LEVEL2 竜とお嬢様

魔法世界2 竜の心臓

 いつもと変わらない一日の始まり。朝食をとり、歯を磨き、飾らない程度に身だしなみを整えたあと日課である魔物狩りに出かける。


 今日は森に入ることを決めた。

 特に理由はないが、あえてあげるとするなら日差しが強かったから。影の多い森ならば、多少は涼しいだろうと思った。


「このペースだと、次に上がるのは二週間後くらいか」


 誰もいない森で、一人呟く。

 先は長いなと考えつつも、俺は魔物を狩ることをやめない。すでに生活の一部になっているということもあるが、レベルアップがもたらす恩恵の凄まじさを理解しているからだ。

 現在の俺のように、数十匹の魔物を狩ってやっとレベルが一つ上がるような状態になると、研鑽をやめてしまう場合がほとんど。それは兵士や冒険者等、そういった仕事を生業にしている者達であっても。

 努力の量に対し、あからさまに益が少ないのだ。


 だが俺は、もしかしたら俺だけは、その先を知っている。

 非常に強力な魔法と同程度、範囲というものを無視すれば、どんな魔法よりも威力のある銃撃。そんな銃撃を、生身で受け止められるようにまでなるということを。

 効率は悪い。科学世界の自分が特別なだけで、その領域までは辿り着かないのかもしれない。それらの時間を使い、魔法を覚えた方が何かと便利だろう。そんなことは分かっている。

 しかし、先を知っているからにはやめられない。一度高水準の生活を経験した者が、その感覚を捨てきれないように。


 と、いくつかの理由を並び立ててはみたが、実際は自身への言い訳に近い。継続心を失わないようにするための目標管理。

 俺は、単純に好きなのだ。自身の能力が目に見えて上がるのは、嬉しくも楽しい。

 馬鹿にする者は多いが、笑いたいやつには笑わせておけばいい。

 もう一つの世界を知っているからこその考えかもしれない。誰と何を競っているわけでもなし。あいつを、大切な家族や友人を、守りきれるだけの力があれば十分だ――


「そうだよな? ストレス大国在住のソラく……ん?」


 科学世界に住むもう一人の自分に問いかけつつ、森の奥へと進んでいた俺。

 軽い気持ちだった。欲張ろうなんて、思っちゃいない。いつもと何も変わらないルーチンワーク。

 そんな俺の目の前に、そいつはいた。


「グルル……」


 竜だ。

 大きな体、分厚そうな皮膚、鋭い爪と牙に爬虫類のような目。実際に見るのは初めてだが、それはまさに竜と呼べるもの。

 竜は、羽をたたみ体を休めていた。

 森の深部ではあるが、木々が生い茂っていない広く平らな場所。差し込んだ光が、竜とその付近だけを丸く照らす。


 ――おいおい。


 一つ息を飲むと、静かに後ずさり始める。こんな大物は冒険者ギルド、いや国に報告すべき案件だ。ただの村人一人に、解決できる問題ではない。


 ――動くなよ。絶対に動くなよ。


 ある意味で動く許可を与えてしまう、科学世界での呪詛を唱えつつ距離を取っていく。建前ではなく本当に動いてほしくはないと思っていた。

 しかし注意深く動向を伺っていた俺は、そこで気付き足をとめる。


 ――寝ている? いや、怪我をしているのか?


