなかったら、とっくに物言わぬ肉塊だ。

 俺は、最初から勝てるだなんて思ってはいなかった。ただの頑丈な男が、成竜に挑むなんて無謀だからだ。でも、戦うという選択肢しか、俺には残されていなかった。


「もう一発くらい、決めてやりてえなぁ」


 よろよろと立ち上がる。足は動く。右腕も、動く。足元には、折れたナイフが転がっていた。


「運がいいな。俺も」


 最低限のものは全て整っていた。しかし、本当に運が良かったのは、この先だった。


 伸びてくる竜の頭。俺は折れたナイフの柄を握り、構える。

 俺はここで噛み砕かれるだろうが、口の中にでも放り投げてやろう。喉にでも刺さればラッキーだ。多少は痛いだろう。この時の俺は、そう考えていた。

 投げたナイフは、竜の口に向かって飛んでいく。寸前で気付いた竜は、口を閉じようとした。いや、俺ごと噛み砕こうとしたのかな。とにかく、ナイフは竜の口に侵入した。

 

 俺の投げたナイフは、真っ直ぐ飛んでいってはくれなかった。それがよかった。くるくると回り、竜の閉まる口を妨げるように、縦向けに収まったのだ。ガキンと竜の口内で音。その後すぐに、構わず噛み砕いてはいたのだが、それが一瞬の間を作り出した。

 その一瞬の間のおかげで、俺は迫りくる竜の頭を、体を回転させて受け流していた。じろりと目だけを横に向けた竜と、俺の目が合う。


 俺は、なんの躊躇もなく、その大きな片目に、腕を突っ込んでいた。


「ガアアアアアア」


 ぶちぶちと何かがちぎれていく感覚。俺は、目玉をえぐり取る。


「は、はは! 痛いだろ? なあ!」


 しかし、反撃はそこまでだった。混乱し、大きく振った竜の頭に突き飛ばされ、俺は落ちていく。

 小高い丘の先にあったのは、高い崖。決して助からない高さ。俺は、崖から転落していたのだ。


「こんなもんか」


 俺の口元は、笑っていた。


「俺も、今から行くよ。そっちに」


 待っててくれるって言ったもんな――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る