 何があったかなんて知らない。ただその竜には、大きな傷が見えたのだ。

 よく見ると、足元には水が。竜を中心とした赤黒い水たまり。

 平穏を望みつつも、心中は揺れる。人生における分岐点とも思えるような、これ以上ない機会。

 下唇を一つ舐めると、腰にさげていたナイフの柄を握る。


 もう一歩、あと半歩。

 じりじりと距離をつめる俺に、竜はまだ気づいていない。ぐるると唸り声を上げるだけで、尻尾の一つも動かそうとしなかった。

 気づいている? それとも気づいていてなお、体を動かせないほど弱っているのか。分からない。

 しかしそれならば……。


 地面を擦るような音が鳴った瞬間、竜は顔を上げた。そのまま背の方へ顔を向けようとするがもう遅い。

 その音は、俺が地面を強く踏んだ音。

 振り返った竜の目の前には、一人の男が飛び上がっていた――


 ……。


「ぐおお! 痛い! 苦しい! 死んじゃう!」


 村の近くにある少し大きな街、その病院のベッドの上で俺はもがき苦しんでいた。


「もう! だから言ったのに!」


 隣には、病人だと言うのに優しくしてくれない幼なじみと、苦しむ姿を見て笑い転げている医者が一人。

 俺がこんな場所にいるのは、竜を倒したからだ。

 だが、何も戦いで傷ついた訳ではない。竜は限りなく瀕死に近い状態で、いともたやすく仕留めることができた。

 その後は竜の体を持ち帰り、村の皆と盛大にバーベキューをした。

 竜を担いで現れた時は村中が混乱したものだが、すでに瀕死だったと言えば納得してくれた。

 見栄をはろうかとも思ったが、さすがに獲物が大きすぎた。すぐにばれる嘘はやめておき正直に話した。

 とまあそのあたりの話は余談だが、事件はその竜の肉バーベキューで起こった。


「では、いっきま~す!」

「ねえちょっと、やめておきなさいよ……」

「ばか! こんな機会は二度とない。竜だぞ! 竜!」

「そうだけど、でも」

「それに、残さず食べるのが礼儀ってもんだろ。おらぁ!」

「あ」


 竜の肉は旨い。旨すぎたのだ。

 食べきれない肉は保存しておくとして、気になったのは保存のきかなそうな内臓。ゲテモノほど美味ってのは、世界の常識。

 その中でも俺が目につけたのは、竜の心臓だった――


「――俺が死んでも、忘れないでくれ」

「死ぬだなんて言わないでよ。死なないわよ」

「どうだろう……そうだ、死にゆく俺から一つ頼みがある」

「え? な、何?」

「結婚は、しないでくれ。出来れば、恋人も作らないでおいてくれると助かる」

「は?」


 だめか? と縋るような目を、幼馴染に向ける。

 心も体も弱っていたのだ。今の俺はさながら小動物。いや、雨の降るなか体を震わせる捨てられた子犬だ。とても見捨てることなんてできないだろう。

 そう思っていた哀れな子犬男に、返ってきた言葉は。


「何よそれ、女々しい男ね! 大丈夫。あなたなら死なないわよ」

「うぐ! いや、お前は何も分かっていない。この痛みと苦しさは死ぬ。間違いなく死ぬ。だから――」

「ああもう、分かった分かった! 待っていてあげるから、早く治しなさい。あなたは知らないかもしれないけど、あなたのいないところでは結構言い寄られているのよ? 私」

「嘘だろ?」


 一瞬、痛みも苦しみも忘れ、上半身をむくりと起き上がらせ問いかける。が、目の前にいるそいつは小さく舌を出していた。

 結局真偽は分からず、新たな苦しみが上乗せされた病人に医者は言う。


「あは! あはは! 大丈夫、大丈夫。死にはしないよ。急激なレベルアップに、体が追いついていないだけだ。……でも、う~ん。小さい子供なんかでは、似たようなことがたまに起こるけど、君って確かさ」

「ああ。こんな見かけですけど、この人まだまだ子供なんです」

「うるせ……っつ」


 俺は大人だ。とっくの昔に、上も下も毛が生えそろった立派な大人なんだよ。なんならここで脱いで見せてやろうか? あん?

 痛みや苦しみで何も言えないのをいいことに、二人に好き放題言われていた。


 しかし、そうなのだ。

 竜にとどめをさした時にもレベルの上昇は感じたが、おそらく急激に上昇したのは心臓を食べた後だ。竜の心臓にそのような効果があったとは初耳だが、それより。

 停滞気味だったレベル。一体、いくつくらいあがったのだろうか。

 正直こんな所で寝ている場合ではなく、早く確かめたいと気持ちが逸る。

 冒険者ギルドへ行きたい。冒険者ギルドには、それを確かめる魔道具があるのだ。

 行っちゃおうかな? 先生も死なないって言ってたし……と、立ち上がろうとするが。


「やっぱり無理! 痛い! 苦しい! 辛い!」


 はあ、とため息を吐いた幼馴染にベッドへ押し倒される。えっちな意味ではない。


「それじゃ、早く治すのよ? でないと私、他の誰かに取られちゃうかもね?」

「調子にのるな! お前のおっぱいじゃ無理だ!」

「あらそう。じゃあ、これからはちゃんと胸以外を見てくれる人を探さないとね。あなたみたいな人とは違って」


 そんな男はいないはずだ。大なり小なり。

 認めない、許さないと騒ぐ俺の額に手を当てた幼馴染は笑みを浮かべた。


「もう、暴れないの。待っていてあげるって言ったでしょう。あなたが早く帰ってきてくれれば、それで何も問題はないのだから。では先生、暗くなってまいりましたので、私はそろそろ帰ります。この人のこと、よろしくお願いしますね」


 そう言うと、最後にまたいたずらな笑顔を残して幼馴染は帰って行く。

 額に残る暖かい手の感触が、痛みや苦しみを和らげてくれた気がした。


「ん~? 任せろ~。というか、今日中に帰れると思うぞ~」


 あいつの言葉に、気怠そうな医者は少し遅れて返事をする。


「今日中かよ!」


 先程までのやりとりは何だったのか。ちょっぴり恥ずかしい。

 そんなことなら、待っていてもらえばよかった。


「思っていたより、辛そうだね? 痛みや苦しみを和らげる魔法はあるけど、どうする?」

「おいい! 何やってんだ、早くしろ!」


 とぼけた医者に、罵声を浴びせる。

 どうする? じゃねえよ。そういうものがあるなら先にやれよ。少しでも辛そうなら、聞かずともやってくれよ。

 それとも何だ? 気持ち程度の効果しかないのか?


「――どうだい? 和らいだろう? 私は優秀だからね」


 予想に反し、その魔法は相当効き目がありました。

 なんだかなともやもやした気持ちのまま、俺は眠りに落ちていった。


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